最近再び明治政府、明治維新について思うことがあり、書いてみようと思います。

 

 

まず大前提がこれ。

明治維新の背後が英国だった、という事実をNHKが認めている。

 

 

今週のNHK特集を見ていて「ついにこのことが表立って語られ始めたな」と思ったので、こちらについても書きます。

 

 

英国と幕府との激突、そして薩長(背後は英国)の裏切りで幕府が負けてゆく背景を描いていました。

途中から見たのですが、薩長が英国と結託して日本の革命と政権交代を成し遂げたことを割と率直に語った珍しいシリーズ。

 

 

今回は、仏教文化を破壊した、廃仏毀釈について。

むすび大学さんから。

 

 

 

まずは、大前提としての「神仏習合」について。

欽明天皇の時代に入ってきたとされる仏教だが、仏教をもたらした外国勢の狙いは日本支配。

しかし推古天皇の時、聖徳太子と蘇我馬子によって、もともとの日本の宗教である古神道と対立させることなく、日本社会に取り込まれてゆく。

聖徳太子が「三教義疏(さんきょうぎしょ)」をまとめて、日本仏教が作られた。

 

 

その後、天皇みずから仏教に帰依して、神仏習合を体現してゆく。

蘇我氏と物部氏も仏教が原因で対立したと記紀には書かれているが、蘇我氏は神社を大切にしていたし、物部氏もお寺を建立していた。

この辺は、去年の考察にまとめてあります。

 

 

 

ここからは動画の解説ではないのですが、天皇の即位の儀式は、孝明天皇までは真言密教の即位灌頂で行われていました。

 

 

 

江戸時代まで、天皇の即位式は真言密教の「即位灌頂」で行なっていました。

 

 

怨霊製造マシーンの藤原五摂家も、途中から天皇だけが受けるはずの即位灌頂を受けている。

そして途中から五摂家の一つの二条家が、天皇になる人物に伝授する方式に。

つまり天皇は五摂家が任命していたような図式になるのです。。。

 

ですがこの儀式は明治天皇のときに廃止。

 

 

天皇の即位式といえば現代では大嘗祭だと思いますが、こちらは歴史的に「やったり、やらなかったり」だったようです。

江戸時代中期からになって、毎回即位のたびに行われるようになりました。

 

 

 

庶民にとっては、神道の神さまは次元が高すぎて現世利益がない。

それに比べて仏教の天部の神様たちは、現世に近いので、現実を動かす力が強い。

 

 

動画の石川先生は、仏教の仏の種類がたくさんあるので、八百万の神を受け入れていた日本人には受け入れ安かったのではないかと推察されています。

実際、「本地垂跡」には「八百万の神々は、様々な仏が化身として日本に現れた権現である」とあり、神々と仏を合体させてゆく。

この辺が「日本人ならでは」の、いいとこ取りというか、白黒はっきりさせないというか、ある意味いい加減さが発揮されているなと(笑)。

 

 

 

 

1400年続いた神仏習合だが、明治政府が7ヶ月の間に発令した命令によって、突然終わりを迎える。

国家神道の確立のために発令された「神仏判然令」(神仏分離のこと)。

国家神道を一神教キリスト教のように扱いたかった思惑があった。

その内容としては、国家神道の宣教師の組織づくりを行い、「神社内の仏教に関わる建造物・仏像・祭祀に関わる道具・経典を破棄し」、僧侶は還俗して神官になれと。。。

 

昔は神社とお寺の区別はとても曖昧だった中で、これはとても乱暴な命令です。

中でも一番こっぴどくやられたのが、山形の出羽三山。

 

 

 

 

実は、明治政府はここまで激しく廃仏毀釈をする気はなかったのですが、庶民が暴走して過激に破棄してしまったようです。
その背後にあった心境としては、当時の庶民の感覚では、新政府が幕府に勝つということを全く想定していなかったことが背景にあり、「そんな政府に逆らったら何をされるかわからない」という恐怖で、過激になってしまったようなのです。
日本の庶民自ら過激に壊してしまったのですね。
ここは誤解していた点でした。政府が過激に行ったのだと思っていたので。。。
びっくりした明治政府は、明治9年に仏教復興の動きを見せる。
 
弱小だと思われていた新政府が勝てた理由は、欧州の武器商人の間で密約があったから。
彼らから買わされた武器に、そもそも性能の差がありすぎたからなのです。

この戊辰戦争は、英仏に仕組まれたものだった。

英仏とユダヤの武器商人の狙いは共通。アジアの金銀。

(当時アジアでは、金ではなく、銀が貿易決済に使われていました)

東北、つまり幕府側に莫大な金銀(南朝由来)があることを知った強欲な海外の武器商人たちは、幕府軍をわざと負けさせて、幕府軍の金銀を奪おうと考える。

薩長側には最新の武器、ミニエー銃を売りつける。

幕府軍には負けてもらうために、最新だと偽り旧式のゲーベル銃を売りつける。

売りつけられた武器で、既に勝敗は決していた。

ユダヤの強欲武器商人の嘘のせいで、実に多くの優秀な武士が散っていったのです。

そして、日本に莫大な金銀があることを知った強欲な欧米により、日本は明治維新で国際金融資本に取り込まれてゆくのです。

 
 
話を戻します。

ここまで廃仏毀釈が過激になった理由の一つに、新政府内にいた国学の派閥、平田派が推す「復古神道」の思想があったようです。

この辺の最新の議論が下記の本になります。

平田篤胤については、原田代表(原田武夫国際戦略情報研究所)からしょっちゅう聞いていた時期があて、50音図の秘密を探求し、今に至るきっかけになったので、いつか書いてみたいです。
 

動画に「江戸時代まで天皇の葬式は仏式だった」とありましたが、天智天皇からの歴代の天皇の位牌があるのが、京都の泉涌寺。

普段は公開されていませんが、特別公開されていた時に、歴代天皇の肖像画も見ることができました。

(天武天皇は系統が違うからなのか、祀られていません。。。)

泉涌寺はこんな感じのお寺です。
 

 

現在は、秋篠宮殿下が「泉涌寺を守る会」の総裁をされています。

敗戦で政教分離となり、宮内庁から天皇の菩提寺への予算が降りなくなり、一時期はかなりボロボロだったことは、泉涌寺のお坊さんからも聞いたことがあります。
こちらの記事で泉涌寺のことも書いてます。

 

 

 

 

石川さんによると、上皇陛下が退位後に泉涌寺に参拝されていますが、歴代天皇の御位牌に手を合わせることは叶わなかったそうです。

皇室は自分の先祖に手を合わせることも許されないのですね。。。

なんだか切ないです。

さすが皇室を監視し、自由にさせない宮内庁だけありますね。。。

法律と憲法でがんじがらめなのが、日本の天皇の真の姿ということです。

こちらの記事の時ですね。

 

 

それに対し、今上天皇は何かお考えがあるようで、泉涌寺参拝時に位牌に手を合わせることができ、1時間ほどゆっくりされていったそうです。

泉涌寺の別邸?のようなところで、別料金を払うと入場でき、陛下が休憩された部屋も見ることができます。

 
日本の庶民は完全解放されたのに、いまだに皇室を縛る神仏分離。
不思議ですよね。。。

 

 

 

「また新しいシリーズを立ち上げてしまった、、、完結してないシリーズがいくつかあるのに(笑)」、と思いつつ本日はここまで。

読んでいただきありがとうございました。