水曜日の続きになります。
今日は奈良の事代主系の神社と飛鳥の報告を。
高鴨神社と一言主神社でアイテム購入。
高鴨神社では、去年秋に買った「王朝雅御守り」の抹茶色バージョンを購入してきました。
二つ揃うと雅感が増し増しになってとってもいい。
写真では色合いが出ませんでしたが、綺麗な抹茶色です。
左の紙袋の方の高鴨神社の家紋に注目。
18菊花紋が水辺?から立ち上がる家紋なのですよ。
「18菊花紋の系統は私たちが産み出したのよ」と、とれませんか?
つまり女系の系統の主張だと思うのですよね。。。
前回の朱色のお守りの記事はこちら。
虫除けの本来の用途と外れている祈願がされてますが(笑)、今年はこれをつけてアウトドアします。
午後は飛鳥に移動。
実は今年も神社チャンネルの羽賀ヒカルくんの所の半年間講座を受講してます。
受講金額がすごく高いのと、スケジュールが全く合わず、ほぼオンライン受講になってしまうので、受講をためらっていたのですが、大神神社と長髄彦を最後にやるので、それで受講してしまった。。。
いまだに自分にとっては「長髄彦」はパワーワードですね。
聖徳太子がメインの講座なのですが、聖徳太子に関しては、関裕二さんの「聖徳太子は蘇我氏の複数の人物の組み合わせだった」説と、救世観音に関しては梅原猛さんの説をミックスした説になりそうなので、あまり興味はなかったのですけどね。
良い意味で私の予想を裏切った結論に持っていいって欲しいです。
救世観音は等身大の聖徳太子像と言われていて、明治にフェノロサによって封印が解かれるまで、お経が書かれた包帯でぐるぐる巻きにされていた。
法隆寺は聖徳太子の怨霊鎮めのための寺で、夢殿は聖徳太子の墓である、ということです。
実は今週末は華頂さんの講演会を拝聴するために、日帰りで大阪に行きます。
今年に入っていろいろなところに出没してるので、出費が凄いことになってるのですが(笑)、現文明のリセット(地球によってなされてしまうのか、人類が自らの手で自然(じねん)に沿った文明に転換できるか、2択です。)が近く、来年があるとは限らないので、チャンスが来たら全部拾ってます。
なので、まなビンボー(学びビンボー)状態wwwww
一緒に講演される方が聖徳太子について語るのと、TOLAND VLOGさんが華頂さんともつながっているのとで、講演会参加を決めました。
どんな話が聞けるのだろう(嬉)。
書ける範囲で共有いたしますので、乞うご期待。
で、聖徳太子ということは、飛鳥地方に焦点が当たります。
今回聖徳太子講座で注目なのは飛鳥坐神社。
車で行く方は、付近の道路事情が一通なので、運転にご注意ください。
ここも事代主の神社。
奈良は本当に事代主を祀っている神社が多い。
シュメールから流れてきた日向族のイワレビコ(神武)に国譲りする前の、日本の本当の統治者である大国主とその息子である事代主を奈良では祀っているのです。
飛鳥坐神社の由来。
って、小さくて読めないか。。。
御祭神は「八重事代主神、飛鳥神奈備三日女神、大物主神、高皇産霊神」
高皇産霊神が祀られていて「ムスヒ」の神なので、縁結びの神社でもある。
古神道の奥義「ムスヒ」。この辺もいつか書きたいです。
由来に気になる記載がありました。
「なお高市とは『うてなの斎庭』と呼ばれ、「小高い所にあるまつりの庭」を意味する」
ウテナって由緒ある大和言葉だったのですね。てっきり外来語だと思ってました。
「少女革命ウテナ」について、連続で書いてましたが、ウテナとは「小高い」、つまり名前自体が気高さを表していたのですね。
ウテナの無料配信は、1週間ごとに三話ずつ公開されてるようですので、興味がある方は最終回まで無料でご覧ください。
鳳暁生が本格的に登場する3部目は、物語が一気に進みます。
次は、聖徳太子生誕の地と言われる橘寺へ。
田んぼの端にあるのどかなお寺。
しかし飛鳥時代は大きな建物がたくさんあって、賑わっていたようです。
その都の大門の柱の跡。
橘ということは、橘逸勢の一族が関わっているんですかね???と思って調べたら。。。
飛鳥時代は藤原氏が日本に背乗りする前なので、橘氏が作ったお寺でも不思議ではない。
なんと橘氏は先王である「葛城王朝」の血を引く名家だった。
中臣氏に背乗りした、百済系なのか中華系なのかよく分からない藤原に疎まれるわけだわ。。。
血統が違うのだもの。
逸勢についてはこちら。
この日も濃い旅でした。
京都に戻るために橿原神宮駅に戻って、駅構内の立ち飲み屋でちょいと一杯。
カラスミが美味しかった。
特急や急行の時間待ちで、毎回利用させていただいてます。
書き始めたら想像以上に長くなったので、滋賀の紫式部と縁の深い石山寺はまた次回(汗)。