フォローさせていただいているブログ、石とか砂利とか、小石 大事にしています。
「石ころ人生~水石と共に~」 石上栽花さん
「鉱物庭園」さん
庭木の陰で砂利見つけて、庭の中心の良い所に持って行くと砂利が喜んでいるような気がして。砂利がひのき舞台に来させてもらって喜んでるような・・・
子供の頃、小学生の頃、石集めしてたなーと。。いろいろ集めました。
児童館の遠足で鉱物の先生と河原に行って集めていて、ちょっと大きめの石を見てもらったら、
「これは流紋岩で、標本にするのにちょうど良い大きさだ」と大変ほめてもらって、
大事に段ボール箱に入れてたですが、家の引っ越しなどあり、いつの間にか捨てられてました。
父が毎日みたいに手入れしていた庭には、小砂利がいろいろ敷いてあって、
子供の頃から、どうも気に入らない所がある と思っていて、造園屋の親方が「好きなようにしたらいい」と最初に言われたし。 昨年の初めから庭の手入れはじめて、とにかく自分の気に入るように砂利をアレンジしてます。
そんなことはどうでもいいんです、
大事なのは、小砂利を選別して、配置しながら、わかったことは、
● 3m先に綺麗な砂利があっても気がつかない、近づいて足元に来て、こりゃ綺麗な石だとわかる。 (→人間って先は見えん。足元だけだ)
● 金魚鉢の小石にしても、どんな砂利にしても敷いてあるのは大方1層、2層あるかないか、(とってもじゃないけど、小砂利5cm以上の深さとか大砂利10cmも重ねて敷いてない。ほんとうに土の上に一層で敷いてあるってわかる。 (→美人も皮一枚とかいうけど、ほんと「化粧砂利」だわ)
● 一層だから小砂利みんなに日が当たる、敷いてある砂利みんな日向ぼっこしてる。
(土から拾った小さな小砂利を敷いてあるのに混ぜると一緒に日向ぼっこしてる)
● 雨の日が綺麗。 庭石も雨の日は綺麗。
金魚鉢用の色石から特に綺麗なのを一か所に集めて置いてても、
晴続きとかで表面が乾いていると、近づいてもぜんぜん綺麗と見えない。
散水するか、雨の日に、綺麗だとわかる。
(→映画/岡田某の「バックトゥザフューチャー」解説YouTubeでわかったけど、
雨が降ってないのに地面を濡らすのは殺風景な場所でロケするとき映えるシーンにするための、
映画業界のお約束的な工夫」だそうです。 雨が降ってなくても地面が濡れていると映える。。)
● 夕方が綺麗。 夜、月の光が綺麗。
● ここはこの色で固めようと、作業すると、その色を探しまくる。
足りるかなーと心配するくらい探す。いっそ、小砂利の通販会社に頼もうかと思うくらい・・・
だけど、黒い砂利と白い砂利を手で分けるから白と黒がはっきりする、
(黒白まざった碁石を分けるのと同じか)
● 大きめの砂利(駐車場の砂利)を配置しながら、掘るというか一層どかしていて、
下から、少し大きめの山のガラガラ石が何個もあった。
50年ぶりくらいに分かったことは、
まず茶色い大きなガラガラ石を置いて、上に砂利を敷いて盛り上げたんだなーと・・・
〇 去年だったか、ある大きな古いお屋敷が解体されるのをみました。
とても広い立派な庭だったのに、重機が入って3か月ほどで整地。
(→「庭じまい」というんだそうですが、、、ひとつの風情が消えた。。
庭の手入れしていると色んなものが見つかったり、雨水排水の穴から小さなヘビが顔出したり、
生きものたちとヒトとの場で、庭は神さまみたいな。
いろいろ他所の家の庭をチラ見して、最近、多分外国産の(軟らかそうな)ややグレーがかった白い砂利を敷くのが流行っていますが、ネット見ると汚れがつくとかで、この白っぽい砂利はどうなるんかなーと思ってます。(何個も道で拾ってきては撒いてますが・・・)
(余談)
50年程昔、河川改修で家が移動したため、庭の南にお寺があり、庭からたくさんお墓が見えるし、家相的には南に墓地は悪いそうで、余り好かんかったですが。最近少し気を取り直し、
①人間いつも死は意識すべきだ。向こうに墓を見ながら庭を手入れするのが生きるってことだ。
②小津安二郎監督の「東京物語」の尾道の家の庭からお寺が見えるようだった。
墓地も借景だと思うことにしてますが、大体お地蔵様の大きな石像が背中向けているのがどうも。
台座に大型モーターで回転することで本堂参拝者だけでなく、あまねく見守っていただきたいものと希望するが、それは観光と檀家のためだけなんで。(ここは昔は観光のお寺だったです)。
【複製】元原稿が長すぎて読めないので、やや省略しました。じぶんに必要なのはスリム化と、
えいやっ「ポチッツ」なのかなと・。。
























