兵は「神速」を貴ぶといいます故 by 近藤勇
渡辺多恵子先生の「風光る」からです(^^)
ときは文久3年8月18日。いわゆる八月十八日の政変当日。
会津公からの伝令を受け、新撰組は御所の警備に向かいます。
しかし連絡の行き違いのため、御所を警備していた会津藩兵から
新撰組は引き取るよう言われます。
これに怒った芹沢さんが鉄扇を持って暴れている所へ
会津公用方の野村がやってきて、新撰組がもう駆けつけていることに
驚きます。
「伝令を立ててまだ半時しかたっていないのに」
それに対して近藤さんは笑顔で答えます。
「兵は『神速』を貴ぶといいます故」
この八月十八日の政変は、会津藩と薩摩藩が組んで
長州を京の政治の舞台から追い出したものです。
御所の警備に訪れた新撰組ですが、実際には戦闘にもならず
おとなしく次の日には屯所に引き上げました(^^)
なお、この際の活躍(?)により、「新撰組」の隊名が
与えられたという話です(^^)
私の用は済んだ。これで引きあげますが、御引止めになりますか? by 沖田総司
司馬遼太郎先生「新選組血風録」の「菊一文字」からの引用です(^^)
司馬先生の描く沖田さんは、本当に魅力的です。
明るくて、さわやかで(^^)
でも、本気で怒ると怖い・・・(^^;)
この作品で沖田さんはある名刀と出会います。
その名も菊一文字。
あまりの名刀がゆえに人を斬るのに使いたくなかった沖田さんは
浪士を1人、あえて斬らずに逃がしたことがありました。
しかし後日、沖田さんの身の回りの世話をしていた新撰組隊士が
沖田さんが逃がした浪士によって斬殺されます。
土方さんには「あの時、お前が斬っていれば」と責めらることに。
菊一文字を使って仇を討とう。
そう決心した沖田さんは、待ち伏せをします。
敵は数名。
沖田「戸沢鷲郎氏はおられますか?」
戸沢「何者だ」
沖田「新選組の沖田総司です」
戸沢は剣を抜こうとしますが、
その前に沖田さんが一撃で倒しました。
そして他の浪士に言い放ちました。
「私の用は済んだ。これで引きあげますが、御引止めになりますか?」
いや~かっこいいですね。
なお、沖田さんの刀が菊一文字であったというのはフィクションです(^^)
万一敵が「音」に殺到したら無音の奴は何を楽しむんだ by 斎藤一
渡辺多恵子先生の「風光る」からの引用です。
主人公おセイちゃんを助けるために、8人の浪士がいる古い寺に
突入することになった沖田さんと斎藤さん。
時は夜。
真っ暗な部屋に飛び込んで同志討ちになってもいけません。
そこで斉藤さんは考えました。持っていた木札2枚を結び
首からぶら下げると、カラコロと音がします。
これで、同志討ちを避けることが出来る~と。
しかし、どっちがこの木札をつけるのか。
音がする方へ敵が襲い掛かってくるのは当然です。
沖田さんは自分でつけると言ったのですが、
言いだしっぺの「俺がつける」ということになりました。
その際の斎藤さんのセリフが今日のお気に入りです。
いや~かっこいいですね(^^)
「風光る」はとても魅力的なキャラクターが目白押し。
未見の方はぜひ(^^)
赤穂浪士の討ち入りは四十六人で,目指す敵はたった一人だった。
「赤穂浪士の討ち入りは四十六人で、目指す敵はたった一人だった。
それから見ると五人ではどんなものでしょう」
司馬遼太郎先生の「新選組血風録」からの引用です(^^)
池田屋へ斬りこむ新撰組の近藤隊。
敵となる浪士の数は30人とも。
さすがに不安になった近藤さんは、どんなもんかな・・・と
総司に尋ねます。
その際の総司の答えが、今日のお気に入りです(^^)
なんか飄々としていますよね(^^;)
「じゃ、やめとくか」と近藤さんが言っていたら、歴史は
大きく変わっていたでしょう。
ただ、赤穂浪士の討ち入りも目的は1人でしたが
戦った相手の数は沢山いましたからね(^^)何人か知らないですが。
池田屋のあった場所は、三条小橋すぐそば。
現在では、とってもにぎやかな場所で、
土曜の夜なんか、若者であふれています。
落ち着いて池田屋址などを見ようと思う方は
早朝に行ってみてください(^^)
御用御改手向カイ致スニヲイテハ容赦無切捨ル・・・近藤勇
「浪士文久報国記事(永倉新八)」の中の一節。
元治元年六月。過激浪士の集会の噂を聞きつけ、
新撰組は祇園会所へ集合。
会津・桑名の藩兵がなかなか揃わない中、
近藤勇は、新撰組単独で過激浪士の探索を開始します。
やがて三条小橋の池田屋にたどり着きます。
「宿改めである」と伝えると、池田屋の主人は大慌てで
2階の浪士に新撰組が来たことを伝えようとします。
ここだ!
近藤勇は主人を殴り倒し、2階への階段を駆け上がり
浪士の集まっていた部屋へ突撃し
「御用御改手向カイ致スニヲイテハ容赦無切捨ル」と叫びました。
池田屋事変の始まりです。
現在の池田屋址は、パチンコ屋さんです。
店内に入ると、ちょうどすぐ階段があるのですね(^^;)
皆さんも駆け上がってみてはいかがでしょうか(短い階段ですが)。
与志耶躯波。蝦夷門島辺珥。玖遅奴登母。魂波吾嬬廼。幾美耶万母羅牟。
今日のお気に入りは、土方歳三の辞世とされる歌からです。
これは万葉仮名で書かれておりまして、
「よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも魂は東の君や守らむ」と読みます。
歳三の辞世として「たとひ身は蝦夷が島根に朽るとも魂は東の君や守らむ」
という歌も知られております。微妙に違いますが、前者の方が正しいようです(^^)
この辞世を初めて読んだとき、とても感動しました。
北で戦う男の気持ちが伝わってきます。
2006年の正月ドラマでは、この土方さんが
見事に描かれてくれると思います(^^)
「今までに俺が一度でも・・・死んだことがあるか?」・・・土方歳三(「新選組」~黒鉄ヒロシ先生)
黒鉄先生の名作「新選組」からの一節。
箱館戦争を戦う新撰組。鬼神のような戦いぶりとは逆に、
土方さんの振る舞いは、鬼ではなく「母」のように優しくなってきました。
「局ヲ脱スルヲ不許」で有名な新撰組ですが、箱館戦争末期には
小姓市村鉄之助を、密命を与えるという名目で箱館を脱出させます。
そして、弁天台場で戦う隊士のために戦場へ出ようとする土方さんに
京からの同志島田魁が尋ねます。
「副長・・・死ぬ気なんじゃないでしょうね・・・」
死を前にして、人間は優しくなるなんて事を考えたのでしょう。
土方さんは笑って答えます。
「今までに俺が一度でも・・・死んだことがあるか?」
この時の土方さんの笑顔がとてもかっこいいんですよね。
「新選組」ですが、現在は文庫になっているようです。
天高く消えぬ言葉で彫り刻まれたもう遠い100年より昔の墓碑銘は青春という
木原敏江先生の名作「天まであがれ!」のラストのラストの文章です。
少し古めの少女漫画で、絵も目がキラキラしている感じなので
若い方は敬遠することがあるやもしれませんが(^^;)
これは名作だと思います。
読むたびに泣けてくるんですよね。
前日のブログと重なりますが、沖田さんは27歳で亡くなります。
老いることなく逝った彼、試衛館の仲間、そして新撰組の隊士たちには
青春しかなかったわけです。
この作品での沖田さんの死と土方さんの死は、
とても感動的です。
この作品は当時は人気がなかったそうで(^^;)
だから後半の展開はばたばたとしていたんですね。
でも、大好きな作品です。
「青春はおわった」・・・沖田総司 「燃えよ剣」司馬遼太郎~より
彼は病んだ体を横たえ、土方歳三とともにいた。
新撰組は不動堂の屯所を明日に離れるというこの夜。
屯所に残っていたのは、この二人だけであった。
歳三は総司の部屋へ机を持ち込み、恋人「お雪」への手紙を書く。
文久三年二月に上洛し、幕末の京を怒涛のように駆け抜けた新撰組。
時勢の流れに逆らえず、京を離れ伏見奉行所へ移ることになった。
伏見から京まではさして遠い距離ではない。
しかし、生きて戻ることはないだろう・・・そう総司は感じていた。
「青春はおわった」・・・27歳の若者が、心の中でつぶやいたこの言葉。
この数ヵ月後、彼は孤独の中で亡くなる。
彼に、わずかでも青春の時期があったであろうことが
我々の救いとなっている。
慶応四年五月三十日、沖田総司死亡。享年二十七歳。