小夜子と蓮の親しげな様子につい逃げてしまった。一度逃げてしまうとどうしていいかわからない。翌日から二人は3日間の地方ロケに行ってしまった。小夜子は部下だから社のもとへ報告が入る。2人とも仕事上では付き合っていることなど微塵もかんじさせないようにしているので、短い事務連絡だけに留めている。それでも報告を受ける社の微妙な雰囲気を感じ取っているようで小夜子の声は訝しげだ。小夜子たちが帰京する日には親族の不幸のために現場を離れた部下のかわりにマネジャーとして地方ロケに同行した。小夜子には事務連絡のさいにいれかわりで地方へ行くことをそれこそ事務的に話した。


そして、今日、社も帰京したのだ。


小夜子から会いたいとメールがあったが、遅い帰宅時間に託けて断ってしまった。明日も早いし疲れているからと。その後、ゆっくり休んでと返信があったが画面をみつめるだけでどう返信してよいかわからずそのままになっている。


疲れているのは本当だ。ロクに眠れていないし食欲もない。


頭に浮かぶのは小夜子の蓮を見る親しげな表情だ。


付き合おうとは言った。それに小夜子もいいわと言った。あんなんでいいのかと思えるような告白はした。ベッドの戯言とながされても仕方ないような代物だ。小夜子からは...何も言われていない。端々に『すき』がちりばめられている気がしていたが自分の勘違いだったんだろう。


嫌な想像がつきまとう。もしかして、またも蓮の身代わり?


いや、麻依と違って小夜子は蓮と直接会って行動をともにしている。身代わりなんて必要ない。あのプライドのおそろしく高い娘のことだ、欲しければ正攻法でいくだろう。でも、蓮にはキョーコちゃんがいる。だから諦めた?なんだかおかしい。だいたい、俺が蓮の身代わりになんてなるわけない。容姿、仕事の実力、仕事への真摯な態度、人柄、家柄(本人には重荷だったけれど)...蓮は何をとってもパーフェクトだ。身代わりならば同等かそれ以上でなければ意味がない。そうだ、麻依だって俺を身代わりになんてしてない、蓮コレクションの一部だったというだけだ。


考えれば考えるほど、自分ひとり舞い上がっていただけのように思えてならない。


そうだ、蓮の態度だっていつもと違う。2人には何か特別なものがあるように思える。俺と小夜子とは違って本物の何かが。待て、蓮、お前にはキョーコちゃんと愛娘がいるじゃないか。でも人は変わる...。キョーコちゃんも美人だが、小夜子とはまた違うタイプだ。小夜子だって蓮の横に並んで見劣りなんてしない。小夜子に言い寄られてNOといえる男がいるだろうか。


あぁ、くそっ!


これで今夜も眠れない。




「えぇ~本当ですかぁ、?!キスマークぅ?!」


「ほんと、ほんと。」


「そういえば、ここ最近は社チーフ楽しそうでしたもんね。」


「でしょう?私たちにも自分から話しかけてきたりさぁ。何かあるなと思ってたけど、彼女ができたみたいなんだよねぇ。」


「まっ、仕方ないですよ。いくらバツイチとはいえあの容姿に高収入、ヒトもいいなんて女がほっとくわけないですから。」


「あんた、社チーフのファンじゃなかったっけ?随分アッサリしてるじゃない。」


「他人のモノには興味ないんです。それに、今の優男風の社チーフは好みじゃありません。あの瞳の奥に影がある感じがスキだったんです。彼女ができて首元にキスマークなんて幻滅です!」


「えぇ、だってあの顔でハゲシイなんてツボじゃない?」


「なんですか、それ。それにハゲシイのはチーフじゃなくて彼女の方でしょう?つけたのは本人じゃなくて彼女の方なんですから。」


「はは、そういう見方もあるか。それにしても誰なんだろうね、キスマークの君は...」


噂好きなカフェのウェイトレスはコソコソと話していたが後輩と思われる方が小さく声をあげた。


「あれ、チーフですよね?!すんごく空気が淀んでるんですけど。」


先輩と思われるほうも振り向いて視線の先を追う。見るからに空気が淀んでいるのが遠目にもわかる。キスマークをつけていたのはつい数日前の話だ。いったいこの数日のうちに何があったのか。ウェイトレスたちの妄想が広がっていった。



☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*


短いから、もうちょっとしたらもう一つあげま~す


小夜子は一度、自分のマンションへ帰ってから直接、現場にきていた。事務所へ寄ってから社も現場へ合流する。小夜子はいつも通り有能なマネージャー振りを発揮していた。昨夜の痕を隠すために首元にスカーフを巻いているがそれを知っているのは社だけだ。奇妙な優越感が頭をもたげたが、ここは仕事場だ。いつも通りのポーカーフェイスを貼り付けた。


「蓮、お疲れ。あと少しだな。」

「社さん、お疲れさ...ま...です。」


おかしなところで言葉を切る蓮を不思議そうに社は見上げた。蓮の視線は社の首元に注がれている。


「どうかしたか?」


蓮は少し屈んで社の耳元で囁いた。


「クビ、ついてます。」


首?そりゃあついてるだろう、化け物じゃあないんだからと思ったのもつかの間、慌てて首を押さえた。


「違います、反対側です。」


蓮の指摘に社は真っ赤になって反対側の首を押さえた。蓮はからかう気満々でニヤリと笑う。


「イイヒトいるんですね。今度、紹介してください。」


口をパクパクして慌てている社なんて、そうそう見られるモノじゃない。遠くでスタッフと打ち合わせしていた小夜子がこちらをみてクスリと笑っていた。ギロリとひと睨みしてトイレへ向かう。鏡をのぞきこむと襟元から見えるか見えないかギリギリのところに綺麗なキスマークがあった。


蓮の身長だとしっかりと見えてしまったのだろう。でも、社が座ってしまえば背の低い女性からも見える。そう、事務所で向けられた意味ありげな視線はこれのせいだったんだ。首というより項に近い。髭をそる時にも気づかなかった。どう考えても確信犯だ。まさか、昨夜の復讐をこんな形でされるとは思わなかった。


とりあえず、いつもよりきつめにネクタイをしめるとどうにか見えなくなった。それも計算していたとしたらどれだけ小悪魔なんだと思わずにはいられない。してやられたという思いはあるがだからといってキライには到底なれそうもない。仕事場でこんな醜態を曝させられるなんて悪意があるといえばそうだが、昨夜の自分の行いを考えればこの程度の復讐はカワイイものだとも思う。そんな風に感じるなんてこれはもう完敗だななんて勝負事でもないのに白旗をあげたい気分だ。


どうにか気を静めて現場に戻ると、小夜子のスカーフを蓮がイタズラするように引っ張っていた。小夜子はまんざらでもなさそうな顔で笑っている。いや、まんざらどころではない。プライベートな素の笑顔だ。社の心臓はドクンと大きく音をたてた。


そうだ、アレは小夜子がひどい捻挫をしたときに蓮が抱き上げたときだった。あの時も小夜子は、小夜子だけでなく蓮もプライベートな顔を見せていた。そして今も。2人はスタジオのすみでセットの建て替えを待っていた。それは俳優とマネージャーなら至極当然の光景で、誰も二人には注目していない。スカーフに触れたのだって、ごくごく少しだけ。なのに、なぜあの2人は滅多に見せないプライベートな顔をしているんだ?小夜子のその顔は俺にだけ見せるはずなんじゃないのか?どうしていいかわからなくなった社は通りかかったスタッフに急用ができたからと伝言をしてスタジオをあとにした。