diary of trial and error (new title) -3ページ目

diary of trial and error (new title)

熱中していることを調べ書いております。(無収入で中立のブログです)。耐乏生活、直近の問題を文章で考えながら書いております。うつ気味の時はやる気なく更新が滞ります。イイネいただければ元気いただけます。(アメンバー専用(ア)のマークのは下書き未公開です

   (まとめ)

   フランス語の「都会のネズミと田舎のネズミ」の日本語への自動翻訳ができず、

   (都会のネズミと田舎のネズミの日本語訳を探していて)

   ラフォンテーヌの寓話をオッフェンバック(オッフェンバッハ)が歌曲にしていることを知った。
   そのサイトからオッフェンバッハにはまった。。

 

大体、田舎育ちで、子供の頃にたまに都会に連れて行ってもらったが、

この50年程は田舎と東京をもう何百回か往復してて、、

いつも思うのは、田舎と都会とどう違うんだ? と・・

  (近所の人は、田舎以外住めないというが、その人は都会をしらない

 

それで、ラフォンテーヌの 「Le Rat de ville et Le Rat des Champs の結末は

どう書いてあるんだろう?と思い、何週間か前、原文を探しました。

最後の部分は、こういうフランス語です。  

 

— C'est assez, dit le rustique ;
Demain vous viendrez chez moi :
Ce n'est pas que je me pique
De tous vos festins de roi ;

Mais rien ne vient m'interrompre :
Je mange tout à loisir.
Adieu donc, fi du plaisir
Que la crainte peut corrompre ! »

Jean de La Fontaine, Fables de La Fontaine,

Le Rat de ville et le Rat des champs.

 

 
この結末なのですが、 寓話、子供向けだし、自動翻訳かければ大方読めるだろうと、
ところが、自動翻訳かけると、どうも何か変な訳になって全然意味がとれない・・・
詩というのは自動翻訳では無理なんだなと

そこで、ネットで検索して、しっくりいく訳がでている日本のサイトをみつけました、

納得したのです。

 

   「都会のネズミと野原のネズミ」 フランス語と日本語の対訳で書いてあり。。

 ↓ (細かく読むとやはり詩を訳すのは難しいとは思うが、、、すばらしい)

 

オッフェンバックは『ラフォンテーヌの6つの詩(寓話の詩)』 という歌曲にしていたのです。

  ■Six Fables de La Fontaine 6つのラ・フォンテーヌの寓話 (1842)

 

  ラ・フォンテーヌの6つの寓話が 歌になっているようです。

 

  この中には、セミとアリ La Cigale et la Fourmi もあります。

   (なんで fourmi は最後が -e で終わらないのに女性名詞なんだろう??まあいいとしよう)

 

この日本のbiglobeのHPサイトから オッフェンバックに大変興味を持ち

ここのところ、オッフェンバックのオペラの一部とか見続けています。。。

 

 ↑ 「ジェロルスタン女大公殿下」 (ブン大将の歌)」 オッフェンバック
    La Grande-Duchesse de Gérolstein(Offenbach)

 ↑ この演出は非常にモダンで、機敏で、すばらしく面白い。一度、全部通して見たいです。

 

   この曲は、浅草オペラ 榎本健一(エノケン) の有名な歌の元でした、浅草オペラか?
   ブン大将 ♪我輩はブン大将閣下であーる!♪ はオッフェンバックのフランスオペラが

   元だとやっとわかり。。

 

 ◆◆◆ フランスオペラの楽しみ ◆◆◆    YouTubeで楽しむフランスオペラの世界

 

  フランスオペラ YouTube で聞けますが、

 

実際いくつか聞いてると、

モーツァルトの歌劇「魔笛」の夜の女王のすばらしい Diana Damrau さまが、

オッヘンバックのホフマン物語の人形オリンピアを歌っていて。。

 

Diana Damrau - Les oiseaux dans la charmille 2011..

 

Diana Damrau さまは体格が良すぎて

このオリンピアの人形役にはちょっと向いていないようですが・・・ 歌唱力は抜群。

 

  オッヘンバック Offenbach は、ドイツ出身だが、フランスで活躍したので、

  (ドイツ語読みならオッフェンバッハだが) オッフェンバック なのか?と。

   (ドイツでも人気みたいで・・ドイツ語版もありです。)

 

オッフェンバックといえば、あの『天国と地獄』  

日本では、秋の運動会にはかならず この天国と地獄が流れていました。

 

 ↓ 最初からずっと飛ばして、 7:00 頃からお聴きください。(誰も知ってるあのメロディー

 

正式なタイトルは『地獄のオルフェ(Orphée aux enfers)』というオペレッタ(喜歌劇)

 

そしてフレンチ・カンカンの音楽 ほとんどが オッフェンバック 天国と地獄

 

 

  これ、あのロートレックの伝記映画でした (映画「ムーランルージュ」1952年)

  (ロートレックと同じ時期にパリにいたんですね)

 

(ディズニーランドでもフレンチカンカンしてたらしく オッフェンバックが少し流れてる)

♪Welcome to the Diamond Horseshoe -Tokyo Disneyland- Remember the Dream     

 

オッフェンバックのオペレッタが、フレンチカンカンでも日本の運動会も定番なのか謎を感じるんですが

 ↑なんかフランスの田舎の祭りの巡業公演か?って感じ 

  (フランス女性には・・・ やや夢がくずれるのですが。。。)

  大根足に田舎っぽさ。。そこには都会にはない健康さみたいなのがあるような。


 フランスって農業国って聞いたことある。 地方が活気がある感じで、、 
 地方を旅すると(粗野な) 農業地帯の、びっくりのエピソードを読んだことがあった。
 

 (学生時代、フランス語の先生にフランスの人形劇(ギニョール)の映画をみせられたことあった。

  荒唐無稽 な劇が多いようですが・・・) ギニョールなんかを田舎でやってた。
          フランス=パリ のイメージなんだけど、 同一じゃなかった・・・

  ルイ・ド・フュネス: サン=トロペ (Saint-Tropez)シリーズ、ジャンダルム・ド・サントロペ

  あのドタバタの変なオッサン、ルイドフュネスは、ギニョールを思い出させる。

 

  フランスの田舎の風景の例が、 ルイ・ド・フュネス(Louis de Funès)の喜劇映画・・・

   あか抜けた都会娘では少なくて、地方の女性・娘がよく出た。

   (田舎の農村部をクルマで走り回ってた) ルノーの車だったが。

  シトロエンが都会的なら  ルノーって田舎の車ってイメージがついてしまった。

 

   都会のネズミと田舎のネズミっていうのは、

   農業国で地方の活気のあるフランスではコントラストがはっきりするのかも?

 

  (都会風のフランスの 感じのよいサイトは見つけておきます )

 

 やっと、まとめが終わりました。。 

 ほんとうに 長かった~~ 

 

 

 

ラ・フォンテーヌの寓話から、オッフェンバックが好きになったわけ。(長いし面白くない前置き)

 

ラフォンテーヌの寓話~イソップ物語~天草版があり江戸時代~町のネズミと田舎のネズミ「都会と田舎の問題」~(セミとアリは、社会階層?)

 

イソップは昔・江戸時代~明治以降、完全に日本に定着したようです。(ウサギとカメの例えとか)。  

 

ラフォンテーヌの「セミとアリ」を板書されノートに書き写して暗唱しました。(今ではほとんど忘れてしまいましたが)。

ラフォンテーヌの寓話はフランスでは小学生が暗唱するとか

   Wiki 日本語版

   フランス人は全員、小学生の時にフランス語の授業で彼の寓話詩を数編ほど暗唱する(暗唱させられる)。

   フランス人なら誰もが知っていて一生忘れない寓話詩の書き手。 

 

イソップでは「アリとキリギリス」、ラフォンテーヌはセミとアリ(La Cigale et La Fourmi)

今の時期、だんだんと「アリとキリギリス」の季節になってきてます。

セミとアリの冒頭は:

     La Cigale, ayant chanté  Tout l'Été,
     Se trouva fort dépourvue  Quand la bise fut venue.
     Pas un seul petit morceau  De mouche ou de vermisseau. (以下略)

         (わたし的な読み

          ラ・シガル エイヨン ションテ、 トゥー レテ 。

          ス・トルーバ  フォール デプルヴュ、  ァン ラ ビッズ フュ ヴニュ 。

          パーザン スゥル プチ モルソー、 ドゥ ムーシュ ウ ドゥ ヴェルミソー 。 (下手な発音すいません

 

ではじまり、韻文の詩のようで、覚えやすく、暗唱しやすいです。

 

ラフォンテーヌ (1621年 - 1695年)の寓話の多くはイソップ寓話だそうですが、、

  (蛇足、横道に) イソップ寓話は紀元前6世紀頃が起源?

   (Wikiに) 日本には、イエズス会の宣教師が天草にあったコレジオ(イエズス会の学校)で印刷した

   キリシタン版『エソポのハブラス(寓話) (ESOPO NO FABVLAS)』(文禄2年、1593年)が最初。

   ローマ字・口語で書かれた天草版。天草に印刷所があって出版していて、「平家物語」もあり。。

 

 キリシタン版は、宣教師の日本語学習のためで、国内で読む人はいなかったのかなと・・

 

 (今では、当時の日本語の発音の貴重な資料の1つらしいです)

 

 日本では、

  (イエズス会キリシタン・天草版『エソポのハブラス」(1593年)ローマ字・口語で)。。

   江戸時代: 日本の『伊曾保物語』(1659年)文語で。

 フランスでは、ラ・フォンテーヌの寓話詩(Fables、1668年)ようですが。

 

紀伊国屋書店ウェブの案内には、

”17世紀のフランスの詩人ラ・フォンテーヌは、皇帝ルイ14世の王太子に、「人生の教訓を学んでもらいたい」との思いで、動物たちを主人公にしたこの寓話集を著した。”とあり、

ラフォンテーヌは、時代に合わせて、社会性も入れ 書いたようで。

 

 「町のネズミと田舎のネズミ」のタイトルですが、

  「野ネズミと家ネズミ」 【イソップ寓話】

    、17世紀に都市化が進んだのか、

  「町(都会)のネズミと田舎のネズミ」にタイトルが変わっていくような・・・ 

  日本・キリシタン版『エソポのハブラス』(1593年)では、「鼠の事」  

  江戸初期の『伊曽保物語』中巻では、「京と田舎の鼠の事」 

  近代では福沢諭吉『童蒙教草』巻2、第12章は、「御殿の鼠と田舎の鼠の事」

  渡部温『通俗伊蘇普物語』には「田舎鼠と都鼠の話」

 

ラ・フォンテーヌは、

「町の鼠と田舎の鼠」 (fr: Le Rat de ville et le Rat des champs)

  「(la) ville」はフランス語で「都市」や「都会」を意味するということで。都会・都市・大きな町。

     フランス語の ville は 英語の city に相当。

   (ラフォンテーヌの時代、ラットとマウスを区別しなかっただったような) 。

 

  なんで、ville は単数形で、 champs は複数形なんだろう??と今考え

   les champs = the fields 畑のってこと? 野原か??

    (となると、「町のネズミと野原のネズミ」が妥当か、

  しかし、えらいことに、歌のタイトルにある:

  「オー・シャンゼリゼ」のシャンゼリゼって、 Aux Champs-Elysées

   野原・畑のChampsが入ってる、にぎやかなパリの大通り・・・ 

 

(小まとめ) 

La Cigale et la fourmi セミとアリ : もしかしたらセミ(キリギリス)は歌って暮らせる階級、アリは働いて暮らす階級を暗示すると、、王子に(甘いもんとちゃうと)教訓だったのかも?

 

セミも、アリも女性名詞なので、お隣り同士の女性2人の感じ。

(セミが食べ物を貸してほしい利息は払いますのでとアリに頼みに来るんですが)最後はこうです。

 

« Que faisiez-vous au temps chaud ? / Dit-elle à cette emprunteuse.         Nuit et jour à tout venant / Je chantais, ne vous déplaise.
Vous chantiez ? j'en suis fort aise. Eh bien !dansez maintenant. »

 

 (訳が難しいんで、あちこちのつぎはぎの訳で)

 「暑いとき、何していたの?」 アリは、この借用を頼んできた者にいった。
 「夜も昼も、来た皆に 歌っていました。 機嫌を悪くなさらぬよう。」
 「歌ってた? そりゃうれしいこと。  じゃ、今度は踊りなさい。」

 

キツーー、かなりキツイ。。 歌っていたセミ、毎日汗をかいて働いてたアリ。

 (アリの性格の悪さはあるが)

王太子への何かのいましめでもあるような。

 

(町のネズミ・田舎のネズミ)

Le Rat de ville et le Rat des champs 町のネズミと野原のネズミは、(今でいえば)

都市化にも関係する課題かなーと・・・ 

 

(今日の勉強はここまでで)

 

   間違いの多い記事になり、いつか消したいです・・・

 

(補追)

 フランス語でChamps-Élyséesとは何ですか?
AI による概要
「Champs-Élysées」は、フランス語で「シャンゼリゼ大通り」を意味します。複数形の「Champs」(野原)と「Élysées」(エリュシオン、ギリシャ神話の楽園)から成り立っており、直訳すると「エリュシオンの野原」となります。
    Champs:「野原」を意味するフランス語の複数形です。
  Élysées:ギリシャ神話の「エリュシオン」(英雄の魂が行く楽園)に由来します。
  全体:「エリュシオンの野」を意味し、パリにある有名な大通りの名前となっています。
AI の回答には間違いが含まれている場合があります。 詳細

 

エリゼの野原(エリゼの園)=楽園か??


シャンゼリゼ - Wikipedia
ギリシア神話のἨλύσιον Elysion(エリュシオン)を意味するフランス語、「エリゼの園」。

Wikipedia
シャンゼリゼ通り - Wikipedia
シャンゼリゼ通り(シャンゼリゼどおり、フランス語: Avenue des Champs-Élysées、またはLes C...
Wikipedia
Champs-Elysees(フランス語)の日本語訳、読み方は - コトバンク 仏和辞典
Champs-Élysées (les)(パリの)シャンゼリゼ大通り. [名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。
コトバンク

【シャンソンの定番】「オ~・シャンゼリゼ~」に対する若干の ...
2025/07/04 — 4 まとめ 簡単にまとめると、Les Champs-Elysées が複数形になっているのは、この語...

note · 
ががが
lesChamps-Elysées(フランス語)の日本語訳 - コトバンク
プログレッシブ 仏和辞典 第2版の解説 ... [固有] [男・複] (パリの)シャンゼリゼ大通り. ... [名](ス...

コトバンク
シャンゼリゼ通り|パリの通り - パリラマ Paris-rama
2024/04/08 — 通りの名前であるシャンゼリゼは、ギリシャ神話の「エリュシオンの野」(Elysian Fields)か...

パリラマ

  

 

 

 

(次は、 Le Rat de ville et le Rat des champs) 

 

 

 


 

 

なぜ、最近、フランス語のこと、フランス語を学んだことを思い出したかというと・・・

the old man in the corner さんのブログを読んでいて「バルタザール」というのがでてきたのを読んだ(バルタザール違いでしたが)。

 

Wiki 

バルタザール(Balthazar, Baltazarなど)は、オリエント起源のヨーロッパ系の男性名。バルタザルとも。イタリア語ではバルダッサーレ。 

 

なので、単純に名なのですが。。 バルタザールには思い出があります。

 

大学の教養時代、フランス語ばっかりやっていて、I先生がずっと文法を教わり、読解だったが、

井村先生は、文法がおわったころから、結構むずかしい、内容が深いのを読解のテキストにされ、 アナトール・フランスの短編がテキストになった。(他にもとても奥の深い、今思い出しても

奥の深いテキストが2~3あるが)。

 

このアナトール・フランスの短編集のテキストの 1つが「バルタザール」だった。 わたしは、訳本など探さず、とにかく I先生について、必死に読んでいた。(試験前に、同級生が、訳本探しして、芥川龍之介の訳の大正時代みたいな本を 国会図書館で探し出し、コピーして配ってたようだったが、 今、青空文庫で少しながめて、アナトールフランスのフランス語原文は忘れたが、やっぱり読むのなら原文のフランス語で読むのがいい。

 

べつに、エロいことは書いてないんだけど、バルタザールとお姫様(Sabaの女王?)が、二人で荒野か砂漠を 逃げ旅するところを読んで、(45年も前の記憶なのでまったく内容わすれましたが) 

 

誰もいない荒野だか原野で、二人っきりで、、女性の何というのか魅力的で、甘美なエロティシズム を美文で書いてあったような。

バルタザールがエシャロット?を探してきて(女王にあげる?)、、

(たぶん、バルタザールは、最後は、東方の三賢人の1人になるのか??)最後はそういうお話しのようですが、この女王の魅力の雰囲気には浸った。

 

 

 --------------------------------------- 蛇足 横道 ---------------------

   (これと同じ感じような甘美さは高校のとき、白居易の漢詩『長恨歌』だった)

     春寒賜浴華清池     春寒うして浴を賜ふ華清の池    
     温泉水滑洗凝脂     温泉水滑らかにして凝脂を洗ふ     
     侍児扶起嬌無力     侍児扶け起こせば嬌として力無し    

     (温泉に入れて、滑らかに、凝脂を洗う・・って

          ぎょう‐し【凝脂】. 〘 名詞 〙 こりかたまった脂肪。

          また、きめの細かな白い肌など、柔らかく滑(なめ)らかなもののたとえにいう。

         (ぽっちゃりされた娘さんと推測。大体今の女性はツイッギー以来痩せで魅力が激減)

    侍女がたすけ起こすと 嬌として力がない ( 嬌として力なしって、くたっとして?)

     (これにしても現代日本語で訳してしまうと、なんか味気ないというか ぜんぶ伝わらない)。。

    「嬌」が、 どうも なよっとして、 なまめかしく、 コケティッシュ

    (こんな漢詩を、高校の教科書にだして、、 いかがか?)なんだが

    高校の漢文、弁当の後で日差しも暖かく眠気半分、この数行を読みながらエロスに酔ってしまったのでした。

        その2年後くらいに、フランス語の授業で同じ感じを持った。

 ---------------------------------------  ---------------------

 

大学の教養課程のフランス語の授業で、アナトールフランス「バルタザール」で、シバの女王の魅力に酔ったわけです。

                           (おわり)

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(わたしは理系なので、文学の素養も、西洋の歴史も、世界史も知識がないけど

アナトールフランスというのは、ノーベル文学賞を受賞し、フランスの国葬になったと、50になった頃知ったのですが、

井村先生の授業で、アナトール・フランスを読めたのはよかった。

 

 

 

 ((おまけ))

アナトールフランスの言葉というのがGoogleででてきます。(以下、ぜんぶ自動翻訳)

「アナトール・フランスの著作は、人間性、愛、戦争、正義、美など、様々なテーマを扱っています。

彼は、「賢く考え、不条理に行動するのが人間の本性である」、「我々が自慢していることも、敵がそれをやれば悪名高くなる」、「バラを咲かせるのは、バラを信じることによってである」 

といった言葉を残しています。」 

原文 

Les mots d'Anatole France portent sur divers thèmes, tels que la nature humaine, l'amour, la guerre, la justice, et la beauté. Il a écrit des phrases comme « Il est dans la nature humaine de penser sagement et d'agir d'une façon absurde », « Ce dont nous nous glorifions devient infâme quand c'est l'ennemi qui le fait » ou encore « C'est en croyant aux roses qu'on les fait éclore ». 

 

(英語のサイト)アナトール・フランスの言葉の1つ。
“Until one has loved an animal, a part of one's soul remains unawakened.”
― Anatole France 

「人は、ある動物を愛するまで、人の魂は目覚めていない。」

 

(フランス語) 同じのが幾つか。(サイトで違いますが、1番がよいような)

Tant qu'on a pas aimé un animal, une partie de notre âme reste endormie". (Anatole France) 

「ある動物を愛さない限り、私たちの魂の一部は眠り続けるのです。」(アナトール・フランス)

 
Google AI による概要より
アナトール・フランスの言葉「バラの花が咲くのは」に続く全文は、「バラを信じることによって、バラの花は咲く」です。 
この言葉は、信じることの力が現実を創造する、という希望に満ちたメッセージを伝えています。
原文(英語): "It is by believing in roses that you make them bloom."
 
 

(もう下書きは大分できてるのが、ラ・フォンテーヌ寓話集から始まる、だらだらした結論のないまとめ記事なんですが、短くすべく改定中です)  (2025-10-14)

 

普段いってる薬局にヒステリー気味の薬剤師ねえちゃんが担当で、大体はしつこい程度でいいんだけど、年に数回、機嫌がわるいからか見下した態度で非常に突っかかってくることがある。しかもそれが私がかなり落ち込んでる時に結構攻撃的。

 

先月の血液検査の結果をもらって(見せなきゃよかったんだが)みせたら、
γGTPが高いので「お酒飲んでないのに、薬のせいかな?脂肪肝のせいかな?」と言ったら、

薬剤師が「お薬なら他の肝機能の値の方が高くなるはず。安定剤飲んでるのに酒は絶対ダメ。とんでもない」という。わたしは飲んでないので、「飲んでない。」というのに信用してもらえない。

「昨夜だって飲んでないし、ほとんど飲まない」というのに、「安定剤に酒はダメ。とんでもない」とキツク言われる、「そんなんいったって、調子が悪いときとか、ちょっとコップ2分の1か3分の1くらい飲みたいことだってある。(疲れがとれないとか、気分が晴れないとかそんなときは少し飲みたい)。」というのに信じてもらえない。


もう二度と行きたくない、あの薬局!!


考えてみれば、肝機能障害で死ぬのは俺で、安定剤で転倒して死ぬのも俺だ。 薬剤師の立場として健康気遣うからだけど、別に、、γGTPだって、中性脂肪だって、尿酸値だって、食生活、食事のリズムの乱れ、その大元は色々社会的なとか家族的なトラブルに自分の気分が滅入ったり。落ち込んだり元気だったりが食事や運動に大きく影響して、検査値にブレがおきてる。

その辺ぜんぜん理解してない。

 

昨年非常に悲しいことがあり食事がみだれたのか何故だか検査値がとんでもない値だった。中性脂肪が自己最高記録を更新した。。(もしかしたら検査会社の分析機械の調子とか精度管理上かも知れんが・・ その後、3分の1ほどに下がったので不思議だった)。。

 

あの担当のねーちゃんには、気分が晴れず、その夜は頭に来てウイスキーをストレートでコップで飲んだ!安定剤の強めの薬も飲んだ。

その数日後はやっぱり酒は飲めずで飲まなくなった。信じてもらえんだろうが・・

 

実際、高血圧だから降圧剤を忘れず飲むこと」とか「高脂血症だから食事のバランス考え、夜寝る前は食べないよう」とかの問題だけじゃない、と思う。高血圧は8年程前に失職したり生活が変わってからで、それまで10年以上は、上が120mmHg代で安定していた。(大方は、外的なことによる生活の気づきにくい変化なんだと思ってる)。

 

 あのねーちゃん結婚してるんか?と思う、あのキツい性格じゃ結婚してないだろうなーとか・・ 

 そんなん他人の知ったことか?と・・・ 

大学で学んだ一番大事だったこと (自分だけのための記事)

 

もう大分昔、むかしむかしの3月に大学に受かったので、入学まで暇だし第二外国語の勉強をしようと渋谷区の図書館に通った(笹塚図書館でした)。

朝倉季雄先生のカセットテープ6巻組の入門書があり。毎日、図書館で勉強してて、結構はまった。

発音が美しい。

 

大学の教養課程では、文法を最初からおそわる。

フランス語の担当教官は、井村順一先生だった。

井村先生は文法の基礎から教えられ、かなり早いペースで進むので、複雑な時制とか難しい単語とかがどんどん出ていき、夏には脱落する人がでて、井村先生に「〇〇さんが単位取れそうにないから教えてあげてください。」と個人的にいわれ、夏休み文法を教えたんですが、2人は毎日続けて一緒に文法やってほぼ終わり。 先生にいわれたお一人は文法の最初を少しやったけど1~2回でやめてしまわれた。(予習のおかげで文法のイントロはついていけたのでした)

 

フランス語の授業は文法がおわると、秋を過ぎると井村先生と平行に何人かの別の先生も入れ替わりで講読が始まる。大体がある作家の短編小説を日本の出版社が薄いテキストにして(何も注釈なしの)フランス語だけのテキストを読んでいく。 他に何人かの著名なフランス語の先生が、モーパッサンとか、パスカルのパンセとか、、フローベールとかの小説を読むわけですが、、、。(文法基礎を終えたらどんどん読ませるのは旧制高校のやり方だと後に知った。

 

井村順一先生は、今思い起こすと井村先生のテキストは他の先生たちとは毛色が変わってて、すごい奥が深いような・・・。 その1つ、第二次世界大戦中に食料の配給の行列に並んでいる(たぶん大学教授の)男の心を描いてたと思う(「ムール貝」という題だったと思う。ムール貝の配給を待ってた)。 その他に、井村先生はある時、他の先生とはちがったまた変わったテキストの講読になった、(名は出しませんが)戦時中に活動したユダヤ人の若い女性のエッセーをテキストにされて徹底的に読んだ。(この本は、ときどき大きな意味を感じ、後の自分にも真髄になってる)。。この若い女性は生き方がへたなのか、若くして亡くなってる(たぶん20代)。

 

また、非常にうつくしい文章のアナトール・フランスの短編集がテキストになったことがある、

近頃(この9月か10月頃から)深く思い出すのが、井村先生がテキストにされた、アナトール・フランスの「聖母の軽業師」。 (マルセリーノの歌の1955年スペイン映画・白黒「『汚れなき悪戯』に似た感じなんだが、映画は少年だけど)、アナトールフランスのこの短編は軽業しか能のない大人の男で、近ごろ、どうもこの短編をよく思い出し、自分にとって深い意味を感じる。

 

わたしは理系なので 2年の後期ぐらいから専門の学部学科を決めないといけないんだけど、理系の科目は全然ダメで、フランス語だけうまく行くので、文転してフランス語に進むことは考え かなり迷った。(同じクラスにすごくフランス語学ができる人がいて、その人は文学部の比較言語学に進んだらしい)。結構わたしも迷った。

 

ある日、登校の電車に乗って座ってたら、井村先生が、乗ってこられて、隣り合って話を少ししたんですが、、先生が「〇〇さんは、どの学部に進学されますか」というように聞かれた、

わたしは理系のトップに行きたかったので、「一応、医学部ですかね」といい加減に答えたんだが(全然、教養学部の理系の成績が悪すぎて)軽く言ったが。先生はまじめにとられて「医学では、血液学などはフランスは歴史があってフランス語が役に立つとか」とおっしゃったが・・・

いまから、考えると、 井村先生は非常におとなしい、言葉がていねい、ひかえめ、地味な先生だった。 言葉がていねい・誠実というのは、それはその人の生き方の一つの表れだ。。紳士っていうのは英国ってわけじゃないなと・・。 若い頃フランス留学でもとめられたような先生のかばんを授業のときもいつも見ていた。

 

丁寧な、控えめな、地味な先生が、選んだテキストというのは、これは世間的に有名ではなく、強いアピールはない地味だけど、すごくすごく内容が濃い。 何十年もたって振り返る、

生きること、その意味が籠められている。

それらを先生に教わりながら一緒に講読したというのは、おそらく大学の4年間で最高の教育だった。

 

 

井村先生には他にも思い出がいくつかあって、

文法の授業時間の最後に、文を板書される、、(それを一生懸命ノートに書き写した)

 ・その1つがラ・フォンテーヌの「セミとアリ」だった。

  (なぜ「アリとキリギリス」が「セミ」なのかも説明された)。

 ・すごい難しい詩も板書された アポリネールの「ミラボー橋」。 読みこなしは今でも難しい。

 (ベルレーヌ:  Les sanglots longs. Des violons. De l'automne. もあったかも)。

   フランス語の詩は、音が重要なので、声を出して読むと一段とよい。

 

わたしは医学部は無理なので、迷ったあげくに農学部を選んだんだけど(それは一種、食べるため、仕事のためだったが)、ラ・フォンテーヌの「セミとアリ」でいえば意に反してアリの道を選んだのだがセミを選んでも良かったんだけどなと。。

 

たまに思うのは、もしかしたら、井村先生は、電車で、わたしが進路に迷っているようだったら、

フランス語の方向に進学する希望があれば、助言したいと思われて声をかけられたのではと・・空想したりする。

 

先生も、お亡くなりになられたらしくて。 もう一度お会いしたかった。

 

(文法を短期間でおわらせ、講読で鍛えるというのは昔の旧制高校のやり方らしいが。寮の大変優秀な理系の先輩は「どんな語学も文法書で1週間で文法を完了、あとは徹底的に読むんだ」と言ってた。また別のタバコ吸ってた仏文の先輩は就職のことはぼんやりしてた。。)が、、

1週間で文法を独学するといっても、やはり正しい文法・発音を学ぶにはしっかりした先生につかないとならん。(フランス語の文法や綴りは歴史的にアカデミーにより非常に整備されているらしい。だからキッチリ学ぶ必要がある)。

それと、講読にしても、有名作家や有名な著作でなくても、しっかりした先生の選んだ深い内容の良い本を読みこめたのは良かった。

 

(ついでに) 非常に下世話な話で、、 私は、社会人になってから、

20代の頃、フランス語会話を中年のイタリア系フランス人女性に習って、フランス人たちのパーティーにもでて、フランス人グループの内輪のゴシップ聞かされたり、結構なんちゅうか品がないのでフランス人には辟易した、うんざりになった。(彼女に「警官を見たら腕をクロスしてあざけるんだ。フランス人はみんな警官が嫌いだから」ということを教わったりした)がどうでもいい話だった。

また、30半ばのとき、ベルギー系の若い人にフランス語を習ったが彼はキッチリ、紳士的なインテリだったが、サンテグジュペリを読みたいのに、初歩の会話のテキストではじめたが、半分日本の文化を教えることになり、そのフランス人の奥さんというのが美人なんだけど活動的な、なんかザッパで・・・美人ではあるだけで好い感じがない。(夜、家に電話があり、パーティーでおでん鍋つくりたいが出汁が作れないと・・、パートナーに聞いて出汁の素を持ってった)。旦那さんは文化的な人だったのに、技術系の美人奥さんは雑で味気なかった。

  (フランス語の先生を選ぶときには、ちょっと考えてから選ばないといけんなと)

フランス人でも、キッチリした人と、どんちゃんして、なんか下品で軽いパリジャンみたいな人といるんかもなーと・・・ そりゃ、どっこの国も同じか!! 

しかし、上流階級でもなくインテリでもない庶民に真心があることもある(それこそアナトール・フランスの「聖母の軽業師」なのだ)。

  

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井村順一先生の本 (読んでみたいですが

「美しい言葉づかい フランス人の表現の技術」2008.7.中公新書 

 

 これはフランス語のことだけを書いてあるらしく、

 つまり、フランス人の「美しい言葉づかい」の表現の技術ということかと・・・

 

 

ムール貝というのは、たぶん、カラス貝か・・二枚貝で、あんまりおいしくない。。とか聞いたような、

 

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しらべていて書いて、次の朝、思ったこと (10/27)

井村順一先生は、1933年 東京のお生まれのようで、

戦争が終わった1945年は、もう12歳になっておられて、

東京であるから戦争体験というのはあったのだろう、 

それで、 ムール貝の配給の列にならぶ短編小説とか、戦時中の女性活動家のエッセーがテキストに選ばれたのかなと・・・。

 

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(ムール貝の短編の、ことが知りたくて検索しましたが、うまくいかず)

 

あららー Oh là là ! (オー・ラ・ラ) と思うのは・・

AI による概要
第二次世界大戦中の食料配給の列に並ぶ大学教授の心境を描いた小説で、「ムール貝」という題名から考えられるのは、ドイツの作家ヴォルフガング・ボルヒェルトの短編小説**『ムール貝(Die Muscheln)』**である可能性が高いです。
食料配給の列とムール貝: 食料配給の列に並ぶことと、ムール貝というキーワードが合致しています。
主人公の心情: 飢餓と孤独の中、ムール貝を手に入れてスープを作ることを夢想し、自己を慰める主人公の心情が描かれており、大学教授らしき知識人の内面描写が特徴的です

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というけど、ちょっと違うかも?

ま、本棚にこのテキストはあるはずなので、いつか読み返してみよう。

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読んだテキストを思い返す。

1冊目、戦時中の食糧難で苦労するインテリの教授。ムール貝の配給に並ぶが確かもう無くなってしまう。

2冊目、戦時中の若くして亡くなった女性活動家の信仰上の課題。

3冊目、アナトールフランスの、、非常に美しいフランス語の短編を2つ。

 

 

 

 

今朝は雨がやんでいて曇り空。午前8時前に起きたので、

花をレンズのテスト撮影してみました。(古いマイクロ・レンズ+デジです

 

  

    (もう少し近づいたらよかったんですが、焦点距離が105mmで長くて)

 サフランモドキかな? 結構長い間咲いている花です。確か夏頃から咲いてるような・・・

 (サフランモドキで検索すると「有毒植物、毒性」ばかりでてきますが、

  別に採って食おうというわけでもないし・・・)中央アメリカ原産とネットに書いてあります。

 

 9月頃に咲いた有毒のイヌサフランは花が終わってしまい、姿を消してしまいました。

  ↓本物のサフランの芽だと思います (1年前に、この辺りに咲きました)。。

  

だんだん成長しているようですがまだまだのような、こんな秋の遅い時期だったんだなと

 

 (今年やっと名前がわかった)ヒマラヤ原産 ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)

  

 

   「ヒメツルソバは、増えるし、外来種なので、外には出ないよう」とか書いてあって、

   とりあえずこの辺りまで、ここのはそんな無茶苦茶増えてる感じでもなくです。

 

草取りをしていて、取る草と残す草の判別がつかず、ときどき Google 画像検索で名前をしらべています(Google先生)。

 

 

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(余談)  (ジジイの偏った感想で) 反対意見もあろうと思いますが。

 

昨夜、YouTube で、It's a small world. を何度か聞きながら、(はじめてディズニーに行ったとき感動して)ずっと「ああーこの歌の通りだな~」と思い。「いい歌だ」と思ってたけど、

昨夜聞きなおして、なんか違うよな、今の自分には合点できない、しっくりこない、と・・

 

 It's a small world after all. って・・・ (結局これは小さな世界なんだ)とはいうけど、

(日本語版) 「みんな それぞれ たすけあう ちいさな せかい」 →隣人との距離は結構遠い。

 

「小さな世界」、「世界は狭い」、っていうけど、「世界は小さくない」・・やっぱり世界は広い。

 (ほんのちっぽけな庭の土の植物や昆虫や生き物たちの世界でさえ狭くない。

    植物や昆虫の世界で知らないことだらけ、、植物の名前だって知らない)

 

「世界は同じ」 →同じじゃないかも? ものの考え方にしても。セイタカアワダチソウは北米では別に嫌がられてない(逆に芝生が大切な国々ではタンポポは大敵)。 コオロギが大嫌いな国々もあるし。(個人的に ゴキブリが大嫌いなのに、コオロギはかわいいと思う。。)

 

「世界はひとつ」 →野生動物の世界もあり、植物の世界もあり、人も住むところで違うような。

           → 違うことをわかって、違いを尊重しないと・・ 。。

 

「世界中だれだって、微笑めば仲良しさ」 (and a smile means friendship to everyone),

 笑顔で友達になる(仲良くなる)、、っていうのはどうもなーと・・ 

 そうであって欲しいけど、そんなもんとちゃうな。

 ただの表面的フレンドリーもあれば、親友もあり。表面的なフレンドリーが大方。 笑顔で近づいてきてグサッとダメージ与える人もいる。

  
一応、ロシアとウクライナの国旗は離れてあるけど、、台湾はあるのに中華人民共和国がない。
  日本は無さげなのは好いとして。。 結構、こども同士の世界でも厳しいものがあるかも。
 
ディズニーランドで、夢の世界で遊んで、あそこで聞くのは夢があってよいんだけど。
   (文句言いで申し訳ないです)。。    
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(おわび)

 現在ちょっとPCが使いにくい状態になっています。。

・夏に(自己負担の)レンタル用品を返却し、ディスプレイがあまりにも遠くなって、キーボードの入力ができなくなりました。 →今週一応、部屋の模様替えをしました。

・10年以上使ってきたマウスの調子が悪くなり、おまけにWindows10が終了で。

 下書き保存はいくつも書いたのですが、なかなかup できない状態です。

 

 

  (午後遅く、マウスを買ってきました、非常に操作性が改善されました)

 

 

ONEになって使いにくくなり余り見なくなりましたが) 

NHKのONEのニュース:

文化勲章・文化功労者の 発表があったらしい です。

 

 

 

あーもう少ししたら文化の日だなーと・・・おもいつつ

 

顔ぶれを写真で見て、知ってる方も知らない方もいらっしゃって、、

朝からしらべてました。

やっぱり すごく興味深い方は、

小説家・評論家の水村美苗さん(74) でした。 経歴については略しますが・・

 

(Wiki)

米国に長く滞在。夏目漱石『明暗』の続編として『続 明暗』(1990年)を創作し話題に。

評論『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(2008年)も高く評価された。ほかに『本格小説』(2002年)など

 

『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』って非常に興味深いタイトルだと思う。

このタイトルを見て感じたのは 日本語がほろびる前に、日本的な心みたいなものが無くなるんじゃないかと・・・ (もしかしたら、既に消えつつあるようにも・・・)

 

 このニュースを読んだ後、庭の草木をみて、雑草の勢いはもうなくなってきていて、、

 秋だなーと、、 

 雑草もだけど、少しずつ木の葉が変るような気配も、

 

 日本的な庭にはどうも常緑の草木を植えるようで、(冬になっても緑があるように)。

  ヤブラン もだそうです。

    YouTube 福井県の  「開花園チャンネル」 

     ヤブラン 育て方 管理方法 日陰で育つ ブルーの花 毎年楽しめる 常緑

    【おうちでガーデニング】開花園チャンネル 開花園チャンネル

 

      

 

 (今日、名前がわかったのが、「スイカズラ」??。もしスイカズラなら忍ぶ冬で (忍冬) だが、

 花が咲くから植えただけでもないかも、冬に緑が残るから??

  忍冬/冬忍で検索していて Google AI 要約の一部めちゃくちゃでしたが

   【子季語】 冬忍/立忍 というのがあるらしい (俳句とか季語とかまったく知りませんが・・)。

 

   (センリョウ、マンリョウも確か常緑だし、ナンテンも正月に写真を撮ったことがあったなと)

 

以下、いい加減な私の空想です、

 大昔、日本に住む人の9割以上は農家・農業だった。

 (平安時代 貴族はごく少数(人口の0.003%以下)とか?。農民の税をとりたての家とか、管理する役人とかいたとしても。・・・)平安時代は95%以上か?      

稲作と畑作(野菜や蕎麦や麦)農業だと、樹木、植物、草木、季節が非常に重要だった。

 (四季以上にこまかく区切ってるし、季節が変る時期に土用とかあったらしい)

 

雑草ももちろん大事。食べられる利用できる草や加工して日用品や、屋根に使うとか。

菅笠のスゲとか、チガヤとか。ヨモギ、春の七草に。しょうぶ湯、蓑にチガヤや藁。茶筒にサクラの皮(抗菌性か?)。 草木(雑草ふくむ)。植物は生活に密着して、身近だった。


山の仕事をする人達。 山では、炭焼きとか、木地師、製鉄(たたら)←たたらには炭が必要。 

  低木の落葉樹=雑木か?薪、伐採した木を川で流して町の家をつくった?)。

  町も、里の農家も、山が大事で。 鉄で農機具ができてるし。

  木地師がつくった椀と、茶碗の碗 のこと

 

 

   

 

   植物はとても身近、、それで四季ということは生活に密着。

      (植物は、気温もだろうけど、季節を太陽の光で知るように思うのですが) 

 

   江戸など都会でも、盆栽。や、鉢植え。が盛んだった。

   庶民も盆栽や鉢植えしてたかもしれない。狭くても庭先に何か植えてたかも知れない。

   今の日本の観光名所の大名や寺院などの見せるための庭園ではなくって、

   庶民の小さな庭、小さな盆栽や鉢植え、朝顔、に 日本の心があるかもなと・・。

 

  (家も、今の洋風の戸建て+芝に外来種の植物の洋風の庭でなくて)、、

  木造の長屋だったり、隙間風の入る日本家屋だったり。町家だったり

    縁側(濡れ縁)から小さな庭。。表の軒下に鉢植え。 朝顔。 金魚。 町家は坪庭??

 

  人は、気温とか雨とか台風とか雪ですが、植物は太陽の光(日の出・日の入り)感知するようで。 

 

 いま、都会の一部で、日本をアピール的なのは、外向きのアピールの感じだけど、

 ほんとうの日本的な心は、内向きなもんじゃないかなと、、

 

むっちゃくちゃな話になってしまいました。。。 (失敗)

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  (↓ これ何という名前?という木。) 

 葉が内側に巻いてるので調子悪い木だな~と思いつつ。
 山ぶどうのつるが巻き付いてて。 Goggle検索では スイカズラ 忍冬?
木ではなくて蔓(つる)性の木本植物??しかし根元を見るとかなりしっかりした木で、つるっとした木肌です。 5月か6月頃だったかに、薄いピンクの花が咲きます。

 

  (塀の 陰に花がひとつ咲いていて) シュウメイギクみたいでした。

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 思い出す、ことごと。

 1つは、川端康成がノーベル文学賞授賞式のスピーチ『美しい日本の私―その序説』で、

  四季のことを語った。 日本的な心には四季。

 

 2、やっぱり、 泉谷しげる 春夏秋冬 という歌。

    歌詞をよく思い出す。 「詩と真実」ってあるけど、真実だなーと。

      (泉谷しげるさん。 20代の頃、学園祭のコンサートで設営していて、トイレに入ったら、

        変な男が入って来て、ツレションしたが、あとでどうも泉谷しげるだと思った

 

 3、賞というと何といっても夏目漱石。文部省が文学博士号を贈るというのを

   断固、ことわったという。 肩書はいらないって・・。(当時は文部省が贈ってたらしいです

  

   (笑福亭松鶴は、文化勲章の連絡が入り、あわてて、滞納していた市民税を払いにいったとか_?_。)

 

 

     日本人のこころ ではなく

     日本のこころ だと思うんですが。

     (日本語が母国語でなくても日本のこころはあるかも)。。

 

     盆栽も これは数百年のだとか めっちゃ高い盆栽だとか お金で価値じゃなくて、

     ほんと 拾ってきた木の苗めでるのが 、日本のこころじゃないかなと

 

      うまく書けない記事になってしまいました。

      ボケーっと書いていて、まちがいや、考えがおかしいかも?

 

 

 

 

20年くらい前か、安住アナは男前だ好きだわーとみんな言った。安住アナは滑舌が良い。(比べて、滑舌わるいナーって安住が好きな嫁にいわれた)。
「滑舌」って初めて耳にしたとき、カツゼツって何だ??と思った。要するにパフォーマンス・しゃべりだろう。 (滑舌わるくて、イケメンでなくて悪かったなー だけど、滑舌がそんな重要なんか?と思ってきた)。。
 
石破さんも鳥取県東部だから苦労されてきて(大分しゃべりとか目や顔の感じとかジェスチャーとか大分指導を受けて練習されたと聞くが)、滑舌でなくても、誠実さつたわるやっぱり良い。
 
今日、石破首相「戦後80年の所感」ノーカット(時事通信)を観て。滑舌わるくても全然かまわんよなー中身・誠実さ・発言への責任・緻密さ・・・バックグラウンドが大事だよーと思った。
 

 

 

 

 

【ノーカット】石破首相「強靱な民主主義大切」 戦後80年所感、

 
新しいキャピキャピの総裁も、レジ袋のイケメン農水大臣も滑舌良いしテレビ写りいい。しゃべりは上手。
でも考えながら責任のある話し、質問に対して回答をじっくり組み立て、国内・党内や諸外国も責任もって話すとなるとやっぱり滑舌は悪くなるんじゃないか? 
滑舌よいけど内容が無いとか、滑舌で受けはいいが無責任・約束は守れないと、どうするん?
 
 1989年に土井社会党党首の「パフォーマンス。やるっきゃない!」を思い出す。もうテレビ受けとかしゃべりや顔が良いパフォーマンスとかやめたらどうか?(そりゃ自分のことか・・・笑)。
 
大体、議員というのは国民の代表で。同じ方向の考えの議員たちがまとまって政党結成して
政党政治・政党内閣。、党の中である程度まとらないと・・・、今回党内から反乱おこしてる。
戦後50年(村山首相)、60年(小泉)、70年(安倍)談話がでて、80年談話は出すなと言う人が党内にいるって、それだから談話でも党のまとまり考慮し中身がやや控えめになったのは当然と思った。
 
子供の頃、ブラウン管テレビで観た佐藤栄作って人が退任会見で、
「新聞は出ていけ、テレビカメラはどこだ?、テレビカメラだけ残れ、文字はだめだ、直接国民に語たい」と言ってた。
 時代は大きく変わって、テレビより、ネット時代になって SNSが重要になったようだけど・・・
 ずっと変わらない 大事なこと、やり方・システムってあるんとちゃうん??
 パフォーマンスでなくて、口下手でいいと思う。

 

                                (恥ずかしいので数時間後に消します)

東京にはじめて行ったの、大学受験だった。 

寝台特急で新橋駅におりた。 列車で同級生と彼のお父さんと一緒で、東京には慣れてるお父さんが「安易にタクシーは使わず自分の足で歩くように。そうしないと土地勘がつかない道を覚えない。歩くように」と・・・。(今みたいにGoogle Mapはないけど、伯父からもらった観光の鳥観図を頼りに歩いた。)。。

 

とりあえず満員の国電に乗り憧れの秋葉原に行った! 東京の電車は凄い満員で、きれいな女の人がほんと多いなーと思った。 ラジオの深夜番組の熱心なリスナーでしょっちゅう投稿してたので、ラジオ局に呼ばれて収録した。(頭の中が東京で浮かれていて)受験した大学ぜんぶ落ちた。A判定・当選確実の関西の本命の大学まで見事に落ちた。関西の予備校に行かず、きれいなお姉さんが多い東京にでて予備校に。東京で1年浪人、

 
翌年、大学に入った年の春、寮の近所の居酒屋のおっちゃん・おばちゃんと、みんなと、
リヤカーにカラオケセットなど荷物を積んで、ただついて行き、着いたところは吉祥寺の公園での花見だった。 カラオケセットのスピーカーから「大東京音頭」というのを初めて聞いた、こりゃ凄い歌だと思ったが、、、 他を見てると、別の大学の学生たちが公園の池に飛び込む、えらい所だなーと思った。  (花見にOBが参加してて、隣で某有名自動車会社で塗装の塗料の開発してて、いろいろ話をきいた 
 
 予備校のとき、中庭で友達の友達に女の子がいて、好い感じで。
 かっこいいわー。背がすらっと高くて、活発な東京のお嬢さんだった。田舎から出てきた野暮な者に気軽に気さくに声をかけてくれた。(初めて女の子とまともに話をした。。)
ある日、米軍の銃弾を入れる鉄の箱をカバンにしてて、なんじゃこりゃ!?と、ミリタリーにとまどって目を白黒させてしまった。(だがそれがまた似合ってて、超カッコイイ)
 大学に入ってからも、彼女は演劇に興味あるし、下北沢ですこし近くて、夢の遊民社のチケット買って一緒に観たりして、何か大道具運びとか手伝ったらしい。
 ある日、待ち合わせで彼女のバイトが終わるのを待って、夜遅くに吉祥寺の公園を一緒に歩いた
   (一応、公園デートのようなものだったのかなー?と。)
もったいないことに非常にあがってしまい、血液が顔の方に集まってしまい、
もう、顔が真っ赤になって(夜だから相手にはわからないんだけど) 鼻が異常にかゆくなって。がまんできないくらいかゆい。かゆくてかゆくて何も考えられない、考えないといけないのに何も思いつかず何もいえない(あんなに鼻がかゆかったことはこれまでない)
  変なこと空想したり妄想がすごいから血液が脳に行って顔が赤くなったのか??、
 うぶな男の子だったので、どう語って、どう話して、どう行動したらよいかとか全く知らなかった、
 実行したいと願ったのは”かるく手を繋いでみたかった” だった、が、あがってしまって、、
 まっくらな夜の公園の池のまわりを一緒に歩いた、それだけだった。
 その後 先輩から国立劇場のチケットを2枚貰ったので、彼女に電話したら
  「その日は空いてない」といわれ、
   あー、だめなんだなと。あきらめたのだが。。単に空いてなかったんかもしれない)。
   もうちょっと頑張ればよかったかな? そのあと彼女はいい人と結婚して成功したが、
        あるいみ、彼女に迷惑や苦労かけなかったから、よかったんだと思う。
    国立劇場には同じクラスの調子のいい博多の同級生の男と渋々行った。おもろなかった。   
 
専門課程、 学園祭が終わった翌日、独りでキャンパスの中庭を竹ぼうきで掃いてた。
2年連続で学園祭のあとの敷地を掃除してた。。
 学園祭の学部の担当だって、学生課だかのオッサンに「現状に戻しておくよう」いわれ、誰も掃除しないし竹ぼうきで掃いてた。現状より綺麗になるようにした。
 
卒論実験で、もうれつに臭い物を作っていて、いじわるな博士課程の大学院生に「おまえ、電車や地下鉄に乗るなよ」といわれ、、っていっても、寝に帰らないといけないし、地下鉄経由で電車に乗って帰ってた。
 
 学部の同級生たちと、とある居酒屋に入って飲んでたら、東京の話になった、話してたら
 小粋な居酒屋の若いねえちゃんが、「今の東京って、江戸っ子以外の人の集まり。
 江戸っ子は少ない。江戸っ子ってーのはねー、三代続かないと江戸っ子じゃないよ。
 うちは、もう〇〇代目だから。ちゃきちゃきの江戸っ子よ。」 ほんとキップのいい、
 チャキチャキで粋なねえちゃんだった。 チャキチャキで小粋だ。 
 
卒業間近で、田舎に戻る前、親友としばしの別れで昼からビールを飲んだ。
有楽町か日比谷公園かの外のビアガーデンだった、結構しこたま飲んだ。
つまみは、なぜか、オニオンスライスの山盛りで、めっちゃうまかった。 
ビールがまわり親友と別れて、自分は現在の西東京の方にもどるので、電車に乗らず、有楽町の辺りから新宿くらいまで歩いた。道に迷っても方向はわかるし遠回りでもちゃんと着く。東京駅から新宿駅なんて歩いたって思ったほど遠くない。
 
 (3年生のときは夜遅くまで助手の先生と飲んでて、先生について行って、終電をのがした。歩けばなんとかなると思い歩いたけど大きな川を越えるのに歩いて渡れる橋を探すのには大変困った。、船橋駅あたりから秋葉原駅あたりまで歩いたが早朝の始発電車に乗れた)
 
都心や山の手線周辺、、明るい時に東京の地上はランドマークも多いし、5年程で土地勘はついた。やや外側になるとやや苦手。

 山手線周辺はかなり歩いたが、東京は長いこと歩いてない。
 覚えてるのは、何年も前、田町駅あたりから増上寺のあたりを歩いた。
 
東京って、歩くのは楽しかった。神田和泉町あたりよく歩いた。銀座も歩いた。東京駅から東銀座までよく歩いた。
はじめて東京に出た時のように、街を歩いて東京は美しい人ばかりだとおもわなくなったから不思議だ。 
 
 
 
 
 
 

昨年だったか近所のお寺の住職(中学の同級生)が散髪の帰りに自転車で家の前の道を通りかかり。私がひやかしで「おーい、悟りはひらけたんか?」と聞いたら、同級生の住職さまが「悟りは一生ひらけない。それがわかることが悟りだとわかった。」と向こうから大きな声で語られ。そのときは何の意味かわからんかった。


今朝、草とりをしながらデカい芋虫を発見。気色わるー(きしょくわるー)。

名前をGoogleで検索しセスジスズメ蛾の幼虫らしい。

(学問や世界の知識の上では既知のことで発見じゃないだろうけど)自分の中では”発見”だなと。

ていうことは、毎日些細なことでも発見があるなーと。

で、同級生の住職が言った「悟り」を思い出し、「わたし的発見」に置き換えて空想した。

毎日、発見しても、、発見が尽きることはないだろう。 一生、発見だ。

毎日、何か小さな発見をして(発見が重なって一週間、一か月、一年でも経つと考えも変わる)。


草取りしてて、草の名前を知ったり、草の生え方・広がり方(=草の意思みたいなもの)が何かわかったり、虫の名前を知ったり、、わたし的発見が毎日あり。
また昔のことでも、子供の頃に祖母が話してた断片の意味を発見したり、作ったものや工具や植えた花に亡き父母の思いを発見したり。


今年の前半のカメラ関係だって、地元の方に珍しい六櫻社の写真機を見せてもらい、貴重な日本のカメラだと発見。

4月~5月は、Kodak Brownie Hawkeyeの本物のレンズの写りを12年半かけやっと発見。

(Googleの膨大な知識や既知の世界では当たり前かもしれないですが、自分の中では大きな発見だった。)


先日NHKで”ヨーロッパではフランスもスイスも「安楽死」を法律で認めだしてる。日本はとうする?という感じの難しい番組をみてて。日本の在宅医療のお医者さんがヨーロッパを訪問、オランダだったかのお医者さんと会って議論し、パリ在住の安楽死登録した日本人の俳優さんと話をしたのを見たけど。
 苦しくてもとりあえず1日生きると、ほんとう小さなことでも何かわたし的発見はあるような。
 寝たきりで毎日天井だけぼんやり見てても、何か小さな発見あるような。

 とりあえず一日生きてみた方が良いなと思う。

  (そういやー、3,4年前に在宅介護してて、夜になってから「名月だから、月が見たい。」といいだして、車いすで一緒に月を見た・・ もっと見せてやればよかった。)。その日の月を見るのも発見だろう。

 

 

 

 

2012年の夏に買って失敗した レンズ抜け ジャンク品 Kodak Brownie Hawkeye 

~2025年にレンズ入れ換えて 試写しました。

 

左が代用レンズの写り    右が本物のレンズの写り