神社仏閣ブログになりつつあります(^^;
秋に京都の青蓮院に行く機会がありました。
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「青蓮院 京都 天皇」でググると以下がトップに表示されます。
”京都市東山区の古刹(こさつ)、青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)で第49代門主(もんす=住職)を務める東伏見慈晃(じこう)さん(76)は、天皇陛下といとこの関係にある。”
上皇陛下と従兄弟関係にあるようです。
産経新聞曰く、
”慈晃さんの父で先代門主の慈洽(じごう)さんは香淳皇后の実弟にあたり、陛下と慈晃さんはいとこ同士。”
”天台宗の祖、最澄(伝教大師)が延暦寺(大津市)に建てた僧侶の住まいを起源とする青蓮院は、皇室や摂関家の出身者で門主が受け継がれる門跡寺院。門跡寺院は明治政府の神仏分離令に伴う廃仏毀釈(きしゃく)により、門主の親王は全て門主を辞めさせられ、僧籍も剥奪された。この結果、皇室と仏教は分離され、今では多くが形だけの「門跡」になっている。そうした中、青蓮院は天皇家とのつながりが維持されている数少ない寺院のひとつだ。”
天台宗密教(台密)は天皇家と大変ご縁が深く、明治前は歴代の天皇の位牌が延暦寺(般舟三昧院)にありました。
日本大百科全書(ニッポニカ)より
”1595年(文禄4)豊臣(とよとみ)秀吉が伏見城下から現在地へ移転させた。江戸時代は朱印寺領150石。歴代二尊院住持の兼務であった。歴代天皇の位牌(いはい)を安置したが、明治時代に泉涌寺(せんにゅうじ)に移された。”
今でも位牌あったりして。延暦寺は最近まで大改修してましたね。
「平成二十八年度から約十年をかけ大改修」とありました。
2017年に行ったことがあるのですが、確かに殆どが回収中で建物の外観が分からなかった(涙)。
散々歩き回った収穫が、角大師と開運の鐘だけだったような。。。
泉涌寺も立派なお寺ですね。行ったことないので、行きたいとこリストに追加しました。
泉涌寺は天台宗ではなく真言宗のお寺なのですね。
宗派違っていいのか??とGoogleにつっこんだところ、以下の回答。
https://www.env.go.jp/garden/kyotogyoen/1_intro/10__hiranosama.pdf
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泉涌寺が今日でも色々な宗派の修行&実践をしてるっていうのも凄いですが、天皇家ってその時々で宗派違ってたのですね。
何気に凄い事実です。
天皇家=神道のイメージが今では強いですが、明治時代までは天皇家=天台密教ないし真言密教、だったという。。。
話が色々飛びましたが(^^; 、青蓮寺に話を戻します。
https://www.env.go.jp/garden/kyotogyoen/1_intro/17__higashifushimisama.pdf
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維新後の明治政府と、公家の対立構造が見えてきます。日本の国体を潰そうとする西洋国家の意図がだだ見えですね。
日本の国体を考えると宮家ってとっても大切です。日本を影から支えていたとも言えますね。
羽賀ヒカル君の神社チャンネルで去年の12月に物理学者の保江先生が色々語っておられました。
(余談ですが矢作先生のことも好きなのですが、矢作先生は前世安江先生の子分?だったみたいなのが一番笑劇でした。)
三条実美といえば、明治天皇は白川神道を求めたようですが、三条実美によって阻止されたようです。
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三条実美。。。悪いやつめ。。。ちなみにこんな顔。
ついでにちょっと実美について調べたら、私の大好きだったNHK大河ドラマ「西郷どん」関連の記事で彼の略歴が書かれてました。
公武合体でクーデター起こして失敗して、長州に左遷させられていたのですね。
ルサンチマンの塊になってた訳だからして、当然の行動だったと思われます。
ですが明治維新がなかったら、やはり西洋の属国になっていたのではないか?と思うので高い視点から見ると必要なことだったのでしょう。
ご本人は高貴な雰囲気を持った温和な方だったようです。何らかの信念があって、突き動かされたのでしょうね。
青蓮院について調べたら、芋づる式に色々出てきて話が飛びましたが、庭園は素敵ですし、襖とか屏風も国宝級ですし、なによりも撮影禁止な天皇の居間がすごかったです。
天然記念物の大きなクスノキの隣にある鐘は自由についてOKですし。
機会がございましたら、是非訪れてみてください。
長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。