ジャパンCと京阪杯を勝てば、1998年の数字を超えられますから | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

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全国の競馬ファンの皆さん、こんばんは。
小西聖一と申します。



札幌2歳Sを勝った二ノ宮敬宇(よしたか)厩舎のロックディスタウン(牝2歳・父オルフェーヴル)は、次走に予定している12月10日(日)の阪神ジュベナイルFに向けて、今朝、追い切りをやっていましたね。

南ウッドに入れられて、5Fが67秒5、終いの1Fが12秒9という時計を馬なりで出していました。

アドバンスマルス(2歳未勝利)をコンマ5秒追い掛けて、鞍上のゴーサインが出ると、抜群の反応で一気に並び掛けて、最後はコンマ4秒突き離していましたし、追い切った後の息の入りも良く見えましたから、ここまでは順調に来ていると思いますね。

ロックディスタウンを管理している二ノ宮先生は、東京農業大学を卒業した後、しばらくの間は会社勤めをしていて、1978年から、朝日杯3歳Sとダービーを勝ったメリーナイスや、菊花賞を勝ったアカネテンリュウなどでお馴染みの、橋本輝雄厩舎で調教助手をやっていました。

それから二ノ宮先生は、1990年に調教師の試験に受かって、その年に自分の厩舎を開業しています。

先生は、凱旋門賞で2着に入った2頭、エルコンドルパサーとナカヤマフェスタを管理していたことで知られていますけど、ディーマジェスティを使った去年の皐月賞とセントライト記念と共同通信杯や、キャットコインを使った一昨年のクイーンCや、ショウナンアデラを使った2014年の阪神ジュベナイルFなど、2歳と3歳の重賞もたくさん勝っているように、若駒の仕上げも得意ですね。

それに、ディーマジェスティは、引退して種牡馬になることが決まって、昨日、競走馬登録を抹消されましたから、きっと、今の先生は、「ディーマジェスティの分を、ロックディスタウンで稼ぎたい」と考えている筈ですよ。

ですから、私は、二ノ宮先生がレースまでにロックディスタウンをどう仕上げてくるのかしっかり確認して、阪神ジュベナイルFの馬券に活かしたいと思っています。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。


馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、
5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属
といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、栗東の浅見秀一厩舎が登録している、ジャパンCのレインボーラインと、京阪杯のアットザシーサイドについて、私の頼もしい仲間の一人、「元調教師のIさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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浅見秀一君は、親父さんが1997年まで調教師やった浅見国一(くにいち)さんで、国一さんは、乗り役やった時に、ハイレコードに乗った1950年の菊花賞や、コマヒカリに乗った1958年の菊花賞とかを勝っとって、二度、関西リーディングになっとりました。

それに、調教師になってからも、ヤマピットを使った1967年のオークスや、ケイキロクを使った1980年のオークスや、ヤマニンパラダイスを使った1995年の阪神3歳牝馬S(今の阪神ジュベナイルF)など、重賞を42勝もしとりましたな。

そんで秀一君は、1973年に浅見国一厩舎で騎手候補になったんやけど、結局、乗り役にはならんで、1977年に調教助手になって、1992年に自分の厩舎を開業するまでの15年間、親父さんの厩舎で経験を積んどったんですわ。

国一さんが定年で引退した1997年の2月には、開業してから6年目やった秀一君が、共同通信杯4歳Sなどを勝っとったメジロブライトを引き継いで、この馬を使った1998年の天皇賞・春が、彼にとって初めてのGI勝ちになって、この年は、25勝を上げて、今までで一番多い「9億1419万円」の賞金を稼いどったんや。

それからも、ヤマニンシュクルを使った2003年の阪神ジュベナイルFや、ソングオブウインドを使った2006年の菊花賞や、レジネッタを使った2008年の桜花賞とかを勝っとって、今までに、GIの4勝を含めて重賞を全部で22勝しとります。

一昨年の秀一君は、25勝を上げて、「4億2694万円」を稼いどったんやけど、1998年と比べたら物足りない数字やったんで、去年の秀一君は、「キッチリ巻き返さなアカン」と考えとったんやろうし、実際に去年は、レインボーラインを使ったアーリントンCで2年振りに重賞を勝つなど、「23勝・獲得賞金6億2913万円」と、久々に6億円を超えられたんですわ。

そんで、今年に入ってもその勢いは続いとって、サングレーザーを使ったスワンSを勝つなど、先週までに「25勝・獲得賞金6億1247万円」っちゅう成績を残しとって、勝ち星は去年の数字を上回っとるし、賞金も上回るのはほぼ確実なんやけど、1998年の賞金を超えるには、あと「3億0172万円」を稼がなアカンのですわ。

せやから、今の秀一君は、「賞金の高いレースを勝って、1998年の数字を超えたい」と考えとる筈やし、今週は、1着賞金3億円のジャパンCにレインボーライン、1着賞金3900万円の京阪杯にアットザシーサイドを登録しとるんやから、どっちも全力で仕上げてくる筈やで。

それに秀一君は、さっき書いた通り、今までに重賞を22回も勝っとるんやけど、GIは、レジネッタを使った2008年の桜花賞から9年以上もご無沙汰しとるんで、ジャパンCに登録しとるレインボーラインには、「久々にGIを勝ちたい」っちゅう思いも込められとるんやろ。

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浅見秀一厩舎が登録している、ジャパンCのレインボーラインと、京阪杯のアットザシーサイドについて、「元調教師のIさん」から届いた報告は以上です。

また、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(のりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(よういち)さんや、元JRA調教助手の鎌田光也君のブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

★ 元JRA馬主・小栗範恭(のりやす)のブログはこちら ★

★ 元JRA調教師・山田要一(よういち)のブログはこちら ★

★ 元JRA調教助手・鎌田光也のブログはこちら ★

では、また次回。

小西聖一でした。