小夜子は一度、自分のマンションへ帰ってから直接、現場にきていた。事務所へ寄ってから社も現場へ合流する。小夜子はいつも通り有能なマネージャー振りを発揮していた。昨夜の痕を隠すために首元にスカーフを巻いているがそれを知っているのは社だけだ。奇妙な優越感が頭をもたげたが、ここは仕事場だ。いつも通りのポーカーフェイスを貼り付けた。
「蓮、お疲れ。あと少しだな。」
「社さん、お疲れさ...ま...です。」
おかしなところで言葉を切る蓮を不思議そうに社は見上げた。蓮の視線は社の首元に注がれている。
「どうかしたか?」
蓮は少し屈んで社の耳元で囁いた。
「クビ、ついてます。」
首?そりゃあついてるだろう、化け物じゃあないんだからと思ったのもつかの間、慌てて首を押さえた。
「違います、反対側です。」
蓮の指摘に社は真っ赤になって反対側の首を押さえた。蓮はからかう気満々でニヤリと笑う。
「イイヒトいるんですね。今度、紹介してください。」
口をパクパクして慌てている社なんて、そうそう見られるモノじゃない。遠くでスタッフと打ち合わせしていた小夜子がこちらをみてクスリと笑っていた。ギロリとひと睨みしてトイレへ向かう。鏡をのぞきこむと襟元から見えるか見えないかギリギリのところに綺麗なキスマークがあった。
蓮の身長だとしっかりと見えてしまったのだろう。でも、社が座ってしまえば背の低い女性からも見える。そう、事務所で向けられた意味ありげな視線はこれのせいだったんだ。首というより項に近い。髭をそる時にも気づかなかった。どう考えても確信犯だ。まさか、昨夜の復讐をこんな形でされるとは思わなかった。
とりあえず、いつもよりきつめにネクタイをしめるとどうにか見えなくなった。それも計算していたとしたらどれだけ小悪魔なんだと思わずにはいられない。してやられたという思いはあるがだからといってキライには到底なれそうもない。仕事場でこんな醜態を曝させられるなんて悪意があるといえばそうだが、昨夜の自分の行いを考えればこの程度の復讐はカワイイものだとも思う。そんな風に感じるなんてこれはもう完敗だななんて勝負事でもないのに白旗をあげたい気分だ。
どうにか気を静めて現場に戻ると、小夜子のスカーフを蓮がイタズラするように引っ張っていた。小夜子はまんざらでもなさそうな顔で笑っている。いや、まんざらどころではない。プライベートな素の笑顔だ。社の心臓はドクンと大きく音をたてた。
そうだ、アレは小夜子がひどい捻挫をしたときに蓮が抱き上げたときだった。あの時も小夜子は、小夜子だけでなく蓮もプライベートな顔を見せていた。そして今も。2人はスタジオのすみでセットの建て替えを待っていた。それは俳優とマネージャーなら至極当然の光景で、誰も二人には注目していない。スカーフに触れたのだって、ごくごく少しだけ。なのに、なぜあの2人は滅多に見せないプライベートな顔をしているんだ?小夜子のその顔は俺にだけ見せるはずなんじゃないのか?どうしていいかわからなくなった社は通りかかったスタッフに急用ができたからと伝言をしてスタジオをあとにした。