神社仏閣ブログになりつつあります(^^;

 

秋に京都の青蓮院に行く機会がありました。

こちらはお寺ですが天皇家との繋がりが大変深いです。江戸時代に天皇の避難所として使われ、栗田御所と呼ばれているそうです。

江戸時代の天明八年(1788年)に、大火によって御所が炎上しました時に、
後桜町上皇は青蓮院を仮御所としてご避難されました。
庭内の好文亭はその際には御学問所として御使用されたものであります。

 

「青蓮院 京都 天皇」でググると以下がトップに表示されます。

 

京都市東山区の古刹(こさつ)、青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)で第49代門主(もんす=住職)を務める東伏見慈晃(じこう)さん(76)は、天皇陛下といとこの関係にある。

 

上皇陛下と従兄弟関係にあるようです。

 

産経新聞曰く、

慈晃さんの父で先代門主の慈洽(じごう)さんは香淳皇后の実弟にあたり、陛下と慈晃さんはいとこ同士。

天台宗の祖、最澄(伝教大師)が延暦寺(大津市)に建てた僧侶の住まいを起源とする青蓮院は、皇室や摂関家の出身者で門主が受け継がれる門跡寺院。門跡寺院は明治政府の神仏分離令に伴う廃仏毀釈(きしゃく)により、門主の親王は全て門主を辞めさせられ、僧籍も剥奪された。この結果、皇室と仏教は分離され、今では多くが形だけの「門跡」になっている。そうした中、青蓮院は天皇家とのつながりが維持されている数少ない寺院のひとつだ。

 

天台宗密教(台密)は天皇家と大変ご縁が深く、明治前は歴代の天皇の位牌が延暦寺(般舟三昧院)にありました。

日本大百科全書(ニッポニカ)より

1595年(文禄4)豊臣(とよとみ)秀吉が伏見城下から現在地へ移転させた。江戸時代は朱印寺領150石。歴代二尊院住持の兼務であった。歴代天皇の位牌(いはい)を安置したが、明治時代に泉涌寺(せんにゅうじ)に移された。

 

今でも位牌あったりして。延暦寺は最近まで大改修してましたね。

 

 

 

 

「平成二十八年度から約十年をかけ大改修」とありました。

2017年に行ったことがあるのですが、確かに殆どが回収中で建物の外観が分からなかった(涙)。

散々歩き回った収穫が、角大師と開運の鐘だけだったような。。。

 

泉涌寺も立派なお寺ですね。行ったことないので、行きたいとこリストに追加しました。

 

 

泉涌寺は天台宗ではなく真言宗のお寺なのですね。

宗派違っていいのか??とGoogleにつっこんだところ、以下の回答。

https://www.env.go.jp/garden/kyotogyoen/1_intro/10__hiranosama.pdf

宗派は真言宗の泉涌寺派ということになりますが,泉涌寺は元々諸々の宗派を兼ねて学ぶ道場
という意味の諸宗兼学の道場としてスタートしています。
天皇家は代々,宗派が決まっていませんので天皇様や皇后様によって御宗旨が違います。
その時の天皇様が御信仰されていた御宗旨に基づいて泉涌寺は今も諸宗兼学の精神で
各宗の読経や法要も修行しますが,明治時代に入って新政府より
「これからは何々宗派と決めてくれ」
とお布令が出まして,たまたまその時,明治天皇のお父様である孝明天皇様が
真言宗を御信心だったのでその宗派になったという訳です。

泉涌寺が今日でも色々な宗派の修行&実践をしてるっていうのも凄いですが、天皇家ってその時々で宗派違ってたのですね。

何気に凄い事実です。

天皇家=神道のイメージが今では強いですが、明治時代までは天皇家=天台密教ないし真言密教、だったという。。。

 

話が色々飛びましたが(^^; 、青蓮寺に話を戻します。

https://www.env.go.jp/garden/kyotogyoen/1_intro/17__higashifushimisama.pdf

しかし, 明治政府は天皇の一族が仏門に入ることは罷りならぬということで,
親王の門主を全部辞めさせ僧籍を剥奪しました。
今では考えられないくらい無茶苦茶なことをした訳です。
朝彦親王の人生は波瀾万丈でした。
孝明天皇の寵が篤く,孝明天皇の側近としてお仕えしていましたが,
崩御後当時の公家たち,三条実美・岩倉具視などとは相対する立場であったため,
広島に幽閉され,最後は伊勢神宮の祭主に任ぜられ,伊勢の神宮皇學館(
現在の皇學館大学)を起こすなどに尽力しました。
最後は伊勢で終わりましたが,明治政府が新しく発足するにあたっては ,
久邇宮(く に の み や)という中心的な宮家の初代になりました。

維新後の明治政府と、公家の対立構造が見えてきます。日本の国体を潰そうとする西洋国家の意図がだだ見えですね。

日本の国体を考えると宮家ってとっても大切です。日本を影から支えていたとも言えますね。

羽賀ヒカル君の神社チャンネルで去年の12月に物理学者の保江先生が色々語っておられました。

(余談ですが矢作先生のことも好きなのですが、矢作先生は前世安江先生の子分?だったみたいなのが一番笑劇でした。)

 

三条実美といえば、明治天皇は白川神道を求めたようですが、三条実美によって阻止されたようです。

「そのような経緯を経て伯家神道は民間に知られることになりましたが、
一方で皇室とのつながりはなくなりました。明治時代に入って明治天皇から
太政(だじょう)大臣の三条実美(さねとみ)に『高濱清七郎を宮中へ呼ぶように』
と指示があったようですが、三条実美は高濱先生が亡くなったことにして
それに応じなかったそうです。
なお、明治初期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の流れの中、伯家神道に基づいて全国の神社を
再編しようという試みもあったそうです。
その一つが、造化三神と天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る神社を全国に造る
という計画でした。
しかし、高濱先生がいないからそれはできないということになったようです」
高濱清七郎を宮中へ招聘(しょうへい)しなかった理由は分からない。
だが、廃仏毀釈の流れが国家神道へつながり、さらに国家神道が後の大戦における
戦意高揚につながったことを考えると、おのずと察せられるだろう。

 

 

三条実美。。。悪いやつめ。。。ちなみにこんな顔。

 

 

ついでにちょっと実美について調べたら、私の大好きだったNHK大河ドラマ「西郷どん」関連の記事で彼の略歴が書かれてました。

公武合体でクーデター起こして失敗して、長州に左遷させられていたのですね。

ルサンチマンの塊になってた訳だからして、当然の行動だったと思われます。

 

 

ですが明治維新がなかったら、やはり西洋の属国になっていたのではないか?と思うので高い視点から見ると必要なことだったのでしょう。

ご本人は高貴な雰囲気を持った温和な方だったようです。何らかの信念があって、突き動かされたのでしょうね。

 

青蓮院について調べたら、芋づる式に色々出てきて話が飛びましたが、庭園は素敵ですし、襖とか屏風も国宝級ですし、なによりも撮影禁止な天皇の居間がすごかったです。

天然記念物の大きなクスノキの隣にある鐘は自由についてOKですし。

機会がございましたら、是非訪れてみてください。

 

長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。