誠覇ブログ。 -38ページ目

死にざまってのは最期の最後の落としまえだ。生きざまあっての死にざまだ。

「死にざまってのは最期の最後の落としまえだ。生きざまあっての死にざまだ。
俺の武士道は俺の生き様で示す!」by土方歳三


「無頼」(岩崎陽子先生)より。


新撰組結成直後の不安定な時代。

芹沢一派と近藤一派とは、いろいろ揉め事がありました。


そんな中、隊服問題が発生。

隊服を作ろうという土方さんと、不要(あるいは全身黒にするべき)という芹沢さんが揉め、

派閥の外にいる斎藤さんが決定することになりました。


芹沢さんの士道と土方さんの士道は一致するものではありません。


たまたま斎藤さんが行った居酒屋に、土方さんが先客でいました。

そこで斎藤さんは尋ねます。


「土方さんの士道とは?」


それに対しての土方さんの答え・・・


「死にざまってのは最期の最後の落としまえだ。生きざまあっての死にざまだ。
俺の武士道は俺の生き様で示す!」


これは芹沢さんの「いかに武士らしく死ぬか」という士道に

対抗したものだといえますね。


この模様は「無頼」1巻にあります(^^)


名作「無頼」、未読の方はぜひぜひ読んでくださいね!

「つ、妻に謝ったりしてはいけません!総司さま!」

木原敏江先生の「天まであがれ!」のヒロイン(?)

こよりちゃんのセリフです(^^)


結核を病み、療養中の沖田総司。しかし、病状は一向によくなりません。

死を覚悟した沖田さんの目の前に現れたのは・・・


鳥羽・伏見の戦いで亡くなったと思われていたこよりちゃんでした!


二人は心通じ合っているのに・・・一緒になることは出来ませんでした。


「ごめん。とうとう何にもしてあげられなくて」

「妻に謝ったりしてはいけません!総司さま!」


このあたりがねぇ・・・

読んでいて泣けるんです。


この作品、昭和50年の作品ということで(^^;)

当時は人気が出なかったそうですが、私は

大好きな作品です。

「俺はよ、あの目越えてぇんだ」 by 土方歳三

舞台「歳三」の中の一節です(^^)


時は元治元年。

新撰組は浪士狩りの手をますます強化します。


それにより山南さんと土方さんの仲も悪化することに。


ある日、新撰組は1人の志士を捕縛。

それが古高俊太郎です。


土方さんは古高に拷問を加え、浪士たちの計画をつかみます。


しかし、その拷問の仕方に山南さんは異議を唱えます。

「土方君、君は人間か?!!」


それに対しての土方さんの答え・・・


「俺はよ、あの目越えてぇんだ」


あの目・・・というのは、文久3年の春に上洛した際、

土方さんと山南さんは1人の浪士に出会います。


その浪士は、羽織袴に変な靴をはき、土佐弁を話す志士。

その彼の目が、土方さんにはとても強く焼きついていたのです。


山南さんとの「無駄な」議論を打ち切り、土方さんは

立ち上がり叫びます。


「新撰組、出陣!」


彼らは三条小橋の池田屋に向かうのでした。


この独り語り「歳三」は、島田ひろしさんという方が独りで演じられました。

舞台には

土方歳三・沖田総司・近藤勇・山南敬助・市村鉄之助・佐藤彦五郎・榎本武揚・大鳥圭介。


島田さんは全ての役を演じられます。


本当に素晴らしい舞台でした!(><)/


「悔いはない」 by永倉新八

池波正太郎先生の「幕末新選組」からの引用です。

幕末新選組


激動の幕末を駆け抜けた新撰組。

その結成時から甲州戦争まで在隊し、その後も戦い続けた

永倉新八。


明治になってからの彼は、板橋の新撰組慰霊碑を建てたりするなど

同志の顕彰につとめました。


作品の最後、彼は「悔いはない」という言葉を残して亡くなりました。


自伝的な「新撰組顛末記」や「浪士文久報国記事」は

現在でも愛読されています(^^)


吾不近藤昌宜倶死者、欲一雪故主冤耳、令則己矣、万一遭赦、何面目見昌宜於地下耶。

土方歳三の史実のセリフです。


「私が近藤とともに死ななかったのは、ひとえに主の冤罪をそそぐため。

万一許されることがあれば、死んでしまった近藤勇にどうやって会うことができようか」


箱館戦争時代、蝦夷共和国が官軍に降伏するのでは?という

話を聞いての土方さんの発言です。


函館に行きたくなります!

新選組副長土方歳三 by土方歳三

司馬遼太郎先生の「燃えよ剣」から(^^)


箱館戦争も終盤。蝦夷共和国の敗色も濃厚。

あとはいつ、どのタイミングで降伏するか・・・という状態でした。


が、降伏や和議をよしとしない土方さんは

五稜郭から出陣します。


市の中心部から抜け出し、栄国橋までやってきます。

そこで官軍兵に「どこへ行くのだ」ととがめられます。


「参謀府へ行く」


「名を何と申される」


ここで一瞬、土方さんは迷います。

正式には「蝦夷共和国陸軍奉行並 土方歳三」なのですが、

なぜか土方さんは


「新選組副長 土方歳三」と名乗ります。


馬で駆け抜けようとした土方さんを

銃撃が襲いました。


明治二年五月十一日。土方歳三没。

その日は雲ひとつない晴天だったとか。

死ねば・・・たれが香華をあげてくれるのだろう by沖田総司

司馬遼太郎先生の名作「燃えよ剣」からの引用です(^^)


大政奉還後、新撰組は京の屯所を追われ

鳥羽・伏見の戦いの後、伏見奉行所も追われ。


大坂から江戸へ引き上げた後、仲間の隊士たちは甲州戦争へ。


沖田さんは療養生活を送っていました。


やがて身の回りの世話をしてくれていたミツ姉さんも

新徴組の庄内引き上げのために、江戸を去ることに。


皆が自分の周りから去っていくことに対しても

明るく振舞う沖田さん。


自分の死を意識しながらも、慌てることなく

平常心であろうとします。


そんなとき、寝床から梁を見つめながら

ふと彼は考えました。


「死ねば・・・たれが香華をあげてくれるのだろう」


毎年、沖田さんのお墓には沢山の人がお参りし

沢山の献花がされています。


慶応四年五月三十日、沖田総司没。

享年二十七歳。




今度だけはこの試衛館を離れて一人ででも行きたい。土方君、行かないか!京へ!!!

今日のお気に入りは、「あさぎ色の伝説」から山南さんのセリフです。

文久二年末。浪士組結成の知らせを山南さんが試衛館に持ってきました。


山南さんは、真っ先に土方さんにこの知らせを見せます。

いつもは常に論争しているこの二人ですが、お互いに認め合っているのでしょう(^^)


山南さんは土方さんに訴えます。

「今度だけはこの試衛館を離れて一人ででも行きたい。土方君、行かないか!京へ!!!」


あまりにも熱い山南さん(><)


この「あさぎ色の伝説」ですが、絶版ですね(^^;)

古本屋さんで見かけたら躊躇せず買ってみられては

いかがでしょうか(^^)


私も某古本屋で買いました。プレミアついていましたよ(^^;)


芹沢筆頭局長はこの近藤にとって局中二ツなき命!!

園田光慶さんの「真説新選組」からの引用です。


新撰組結成後、わりとすぐの話です。


勝海舟らの陰謀で新見錦が斬殺されました(まあ斬っちゃったのは

芹沢さんなんですけどね)。


水戸派の隊士たちは、勝への復讐に燃え必死に捜索します。

いよいよ勝を発見し襲撃するのですが、そこには強力な護衛がいました。


その護衛の名は岡田以蔵。


陰には坂本龍馬も動いていることを見抜き、

龍馬の居場所へ襲撃をかけます。


しかし、そこに居たのは以蔵。

芹沢さんとの斬りあいが始まりますが、すぐに邪魔が入り

以蔵は逃走。


が、逃走した瞬間に奉行所の人間に捕縛されます。


「以蔵に会いたければ後から奉行所に来い」

奉行所の人間はそういって以蔵を六角獄に連れていきます。


後ほど、芹沢さんたち水戸派隊士は言われたとおり奉行所へ行き

六角獄へ案内されます。


しかし、これはまた勝・龍馬の罠。


六角獄にはかつて新撰組に捕縛された倒幕志士が沢山いるのですが

これらがすべて解き放たれ、芹沢さんたちに襲い掛かります。


そこへ助けに来たのが近藤さんでした!


水戸系・多摩系で争っているわけにはいかないんだ。

なぜなら、「芹沢筆頭局長はこの近藤にとって局中二ツなき命!」であるのだから。


この作品では、近藤さんは芹沢さんが大好きで大好きで

仕方ないんですよね(^^)

そして芹沢さんも近藤さんが大好きなんです。


ちょっと絵がとっつきにくいかもしれませんが、私は大好きな作品です!

知れば迷い 知らねば迷わぬ恋の道 by豊玉(土方歳三)

司馬遼太郎先生の「燃えよ剣」からの引用です(^^)


多摩にいたころから土方さんは俳句を詠むのが好きでした。

号は豊玉(^^)


京に上り、鬼の副長となった土方さん。彼はなぜか月に一度は

自室に篭って、他の隊士の入室を許しません。


隊士たちは、また誰かが粛清されるのかとおびえています。


そんな副長の自室に入っていける男は彼しかいません。

そう、沖田総司(^^)


沖田さんは土方さんの作品を見て「下手だな~」と思いながらも

誉めてあげます。


で、ある一句が目に留まりました。

それが今日のお気に入りです。


知れば迷い 知らねば迷わぬ恋の道


意味深ですね~(^^)


ちなみに、土方さんが俳句好きだということは実話で、

現在も「豊玉発句集」という、多摩時代に作成された発句集が

土方歳三資料館に現存しております。


なお、この句は司馬遼太郎さんがオリジナルの句を

アレンジしたものです。


オリジナルは

「知れば迷い、しなければ迷わぬ恋の道」です(^^)


・・・季語はありませんが(^^;)