京都2歳Sで、パイロットを目指していたT先生が勝負懸かりの訳 | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

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全国の競馬ファンの皆さん、おはようございます。
小西聖一と申します。



手塚貴久厩舎のロードライト(牝2歳・父ヴィクトワールピサ、母パパラチア)は、次走の予定が、12月16日(土)のつわぶき賞(中京の芝1400m)ですね。

この馬は、11月19日(日)の新馬戦(東京・芝1400m)で、スタートを上手く決めて4番手に付けると、道中はキッチリ折り合ってレースを運んで、直線は内から押し上げて、残り200m辺りで、内から並んできたマートルリースとの一騎打ちに持ち込んで、最後はクビ差で勝ち上がりました。

ロードライトを管理している手塚先生は、皆さんもよく知っている通りで、アルフレードを使った2011年の朝日杯FSや、アジアエクスプレスを使った2013年の朝日杯FSとアユサンを使った桜花賞など、今までに、重賞を19勝、通算で451勝(JRAのみ)という実績を残しています。

また、今までの重賞19勝の内、11勝が2歳と3歳のレースですから、若駒の仕上げを得意にしていることがよく分かりますね。

そして、手塚先生は、ロードライトの上の2頭を預かっていましたけど、この2頭は、

シグナルアロー(牡・2012年生まれ・父ハービンジャー)→12戦1勝
パステルモーブ(牝・2013年生まれ・父ダイワメジャー)→7戦0勝

という成績に終わってしまいましたから、先生は、ロードライトに「お姉さんやお兄さんの分も活躍して欲しい」という気持ちを込めている筈ですよ。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。


馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、栗東の高橋義忠厩舎が京都2歳Sに使うマイハートビートについて、私の頼もしい仲間の一人、「元調教師のHさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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高橋義忠君は、2011年に調教師を引退した高橋成忠(しげただ)さんの息子さんですな。

成忠さんは、乗り役時代に、ヒカルポーラで1963年の天皇賞・春と宝塚記念を勝つなど、エエ成績を残しとって、シーエースで桜花賞を勝った1967年には、騎手リーディングになっとったんや。

調教師になってからも、メイショウバトラーを使った2006年のプロキオンS、メイショウサムソンを使った2007年の天皇賞・春と天皇賞・秋とか、重賞を16回も勝っとりましたな。

義忠君が、調教師になろうと思うようになったんは、もちろん、親父さんが乗り役や調教師をやっとったからやけど、元々、義忠君は飛行機が好きで、大学では、経済学を学びながらパイロットを目指しとったそうや。

けど、その前に、「色々な世界を見たい」と思って親父さんに相談したら、「海外で馬を見てきたらどうや?」と勧められたんで、イギリスに行っとりましたな。

向こうでは、英語の勉強をしながら、マーク・プレスコット厩舎でたくさん馬のことを教わって、その奥深さに惹かれて「競馬の世界もエエもんやな」と思ったんが、馬の世界に進んだ一番の理由やそうですわ。

日本に戻ってからは、1994年に競馬学校の厩務員課程に入って、次の年の1月から吉岡八郎厩舎の厩務員になって、1996年の6月からは調教助手をやっとりました。

義忠君がおった頃の吉岡厩舎には、1994年の京都大障害・秋(今の京都ジャンプS)を勝ったタイヤンや、1997年の中山大障害・秋と1998年の東京障害特別・秋(今の東京ジャンプS)を勝ったケイティタイガーや、1998年の阪神障害S・秋(今の阪神ジャンプS)を勝ったレガシークレストなど、障害の重賞を勝った馬が何頭もいましたな。

そんでもって、1999年の10月からは、成忠さんの厩舎の調教助手になって、調教師の試験に受かった2011年まで、ずっとそこで経験を積んどったし、その頃、親父さんの厩舎には、2001年のシンザン記念と2003年の新潟記念を勝ったダービーレグノや、さっきも書いた、メイショウバトラーやメイショウサムソンがおって、こういう走る馬を何頭も間近で見てきたんですわ。

で、義忠君は、2011年の3月に自分の厩舎を開業したんやけど、決まったんが、その年の1月半ばやったんで、開業するまでの間は、2日に一回は飛行機で北海道に行って馬を集めとりましたな。

その甲斐もあって、義忠君は1年目に、「11勝」を上げて「1億3982万円」の賞金を稼いどったし、2014年には、クリノスターオーを使った平安SとシリウスS、サンレイデュークを使った東京ハイジャンプと、重賞を3つも勝って、「31勝・獲得賞金6億2234万円」っちゅう、開業してから一番の成績を残せたんやから、きっと彼は、「今までの経験を活かせた」と喜んだんやろう。

そんで、一昨年の義忠君は、サンレイデュークを使った阪神スプリングジャンプ、クリノスターオーを使ったアンタレスS、シャトーブランシュを使ったマーメイドS、メイショウスザンナを使ったクイーンSと、重賞を4つも勝って、全体で「21勝・獲得賞金5億1177万円」っちゅう成績を残しとりました。

せやけど、去年は、重賞を1つも勝てず、「27勝・獲得賞金4億4458万円」っちゅう成績に終わってしもうたんで、今年の義忠君は、「必ず巻き返したい」と考えとる筈や。

そんで、今年は、ファインニードルでセントウルSを勝つとか、先週までの成績が、「20勝・獲得賞金4億4879万円」っちゅうもんで、もう去年の賞金を上回っとるんやけど、2014年の数字を超えるには、あと「1億7357万円」を稼がなアカンので、今の義忠君は、「賞金の高い重賞レースを勝って、もっとペースを上げたい」と考えとるんでしょうな。

そんな中、今日は、1着賞金が3300万円の京都2歳Sにマイハートビートを使うんで、ワシが義忠君やったら、この馬を全力で仕上げますわ。

せやから、22日(水)の最終追い切りの様子をじっくり確認したところ、Cウッドに入れられて、4Fが52秒1、終いの1Fが12秒5っちゅう時計を馬なりで出しとりました。前を走っとったホーリーカバージョ(2歳未勝利)を1秒7追い掛ける形で、ゴーサインが出るとすぐに追い付いて、最後はコンマ3秒先着しとったわ。

前走の後は、厩舎でジックリ乗り込んどるんで、今週は軽めの内容やったけど、素軽い脚捌きをしとったし、追い切った後の歩様もスムーズやったんで、義忠君がキッチリ仕上げてきたんやろ。

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高橋義忠厩舎が京都2歳Sに使うマイハートビートについて、「元調教師のHさん」から届いた報告は以上です。

また、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(のりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(よういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

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では、また次回。

小西聖一でした。