誠覇ブログ。 -39ページ目
<< 前のページへ最新 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39

兵は「神速」を貴ぶといいます故 by 近藤勇

渡辺多恵子先生の「風光る」からです(^^)


ときは文久3年8月18日。いわゆる八月十八日の政変当日。

会津公からの伝令を受け、新撰組は御所の警備に向かいます。


しかし連絡の行き違いのため、御所を警備していた会津藩兵から

新撰組は引き取るよう言われます。


これに怒った芹沢さんが鉄扇を持って暴れている所へ

会津公用方の野村がやってきて、新撰組がもう駆けつけていることに

驚きます。

「伝令を立ててまだ半時しかたっていないのに」


それに対して近藤さんは笑顔で答えます。

「兵は『神速』を貴ぶといいます故」


この八月十八日の政変は、会津藩と薩摩藩が組んで

長州を京の政治の舞台から追い出したものです。


御所の警備に訪れた新撰組ですが、実際には戦闘にもならず

おとなしく次の日には屯所に引き上げました(^^)


なお、この際の活躍(?)により、「新撰組」の隊名が

与えられたという話です(^^)

私の用は済んだ。これで引きあげますが、御引止めになりますか? by 沖田総司

司馬遼太郎先生「新選組血風録」の「菊一文字」からの引用です(^^)

血風録


司馬先生の描く沖田さんは、本当に魅力的です。

明るくて、さわやかで(^^)


でも、本気で怒ると怖い・・・(^^;)


この作品で沖田さんはある名刀と出会います。

その名も菊一文字。


あまりの名刀がゆえに人を斬るのに使いたくなかった沖田さんは

浪士を1人、あえて斬らずに逃がしたことがありました。


しかし後日、沖田さんの身の回りの世話をしていた新撰組隊士が

沖田さんが逃がした浪士によって斬殺されます。


土方さんには「あの時、お前が斬っていれば」と責めらることに。


菊一文字を使って仇を討とう。

そう決心した沖田さんは、待ち伏せをします。


敵は数名。

沖田「戸沢鷲郎氏はおられますか?」

戸沢「何者だ」

沖田「新選組の沖田総司です」


戸沢は剣を抜こうとしますが、

その前に沖田さんが一撃で倒しました。


そして他の浪士に言い放ちました。

「私の用は済んだ。これで引きあげますが、御引止めになりますか?」


いや~かっこいいですね。


なお、沖田さんの刀が菊一文字であったというのはフィクションです(^^)

万一敵が「音」に殺到したら無音の奴は何を楽しむんだ by 斎藤一

渡辺多恵子先生の「風光る」からの引用です。


主人公おセイちゃんを助けるために、8人の浪士がいる古い寺に

突入することになった沖田さんと斎藤さん。


時は夜。

真っ暗な部屋に飛び込んで同志討ちになってもいけません。

そこで斉藤さんは考えました。持っていた木札2枚を結び

首からぶら下げると、カラコロと音がします。

これで、同志討ちを避けることが出来る~と。


しかし、どっちがこの木札をつけるのか。

音がする方へ敵が襲い掛かってくるのは当然です。


沖田さんは自分でつけると言ったのですが、

言いだしっぺの「俺がつける」ということになりました。


その際の斎藤さんのセリフが今日のお気に入りです。

いや~かっこいいですね(^^)


「風光る」はとても魅力的なキャラクターが目白押し。

未見の方はぜひ(^^)

赤穂浪士の討ち入りは四十六人で,目指す敵はたった一人だった。

「赤穂浪士の討ち入りは四十六人で、目指す敵はたった一人だった。

それから見ると五人ではどんなものでしょう」


司馬遼太郎先生の「新選組血風録」からの引用です(^^)

血風録

池田屋へ斬りこむ新撰組の近藤隊。

敵となる浪士の数は30人とも。


さすがに不安になった近藤さんは、どんなもんかな・・・と

総司に尋ねます。


その際の総司の答えが、今日のお気に入りです(^^)


なんか飄々としていますよね(^^;)

「じゃ、やめとくか」と近藤さんが言っていたら、歴史は

大きく変わっていたでしょう。


ただ、赤穂浪士の討ち入りも目的は1人でしたが

戦った相手の数は沢山いましたからね(^^)何人か知らないですが。


池田屋のあった場所は、三条小橋すぐそば。

現在では、とってもにぎやかな場所で、

土曜の夜なんか、若者であふれています。


落ち着いて池田屋址などを見ようと思う方は

早朝に行ってみてください(^^)


御用御改手向カイ致スニヲイテハ容赦無切捨ル・・・近藤勇

「浪士文久報国記事(永倉新八)」の中の一節。


元治元年六月。過激浪士の集会の噂を聞きつけ、

新撰組は祇園会所へ集合。

会津・桑名の藩兵がなかなか揃わない中、

近藤勇は、新撰組単独で過激浪士の探索を開始します。


やがて三条小橋の池田屋にたどり着きます。

「宿改めである」と伝えると、池田屋の主人は大慌てで

2階の浪士に新撰組が来たことを伝えようとします。


ここだ!


近藤勇は主人を殴り倒し、2階への階段を駆け上がり

浪士の集まっていた部屋へ突撃し


「御用御改手向カイ致スニヲイテハ容赦無切捨ル」と叫びました。


池田屋事変の始まりです。

池田屋

現在の池田屋址は、パチンコ屋さんです。

店内に入ると、ちょうどすぐ階段があるのですね(^^;)

皆さんも駆け上がってみてはいかがでしょうか(短い階段ですが)。



与志耶躯波。蝦夷門島辺珥。玖遅奴登母。魂波吾嬬廼。幾美耶万母羅牟。

今日のお気に入りは、土方歳三の辞世とされる歌からです。


これは万葉仮名で書かれておりまして、

「よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも魂は東の君や守らむ」と読みます。


歳三の辞世として「たとひ身は蝦夷が島根に朽るとも魂は東の君や守らむ」

という歌も知られております。微妙に違いますが、前者の方が正しいようです(^^)


この辞世を初めて読んだとき、とても感動しました。

北で戦う男の気持ちが伝わってきます。


2006年の正月ドラマでは、この土方さんが

見事に描かれてくれると思います(^^)

「今までに俺が一度でも・・・死んだことがあるか?」・・・土方歳三(「新選組」~黒鉄ヒロシ先生)

黒鉄先生の名作「新選組」からの一節。


箱館戦争を戦う新撰組。鬼神のような戦いぶりとは逆に、

土方さんの振る舞いは、鬼ではなく「母」のように優しくなってきました。


「局ヲ脱スルヲ不許」で有名な新撰組ですが、箱館戦争末期には

小姓市村鉄之助を、密命を与えるという名目で箱館を脱出させます。


そして、弁天台場で戦う隊士のために戦場へ出ようとする土方さんに

京からの同志島田魁が尋ねます。


「副長・・・死ぬ気なんじゃないでしょうね・・・」


死を前にして、人間は優しくなるなんて事を考えたのでしょう。


土方さんは笑って答えます。

「今までに俺が一度でも・・・死んだことがあるか?」


この時の土方さんの笑顔がとてもかっこいいんですよね。


「新選組」ですが、現在は文庫になっているようです。

とても面白いので、未読の方はぜひどうぞ(^^)新選組

天高く消えぬ言葉で彫り刻まれたもう遠い100年より昔の墓碑銘は青春という

木原敏江先生の名作「天まであがれ!」のラストのラストの文章です。


少し古めの少女漫画で、絵も目がキラキラしている感じなので

若い方は敬遠することがあるやもしれませんが(^^;)


これは名作だと思います。

読むたびに泣けてくるんですよね。


前日のブログと重なりますが、沖田さんは27歳で亡くなります。

老いることなく逝った彼、試衛館の仲間、そして新撰組の隊士たちには

青春しかなかったわけです。


この作品での沖田さんの死と土方さんの死は、

とても感動的です。


この作品は当時は人気がなかったそうで(^^;)

だから後半の展開はばたばたとしていたんですね。


でも、大好きな作品です。

「青春はおわった」・・・沖田総司   「燃えよ剣」司馬遼太郎~より

彼は病んだ体を横たえ、土方歳三とともにいた。


新撰組は不動堂の屯所を明日に離れるというこの夜。

屯所に残っていたのは、この二人だけであった。


歳三は総司の部屋へ机を持ち込み、恋人「お雪」への手紙を書く。


文久三年二月に上洛し、幕末の京を怒涛のように駆け抜けた新撰組。

時勢の流れに逆らえず、京を離れ伏見奉行所へ移ることになった。


伏見から京まではさして遠い距離ではない。

しかし、生きて戻ることはないだろう・・・そう総司は感じていた。


「青春はおわった」・・・27歳の若者が、心の中でつぶやいたこの言葉。

この数ヵ月後、彼は孤独の中で亡くなる。


彼に、わずかでも青春の時期があったであろうことが

我々の救いとなっている。


慶応四年五月三十日、沖田総司死亡。享年二十七歳。

<< 前のページへ最新 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39