diary of trial and error (new title)

diary of trial and error (new title)

熱中していることを調べ書いております。(無収入で中立のブログです)。耐乏生活、直近の問題を文章で考えながら書いております。うつ気味の時はやる気なく更新が滞ります。イイネいただければ元気いただけます。(アメンバー専用(ア)のマークのは下書き未公開です

日常のこと、趣味のことを中心に書いております。間違った事、お恥ずかしい話もあると思いますが、半分自分のためにも書いておりますのでご容赦ください。(ひとりで書いてひとりで校正していて、投稿した後に読んで間違いに気づき、あわてて直しています。)

山陰での用事を済ませ、先週末横浜に着きました。

 

3月中旬の横浜郊外、この花があちこちに咲いています。

 画像検索で・・・ハナニラか???

 

 河原にも咲いています。

 

 空地に

 

 町工場の花壇にも

 

 

オオイヌノフグリも・・・

 

オオイヌノフグリ、45年前を思い出します。みどりの会という(緑化、植物、ハイキング)の会があり。卒業前の遠足で越生梅林に行き、足元にこの花がたくさん咲いていて、名誉顧問の教授が「これは何ていう植物なの?」と問われ、植物に詳しい数人が「オオイヌノフグリ」とつぶやいて、教授が「どんな植物?」と聞かれても皆だまってたんですが、この花をみると学生最後の頃を思い出します。(大きな犬のフグリってことで、返事に詰まったんでしょう)。。

 

 

鶴見川の土手を歩くとカラスノエンドウが咲いていて・・・

いろいろな植物で、草原の感じ。

 

 

---------------

(余談)

3週間程ぶりに横浜に帰って驚いたのは、ベランダの(排水の)黄色い粉でした(スギ花粉か?)

粒子が細かく均一、うすい黄色のきれいな粉ですが、家族2人がひどい花粉症で水で流して掃除しておきました。。

(関東地方は乾燥気味なので風で飛散しやすいのかなと・・)

------------------------

------------------------

 

近くのコンビニ前の広い道路脇の草です

 これどんな感じに成長するかな?と・・・

 (3月はじめ鳥取で撮った雑草達と比較してみます

 

 

 

山陰の街、朝外を見たら、夜のうち少し雪で山が白くなっていました。

 

 

 自動車のフロントガラスも雪で、屋根も雪で白くなってましたが・・・

 

 ウェザーニュース weathernews.jp より

 8:00現在の 実況 日照時間はこんな感じで

 

 

  裏日本(日本海側)と、表日本(太平洋側)。。

  (九州の福岡あたりも北が日本海に面していて日照少ないようです)

 

 (うまく書けず ボツ記事)

 

 

 

 

 

先週末、山陰に一時帰省し用事をこなしながら庭の掃除をしています。

 

しだれ梅が今年は剪定の時期が9月頃だったからか、よく咲きました。

 この梅の木はそんなに大きくなくて、これまで数えるほどしか花が咲かずで。

 これだけ咲いたのは初めて見た気がします。。

 

  (別の梅の木は花がほころび始めた感じです)

 

横浜を出発するときご近所のラッパスイセンの花は終わりに近かったです。

花の時期が少し遅い感じです。

早咲きの白いスイセンは終わりかけで、次のスイセンが咲き始め

 

 (カメラの設定が上手くなくて露出がアンダーっぽいです)

 

横浜を歩いて、こちらの草花を見て・・撮った写真を見て思うのは
 関東・横浜の土壌(土)は乾燥していて、風が吹くと表面が舞い上がり。草木に土埃がつく感じ。

 日本海側は積雪や降雨が多く湿潤で、土がしめっていて黒っぽく。風が吹いても表土が舞い上がらない。それで草木の葉がきれいです。

 

 (↓ 土の感じ )

  テレビで「今日は雨に注意」とかいうけど、

  雨が降らないと・・ダムの水位に関係するし、花粉が舞うんじゃないかなと

 

 

ヒマラヤユキノシタ??

ヒマラヤユキノシタは広がり過ぎるので植えてはいけない”とネット検索要約ででますが。なにも植えないと土だけ、雑草除けによさそうなのと、大きな葉で株も掘りやすそうなので除去はかんたんと思います。

 

  ↓ワスレグサの芽です。(昨年の枯枝は取り除いてました)

 

 

3月はじめ、庭や家の周囲の雑草をとってみてます。
雑草はまだ小さいけど根が浅く広がった状態で抜きやすいです。

 (土が一緒に付くので雨で流れるのを待ちます。

 

メヒシバ?オヒシバ?類の小さなのと、ホトケノザ、と、あと細い葉が沢山の草(調べてます)。

 

草とりを初めたのは、2023年の2月11日に日本の名庭園をNHKドキュメンタリーで観てからです、造園屋さんに「草をとること」「草とりは作務」といわれ、

昨年は2回生で、今年はやっと3回生になったとこです。

 

植物(雑草も)は一年が1サイクルと思われますが、

2サイクルの2回生ではまだわからず。

今年、3回目のサイクルを経験することに・・。

 草取りや庭についての自分の考えも知らない間に変わっていってます。

 来週あたり、横浜にいかねばなりません。。。

 

 (余談)
  関東では鉄筋コンクリート・アルミサッシの小さなマンションが、カビがひどくって参ります。

  サッシに結露がひどくて、一応水滴が流れてベランダに流れる穴がレールにあるけど

  ホコリで流れず。毎朝ガラスにたくさん結露。バス・トイレが密閉のため壁がカビて・・

   (玄関のドアが金属製で冷たいのでカビが生えやすいようです)

  冬場は晴れ続きで乾燥している関東地方でも、コンクリート・壁紙・アルミサッシで気密性が高く、

  生活で出る空気中の水分が窓ガラス・冷えたコンクリートの壁・鉄のドアで結露するのかなと・・    

     (余談おわり)

 

山陰に着きました。

出迎えてくれたのは、しだれ梅(シダレウメ)の花でした。(今年はいい感じに咲きました。)

 

横浜のアパートの前のスイセンは花がおわってましたが、山陰の庭のスイセンは咲いています。

庭の土を見ると、やっぱりいろいろな春の草が出始めています。ホトケノザとかメヒシバか?

 

山陽側の峠の休憩所にもホトケノザが出てましたが、峠を越えたら山にまだ雪がありました。街に着いても大型店の駐車場に除雪で積まれた雪がすこし残ってました。

毎日、ウォーキングで鶴見川まで歩いています。

最初は歩数ばかり気にしていたんですが、スマホは万歩計と(迷ったときに大事な)地図で、写真もとってます。

 

今月撮ったキラキラする川面の写真を見ていて。

(太陽を向いて水面をみると)水面がキラキラ光り、

太陽の位置、川の流れ(風でできる波)、見る場所、天候などで、川面が表情を変えます。

ほんのすこし移動するだけでキラキラの模様が変わります。

 

 

 

       

   (すこし移動)↓

 

 

     (曇りの日です)↓

 

 

                         夕暮れです。。

 

 

 

お医者さんの検査結果もあり横浜滞在中、できるだけ「目標1日1万歩」を目標で歩いています(数回道に迷いました)。

 

幸い横浜は晴れの日がほとんどで、鶴見川まで行って土手を歩きます。

土手を歩いていると、草(雑草)が気になり、、、

葦(アシ=ヨシ)、オギ、ススキ(カヤ?)もあり?・・・

なんだろうと・・・ 観てます。

 

冬場で枯れているんですが、春から秋、葉が緑で花が咲く頃に観察したいです。

 

穂の様子、背丈、水のある所と無い所、葉のつきかたを観ながら、スマホ画像検索かけるんですが、なかなか判別つきません。

 

ふかふかの綿毛があり、ススキのようですが、 芒(のぎ)の有無を観ないとと・・。

 

 ↓↓↓

 

 

 

 

葦かな~?? 葦の群落か??

 

(ウォーキングついでに近くに寄り)

水辺に群落をつくっています。

 

 

”ススキ、オギ、アシ(ヨシ)はイネ科の多年草で、乾燥した場所を好むのはススキ。水辺など湿った場所はアシやオギです。” (google ai 要約) とのことで

水辺に生えてるか?水の少ない土手か?、背丈、穂のようす、葉の感じ・・観てますが
 

   (水辺)

 

葦だとすると、、

パスカルの「人間は1本の葦にすぎない、自然界においてもっとも弱い葦である。しかし、それは考える葦である。」を思い出します。

 

フランス語 原文

 «L’homme n’est qu’un roseau, le plus faible de la nature, mais c’est un roseau pensant. 

 

un roseau 「葦」、(英語: リード a reed )

 

なんで「葦」にたとえたんか?? 諸説あるようですが・・ 

葦と思われる水辺の植物って、背丈が高く、穂がしっかりしててヒトの頭(こうべ)の感じ。水辺で頭を垂れている感じで。。(葦をヒトに例えたのもありかなと・・・)。

 

(たくさん写真撮ってるんですが、よいのを探せなくて、こんなのしか)

 

image

 

 

 (なんか、ネコが・・・)

 

 

 

 

 (やや小型、水辺ではなく 穂の感じが違う)

image

 

image

 

 

(再掲)これは葦かなと・・・ 

 

水辺、中間、土手側の河原で違う感じがします。

 

 

 

また葦で道に迷ってしまいました、、夏のようすを観察するのと、花、穂、茎、葉のつき方・・・

 

 

剪定ばさみで茎を切って、切り口を観察してみたいです。

 

(これは水辺から遠くて穂が違うみたいです)

  

 

 

 

 

鶴見川の夕暮れです。

 

 

鶴見川まで歩き少しウォーキング。

土手を歩きながら、河原を観てました。

 

河原の木の上に、見慣れない鳥がいて、
トビよりすこし小ぶり、色がまだらに白っぽい・・

タカの仲間のノスリでしょうか??(双眼鏡は持たず)

 

 

警戒する様子がなく、すこし近くで撮影したかったんですが、

土手から下りる足場がみつからず。

スマホで何枚か写真とって、観てましたが、

カラス数羽に追われ、緑の多い木の茂みの中に逃げ去りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日は横浜も曇って雪がチラチラしてて。小学生の子供たちが小雪が降る外で元気に遊んでて、あーやっぱり子供たちは雪でよろこぶ。

 

今朝5時(日の出前)一度めが覚め外を見ると空地が雪でまだら模様になっていて。まだらの模様をみて・・景色が変わったなと

 

今朝は空地も自動車にも雪が少し積もっていて。

子供たちは 小さな雪だるまを作ったり、自動車のボンネットの雪をあつめて何か作っていました。

 

 

小学生は雪が積もると外にでて遊びたいのに、

大人って雪や寒さに用心し、家に籠るか、天気予報や何を着て出るか気になり。足元やコート・手袋の心配。

これ、いつ頃から変わるのだろう。

 

 

鶴見川の周辺は雪で変わってるかなーと・・

すこし歩きました・・・

 

今日は日曜日なんですが、ウォーキング・散歩・ランニングの人もまばらで。曇天もあり、白い雪で河原の景色がいつもと違うような。(さびしい?)

 

 

 

 

(中央に大きな雪の塊があり、誰かが作ったんかな??と)

 

最近、興味がありよくみている葦(アシ・ヨシ)。。。

 

晴れの日の多い関東。雪で景色が変わるようで。

白い雪はどうイメージを変えるのかまだ整理つかず。

 

-----------------------

(参考) 山陰 おまけ

横浜の写真をラインで山陰の幼馴染に送ったら、すぐ家の外の写真を撮って送ってくれました。

 「まだまだ降りそう」だと

 

12月半ばから横浜に滞在しています。

20年近くかかりつけのお医者に「とにかくダイエット。がんばって3か月後に検査しましょう。」といわれ、心を優先に考え、正月明けから毎日横浜の郊外を歩いています。

 

今年は結構雪が多いのすが、地元で作業があり帰らないといけなくて。気になるのは雪です。

市内の雪の様子を気にしてラインで同級生に写真を送ってもらったり、FBで先輩の写真で雪の様子をみてたのですが、町内の先輩に電話したら「峠に注意しなさい」とのアドバイス。それで、鳥取県内道路ライブカメラで、県境(=峠)の様子を見ます・・・

鳥取に帰るため時々雪の状況を見ていて、今日、ライブカメラをみていたら、峠の様子が・・(路面注意)

 

写真の引用元(出典) 

 

                                                  2/5  09:36 

                          2/1  21:21

                                                    2/2 23:05 

 

どこの県にも昔からの峠がありますが、鳥取県も峠が多いです。

(夏場は涼しく観光にはよいですが難所です)。

 

子供の頃から名前だけ馴染みのある名前の峠たち。。。


「岩美郡」(但馬・温泉町あたりから因幡への山陰道)

〇蒲生峠(がもう とうげ):おそらく兵庫の但馬から因幡への境。(国道9号線?むかしの山陰道とおもわれ)*後述

 

「若桜」(中国山脈・東側) 若桜往来という街道

〇戸倉峠(とくら とうげ):兵庫県から八頭郡若桜町(わかさ)への道。

 

「智頭」(中国山脈) 因幡街道など

〇志戸坂峠(しどさか とうげ):岡山県から鳥取県智頭町の道の峠。 

〇黒尾峠 (くろお とうげ岡山県勝田郡奈義町馬桑と鳥取県八頭郡智頭町大字奥本の境にある峠。

〇物見峠(ものみ とうげ) 物見峠は岐阜にも神奈川にもあるようです。

 ・志戸坂峠:因幡街道は平安時代の国司日記にあり、江戸時代は参勤交代のルートのよう?

 ・黒尾峠(国道53号):志戸坂峠の旧街道ともあるが、現在は志戸坂は姫路に向かう東側ルートで鉄道のスーパー白兎のルート?。黒尾峠は津山に向かう西側ルート。智頭→奈義町→津山、那岐山(なぎさん)ってありますが、

 ・物見峠: 鉄道・因美線(因幡~美作)。さらに西側のルート?。 

(↑記憶違いありそう。不確かです) 那岐山をどう巻いて(避けて)南北を通るか?で、黒尾、物見峠。。。

 

〇辰巳峠(たつみ とうげ):鳥取県八頭郡佐治村栃原と岡山県苫田郡(とまたぐん)鏡野町(かがみのちょう)上齋原(かみさいばら)(旧・上齋原村)とを結ぶ標高786mの県境の峠。

(地名訂正しました)・・ 

  鏡野町は恩原高原があります (倉吉~三朝~側からは人形峠

 

(私的覚え方で、志戸坂(しどさか)は、しんどい坂で。黒尾峠は、くろうする峠だから?(笑)。「那岐山(なぎさん)・岡山県奈義町(なぎちょう)」は山道が難儀(なんぎ)だから?(笑)。

 

--------------------

行政からの案内です:
3.大雪時は大型車両等登坂能力の低い車両は急な坂道やカーブを有する峠などの道路※の通行は避けてください。
※【東部】:国道9号(蒲生峠)、29号(戸倉峠)、53号(黒尾峠)、373号(志戸坂峠)、482号(辰巳峠)
  【中部】:国道179号(人形峠)、 313号(犬挟峠)、 482号(福本峠)
  【西部】:国道180号(明地峠)、 181号(四十曲峠)、 183号(鍵掛峠)、 482号(内海峠) など

----------------------------

 

志戸坂峠には別名がいくつかあるようで、
鹿跡御坂(鹿跡御坂(ししとみさか/ししとのみさ)、「三十三曲り峠」とも。

”鹿跡御坂(ししとみさか/ししとのみさか)」は、鳥取県智頭町(因幡国)と岡山県西粟倉村(美作国)の県境にある志戸坂峠(しとさか とうげ)の平安時代頃の古称です”(鳥取県とりネット)。
 
智頭(ちづ)往来志戸坂(しとさか)峠の石崖(いしがけ)
なかでも、平安時代に国司として赴任した公家(平時範)が記した日記に「鹿跡御坂」と記された志戸坂峠は33のヘアピンカーブで「三十三曲り」とも呼ばれるつづら折れの峻険な坂道でした。(因幡側では「人見峠、人坂峠とも呼ばれたらしい)。。

 

------------

因幡の西の伯耆国側、倉吉市、米子、大山(だいせん)の方と岡山県・広島県を結ぶ街道の峠たち。

 

わたしは伯耆の方はあまり行ったことないのですが、子供の頃から父母や近所の人から聞いたので名前を覚えてます。

 

〇人形峠(にんぎょう とうげ):むかし話で超有名(ウラン鉱石が採れる人形峠)。

 

〇犬挾峠(いぬばさり とうげ): ”地名の由来には「犬でも通れない狭さ」や「後醍醐天皇」「日本武尊」に関する伝説など諸説あります。鳥取県倉吉市と岡山県真庭市の境にある峠で、国道313号が通る交通の要所。”(AI, Wiki)

「いぬばさり」ってすごい名前。犬も去る峠?、犬が挟まる峠?って感じ。

 

〇明地峠(あけちだわ、あけちとうげ)、岡山県新見市と鳥取県日野郡日野町との間に位置し、両県の県境となっている峠。標高690m。明智峠とも書く。 

 

「出雲街道」の峠

〇四十曲峠(しじゅうまがり とうげ) 岡山県真庭郡新庄村と鳥取県日野郡日野町との間に位置し、両県の県境を成す峠。

〇間地峠(まじだわ とうげ) は江戸時代には出雲松江藩主の参勤交代路である出雲街道の最初の難所で、伯耆・美作境の「四十曲峠」、美作の「嵐ヶ峠(嵐乢、現岡山県新庄村)」とともに三難所とされた。

 

〇鍵掛峠 「鍵掛峠」 ”かぎかけ とうげ”と”かっかけ とうげ”と2つあるらしいです。

 ・(かぎかけ とうげ)と読む場合: 鳥取県道45号倉吉江府溝口線 鳥取県内の峠か?

 ・”なお、国道183号の鳥取県と広島県の県境にある同名の峠は、漢字では「かっかけ」と読む別の峠であるため、注意を要する。 ”

 

県境の山々を知らないので勉強不足で違ってそうですが

 

 

https://www.cgr.mlit.go.jp/miyoshi/michi/pdf/koukuu02_211115.pdf

↑国土交通省「かっかけ 鍵掛峠」の新しい道の様子ですが。

 


それぞれの峠の名に由来があるのですが、

「鍵掛峠」の意味には諸説あるそうですが、昔の人が峠越えの安全を祈願し鍵状の木の枝を掛けたらしい。

AI による概要
奥大山「鍵掛峠」 – Chugoku Region Tourism Guide | 中国地方 ...
”鳥取県の大山(だいせん)にある「鍵掛峠(かぎかけとうげ)」は、かつて参詣者や旅人が安全を祈願して小枝で作った鍵(鉤)状のものを木に掛けた、という民俗信仰に由来する名です。他の国に入る際に神の意思を問う行為や、盗賊除けの願いが込められた場所とも言われています”(google AI 要約より)??とか。

 

「人形峠」は、昔ばなしで、峠にすむ大蜘蛛が峠越えの人を襲って食べるので困ってた。それで人形を使って・・・というので有名です。

----------------------

文献: 中林保 氏 の文献を読んでいます。。。

--------------------

父は材木の仕事で(兵庫県)但馬に大型トラックで行っていたので、旧・国道9号線=山陰道の蒲生峠には苦労したらしく、材木を積んだマツダ三輪トラックが狭い峠道で脱輪し苦労た話し聞きました。

昨夜、蒲生峠を調べたあと寝たので、次の朝、植村直己のことを思い出し。(「植村直己」に続く)。

 

 

 うまく書けませんでした・・・ (いつか削除しないと)

 何度も書き直しコピペ繰り返し読みにくくなりました

横浜では長年かかりつけのお医者さんがあって、年末に「久しぶりに検査しましょう」といわれ、採血があって、1月第一週に結果の説明を聞いてガクっときました。

1つはがん検査が必要。

2つ目は生活習慣病(これまで気にしなかった項目がアウト気味で)安定剤を変えないといけなくなるんで「ライザップに習って、歩きましょう!体に入るのと出るののバランス。」

仕事をリタイヤしてから胸部レントゲンも、バリウム胃透視検査、何もしてこなかったんです・・・先週、がん検診、胃カメラ。

 

血液検査から、たぶん、もうあかんのだろうと思うと、手術で病院に入るには禁煙。煙草吸えず。気が弱いもので検査の食事制限の練習を1週間してるという。。

クリニックの先生の結果説明でまたガックリしています・・・

 

体をとるか心をとるか? 考えて、心をとる。煙草はやめず歩くことにしました。家族のいる集合住宅から横浜を歩いてウォーキングしています。

 

最初は、歩数を増やす、歩数増やして体重減と血糖値下げるよう、だけだったですが、、それが目標では歩くのが味気ないので、ふらりと知らない道を進んで迷って。(スマホの地図でやっと戻れたり)。歩きながら道の周囲の草花や、川の様子、川の土手の草、川の近くの畑の作物みたり。そうしていくと、歩きながら結構見るものがあって。

 

山陰は雪かきのようなのに、関東は快晴の日がほとんど (「太陽が一杯」で関東はまぶしすぎる。

鶴見川まで歩くと朝は富士山がよく見え、田舎者なので見えると毎回感動。これが富士宮市や甲府で生まれ育った人なら冬場に富士山が見えて当然で、あって当然でだんだん慣れて見なくなるかも。

 

(18の時、新幹線で初めて富士山をみて感動したのを思い出し)。逆に鳥取にいれば砂丘をみたって子供の頃から見てて、なんも感動もなく。わざわざ見になんて行かない。
雪の砂丘なんて(小学校のとき)スキー遠足で滑った。雪で一面が白い曲線の砂丘は絶景ながら当たり前の風景。
おまけでいうと、冬のズワイガニなんぞは、もの心つく頃から馴染みで、地元の忘年会でたらふく食べたので、あの匂いから何から鼻と記憶に染みついていて・・あえて食べようと思わないんです)。。

 

今週、日本海側から出てきて横浜を歩きながら思い浮かぶのが夏目漱石「三四郎(1908-10か?)。青空文庫で少し読むと九州から(初めて)上京する汽車の車中からはじまるのですが、(博多や山口あたりからでなくて)始まりは京都辺りからの汽車のようす。乗り合わせた女性と同宿するが、

「私は癇症でひとの蒲団に寝るのがいやだから…」と言い。

別れ際に、

(三四郎は)ただ一言、「さよなら」と言った。

女はその顔をじっとながめていた、が、やがておちついた調子で、「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と言って、にやりと笑った。


今じゃ中々考えらないですが、三四郎は九州の母が気になり、大学を出たらしっかりした職について経済的に支えたい心で東京に行くのだから・・。(まぁ、、)

三四郎は「富士山」は見たことないから、どう思ったかな?と読むと、やっぱり「富士山」は出てきて。乗り合わせたインテリっぽい紳士の語りに。

(富士山のでるあたり)本文、青空文庫より。

車中の謎の男。広田?が、

行き過ぎた西洋の夫婦をちょいと見て、「ああ美しい」と小声に言って、すぐに生欠伸をした。三四郎は自分がいかにもいなか者らしいのに気がついて、さっそく首を引き込めて、着座した。男もつづいて席に返った。

そうして「どうも西洋人は美しいですね」と言った。
三四郎はべつだんの答も出ないのでただはあと受けて笑っていた。

すると髭の男は「お互い(は)哀れだなあ」と言い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、――あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする

 

今の東京一極集中の問題、地方と東京の関係性が既に明治からはじまってる感じようなのと、戦争に勝ったのに普通の庶民は「戦争ほど馬鹿げたものはない」と車中でいう(汽車のおじいさん)。これは息子を失った父親の普通の声なんだろう。

(表向きな国際的には大国ロシアに勝ったが、庶民は豊かではなさげで)広田の発言にも。。

このインテリっぽい東京の男(広田?)は、

 すると、かの男は、すましたもので「滅びるね」と言った。

明治にしてこの言葉はおそろしいが、田舎育ちと東京のインテリ層とは見方が大きく違う。(この時代にすでに中道~左翼っぽい)。

 

夏目漱石の「三四郎」(1908-10か?)は地方から東京へ。「坊ちゃん」(1906-7?)を思い返すと、これは江戸っ子のぼっちゃんが地方の愛媛に赴任する。 設定が逆なんだなと思う。 

 

(いわば国家公務員の)大学教授で「坊ちゃん」を書いて『ホトトギス』に、出版。(思う通り自由に書くのは控えるしかなかっただろう)。

そして1907年、漱石は、大学を辞して朝日新聞社(東京朝日・大阪朝日)に専属作家として入社したので(国家公務員でなくなったので)、だから「三四郎」でこういうのが書けたんだろう。

 

--------------------

 

追記 (うまく書けませんでした。 漱石をしっかり読んでないのと、自分の健康上の心配で、考察が十分できずです)