慶応大学OBのT先生が、京成杯AHと紫苑Sを勝ちたい訳は… | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

調教助手として、厩務員として、競馬と長く関わってきた私が、ファンの皆様に「役立つ情報」をお伝えしたいと思って始めました。

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全国の競馬ファンの皆さん、こんにちは。
小西聖一と申します。



今、私が所属している「パーフェクトホースマンズ」は、先週、

小倉2歳S
馬連29650円5点的中

札幌2歳S
馬連8770円4点的中

北九州短距離S
馬連8210円5点的中

といった結果を残しています。

この中で、「小倉2歳S」で2着に入ったアズマヘリテージ(最終的に14頭立ての13番人気)については、8月27日(月)に「パーフェクトホースマンズ」のホームページで、

【 こちら 】

「河内洋君は、1974年に武田作十郎厩舎から乗り役としてデビューして、それから、メジロラモーヌに乗った1986年の牝馬三冠や、サッカーボーイに乗った1988年のマイルCSや、ニシノフラワーに乗った1992年の桜花賞や、アグネスフライトに乗った2000年のダービーや、アグネスタキオンに乗った2001年の皐月賞とか、GIの22勝を含めて重賞を134勝もしとって、通算で2111勝っちゅう素晴らしい成績を残しとりますな」

「そんで、調教師の試験に受かった2003年に乗り役を引退して、2005年に自分の厩舎を開業しとって、この年は4勝止まりやったけど、2年目は19勝、3年目は24勝と、エエ感じで成績を伸ばしとりました」

「こういう風に、初めの内から一気に成績を伸ばせたんは、開業したばかりの頃から、【アグネス】の渡辺孝男オーナー(故人)や、【ニシノ】の西山茂行オーナーに、エエ馬を預けてもらったからなんでしょうな」

「4年目やった2008年には、マルカシェンクを使った関屋記念で初めて重賞を勝つと、ヤマニンキングリーを使った中日新聞杯も勝つなど、全部で29勝を上げて、開業してから一番多い【5億5031万円】の賞金を稼いどったし、それから2013年までは、ずっと賞金が3億円くらいやったんやけど、2014年は、今までで一番多い32勝を上げて、賞金も、【5億0652万円】っちゅう、2008年に近い数字を残しとりました」

「けど、去年までの3年間は、

2015年→24勝・獲得賞金4億0091万円
2016年→24勝・獲得賞金4億0756万円
2017年→17勝・獲得賞金4億0366万円

っちゅう成績で、3年続けて勝ち星と賞金のどっちも2014年を下回っとるんやから、今年の河内君は、【巻き返さなアカン】と考えとる筈ですわ」

「実際、先週までの成績は、【17勝・獲得賞金2億9960万円】っちゅうもんで、もう去年の勝ち星に並んどるんやけど、2014年の同じ時期(8月まで)の【24勝・獲得賞金3億2542万円】を下回っとりますんで、ワシが彼やったら、間違いなく【賞金の高い特別レースを勝って、もっとペースを上げたい】と考えるでしょうな」

「そんな中、今週は、1着賞金が3100万円の小倉2歳Sにアズマヘリテージを登録しとるんで、メイチに仕上げてくるやろ」

という、「元調教師のIさん」の見解を紹介していましたから、これらの内容を確認していた方は、私達と同じように、「小倉2歳S」で万馬券を取って、オイシイ思いができたのでしょう。

でも、先週は長岡Sと新潟記念を取り損ねてしまいましたから、今週は、全てのレースでいい結果を残せるよう、今まで以上に力を入れて情報を集めていますし、そこで掴んだ情報はこのブログでも紹介しますから、楽しみに待っていてください。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。


馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、手塚貴久厩舎が登録している、京成杯AHのヤングマンパワーと、紫苑Sのマウレアについて、私の頼もしい仲間の一人、「元調教師のNさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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手塚貴久君は、地方の宇都宮競馬(2006年に廃止)で、乗り役と調教師をやっていた手塚佳彦さんの息子ですね。

お父さんの仕事を考えると意外ですが、手塚君は、ほとんど馬と関わらずに育ったそうで、慶応大学を卒業する前には、大手飲料メーカーの内定をもらっていて、そのままサラリーマンになる予定だったそうですよ。

でも、大学を卒業する前に、佳彦さんと行った北海道旅行で牧場を回ったのがきっかけで、「競馬の世界で働きたい」と思うようになって、就職の内定を断り、北海道の牧場で1年くらい働いて、その後、1989年に競馬学校の厩務員課程に入りました。

ちなみに、手塚君は、オーナーブリーダー・「ミルファーム」の代表をやっている清水敏さんと大学の同期で仲が良くて、2005年の「三田祭」(慶応大学の学園祭)では、二人で一緒に講演会に出ていましたね。

競馬学校を出た後の手塚君は、相川勝敏さんの厩舎で厩務員をやって、佐藤全弘(まさひろ)さんの厩舎で調教助手をやって、1999年の3月に自分の厩舎を開業しています。

最初の年こそ8勝止まりでしたけど、2年目は10勝、3年目は15勝と、だんだん勝ち星を伸ばしていって、2004年には30勝を上げていましたし、その後も毎年20勝以上していますね。

また、手塚君の厩舎は、ベルグチケットを使った1999年のフェアリーSで初めて重賞を勝っていますし、その後も、アイルラヴァゲインを使った2007年のオーシャンSや、アルフレードを使った2011年の朝日杯FSや、アイムユアーズを使った2012年のフィリーズレビューとクイーンSや、アユサンを使った2013年の桜花賞や、アジアエクスプレスを使った2013年の朝日杯FSなど、今までに、GIの3勝を含めて重賞を20勝しています。

2013年は、アユサンやアジアエクスプレスの活躍などで、「27勝・獲得賞金6億7031万円」という成績を残していました。

それに、去年までの3年間も、
2015年→36勝・獲得賞金6億8207万円
2016年→31勝・獲得賞金6億5568万円
2017年→38勝・獲得賞金6億8707万円
という成績を残していましたし、特に去年の数字は、勝ち星と賞金のどちらも、開業してから一番の数字です。

ただ、今年に入ってからは、セダブリランテスで中山金杯を勝っているものの、他の重賞を勝てていないことなどが原因で、先週までの成績が、「19勝・獲得賞金4億5816万円」に留まっていますので、今の手塚君は、「このままではマズイ」と思っているのでしょうね。

こういった中、今週、彼の厩舎は、1着賞金が3900万円の京成杯AHにヤングマンパワー、3500万円の紫苑Sにマウレアと、賞金の高い重賞に2頭を登録してきましたから、どちらも気合いを入れて仕上げてくると私は見ています。

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手塚貴久厩舎が登録している、京成杯AHのヤングマンパワーと、紫苑Sのマウレアについて、「元調教師のNさん」から届いた報告は以上です。

また、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(のりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(よういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

★ 元JRA馬主・小栗範恭(のりやす)のブログはこちら ★

★ 元JRA調教師・山田要一(よういち)のブログはこちら ★

★ 元JRA調教助手・鎌田光也(みつや)のブログはこちら ★

では、また次回。

小西聖一でした。