diary of trial and error (new title) -4ページ目

diary of trial and error (new title)

熱中していることを調べ書いております。(無収入で中立のブログです)。耐乏生活、直近の問題を文章で考えながら書いております。うつ気味の時はやる気なく更新が滞ります。イイネいただければ元気いただけます。(アメンバー専用(ア)のマークのは下書き未公開です

(電気敷毛布のダニモードは電気敷毛布のダニ退治だけで、敷布団や掛布団のダニ退治には効果はなさそうなの で、いろいろ試しました)。

 

一昨年は夏~初冬までひどく、去年の夏、今年の夏は皮膚トラブルはおきませんでした。

一昨年は夏ころ~12月~昨年の1月頃まで皮膚のトラブルには悩まされました。

 

ダニ対策 (2年間ほど、試した数々)。 

    

1. 天然素材・寝具にも使える殺虫スプレー → 他の虫でも試して即効の効果を確認。

        皮膚トラブルがなければ、寝具には効く。

        すこしお値段が高いので、寝具のみにして、カーペットやフローリングは掃除機。

 

2. 布団丸洗い : かけ敷布団、専門店に持って行って、丸洗い。説明も聞きました。

         (そこそこの値段とはいえ、クリーニング店でシーツ1枚が千円ちかくかかるので、

            シーツは家で洗濯し節約すれば、

           大きさを考えると、、ふとん丸洗いは そんなに高くないように思います)     

 

3. (掃除機については、この9月下旬から、いろいろ試していますのでまた書く予定)

  繊維のホコリ・わたボコりより、

  ヒトが出す皮膚や頭皮の細かい粉、食べこぼしがダニの餌になるかなと(細かいと目に見えない)

   やっぱり掃除機 → ネットでしらべて、掃除機のパワーが大事

 (布団やカーペット寝室の掃除には、コンセント・コードのキャニスター型の仕事率300W

   吸引力がしっかりないと、どうもダニやダニの死骸は吸い取れないような?→要検討。

 

  掃除機: 吸込仕事率 (吸引力 単位 ワット(W) と 消費電力(単位 ワット(W) がある。

      吸引力=吸引仕事率が高い方が布団やカーペットの清掃には適している。        

      吸引仕事率は、ブラシを外した状態で測るので、実際の吸引力はブラシの形状も関係?

 

  充電式より100Vコンセントのキャニスター型(100Vコード)の方がパワーはある(要検討)

       当たり前か?  持ち運びが手軽なので、どうしても充電式を選びたくなる。

       吸引仕事率=仕事率 なので、寝室や寝具は、キャニスター型。。

  

4. 虫は、低湿度と、高温に 弱い → 布団乾燥機?(最近は未検討)

 

 

(5.やはり、掃除。 キャニスター型コンセント・コード式の掃除機で寝室・寝具の掃除に。
   そして、布団の丸洗いは有効。
      一時的には、天然成分のダニスプレーを少し試してみる。
    (他の殺虫剤より安全性はありそうなので、いつも部屋に置いています)。
 
 
 ---- うまく書けなかったので、一時公開の下書き状態です ---
 
    (まとめ) 雑草は残ってもらわないといけない。
  

 

7月末から8月、横浜~鳥取を2往復。8月3日に一度鳥取に帰り、少し雑草が伸びてきたなーという程度メダカ鉢の水はあるし(8月上旬は曇り時々雨の予報で)。また横浜に行き横浜に半月滞在。

横浜の賃貸マンションのベランダでタバコを吸いながら下を見下ろすと隣の広い空き地に背の高い雑草がいっぱい。草を抜きたいナーと思いながらタバコ吸って見ました)。

 

8月19日頃、鳥取に帰り、庭を見て雑草が大きく伸びていて愕然。

2~3日かけ庭の大きな雑草をボチボチ草とり。何とか目途が立ったと思って、家の前の歩道をみるともっと凄い雑草!。

こりゃ歩道か風で種が飛んでくる、まずいと思ったのがきっかけ。隣家のおば(あ)さんに「除草剤まこうかナー?」と言ったら、「歩道はしゃがんでこうやって草を抜け」とやり方を教わり。 しゃがんで手で抜き、抜けないチガヤは万能ばさみで切り芽がでたらまた引き抜くことを繰り返すと、土日の2日で歩道の雑草をとり終わりました (夏前に一部除草剤を撒いてもらったのか、5m程は草がほとんどなく)。

 

道を取り終えたら、今度はまた庭の草とりしながら。 

庭の草とりは手間で、道の周りの草取りは作業が意外と簡単なのは何故だろう?と、

ああ、道はコンクリやブロックやアスファルトの隙間から出ていて、残す植物はなく、選別なく、ただ全部引き抜くだけだからだ。 きれいにはなるが草を抜いて出てくるのはコンクリかブロックだし、草の選別がないんで草たちの関係がみえない。 コンクリの歩道や道の草取りは手間はずっとかからないけど、土の上のような奥深さがないとこの8~9月に、はじめて感じました。

 (東京銀座でも、横浜駅周辺でも雑草は生えるんだろうけど、どうしてるんだろう?と思ったり。やっぱり地がコンクリやアスファルトだと、さびしいなーと思ったり)。

 

   隣町の隣家の道路辺りや川向こうの伸び放題の雑草が目につくが、

   とりたいけど・・造園屋さんの廃棄料は個人もちなんでと。。

   抜いた草は造園用の数袋、近所の造園屋さんに処分してもらい。

 

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造園屋さんの親方に道の草とり後の処分の相談にいったためか、(毎年秋なのに)、、

親方が、9月の暑い週に、うちの家の庭に入るといってくださる。

暑い日々の剪定や清掃や下草刈り作業中、邪魔をしながら毎日、話を聞いて邪魔してました。

裏庭は、大方は電動草刈り機で刈ってくださったので、残りを手や鎌で抜いてました。。

 

庭の剪定がおわって・・ 少しゆっくりして、

9月下旬になると、他所の雑草の勢いがピークを越したのがわかりました。

こちらも疲れがでたのか10日間ほどグッタリ。(10月に入ると草も少々茶色がかったようです)。

 

8月からすごい伸びた、繁殖力のつよい、人は余り要らない草=雑草、、

 今の時期、主にメヒシバ、カヤツリグサ、チガヤ、 エノコログサ、 オヒシバ、

 (やっと名と姿が一致した)ブタクサはさすがに存在感あります。

  今の時期枯れてるが少し芽を出し始めてるスギナたち。 

 

雑草たち、8月から9月、威勢がよかったのに、

9月の下旬~10月に入ると、もう雑草の勢いはピークを越し。

   余談ですが、8月から秋にかけての雑草はイネ科? これらは「夏草」なのか?

    「夏草や岩にしみいるセミの声」は新暦の7月13日とか・・・

    芭蕉の「夏草」はどんな草たちかな? 今の雑草がまだ若い頃の状態?

    今年の7月半ば、家の周りで雑草はどうだったかなー? 

    今年は6月7月は猛暑で草も雑草も弱ってたんだけどなー。

  (「夏草」でないかも知れませんが、日なたのドクダミって盛夏・猛暑の頃は小さくなり

   一度 姿を消して、9月下旬~今10月は復活しています)

  

10月に入ると、雑草たちも盛んな時期を過ぎ、種をしっかり抱え、風が吹くのを待ってる?

 冬が来る前に、 次のシーズンに向けて、種を広げる?

 

「何で8月9月前半の暑い時期に草とりしたの?バカじゃん」ですが・・・

雑草が青々して元気な頃はチャンス、ちょうど草を取る時期と思ったんです。

葉や茎がよく成長して見分けやすく、種がついて広がるようになってからでは遅いと

直感的に思ったのでした。

 

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草とり作業なんて、何の役に立つの?川の周りや道の草とりなんて金にもなんないし、

一種の趣味だ、道楽だ、暇な年寄りがすることとずっと思ってきてて、

 

ちびまる子ちゃんの佐々木のじいさん 、川の掃除の川田さんだったか、まるちゃんの気持ちだった。

  (俺も佐々木のじいさんと同じになったんかい・・・と)

 だけど草とり2年目で、どうも まるちゃんの気持ちとはちがってきたような。

 

 1年目(1年生)、雑草は敵だったし、草取りは、してもしなくてもいい作業。やれといわれてする。やっかいな作業。。

 

 2年目(2年生)、雑草と残す草と園芸植物たちはどこが違うのか?

 区別は繁殖力だろうかなと・・とか考えて、草をみたり。 また、

   草をとりながら、草たちを見ていると、植物たちに社会があるように感じて。

   草たちの社会・関係が、見ていると、 ヒトの社会と似てるように感じたり。

   草は脳はないけど何だか意思はある。そういう草の意思はヒトも虫も動物もおなじよう。

 

 ことし2年生で、春から草取りしてて、草たち・草の社会を見ていると、なにかデジャヴ感じる。

 草って隣に別の種類の草が生えていて、少し距離は置くが互いに意識してるようで、

 ヒトも学校や職場なんかでも、お互い距離はおいてる、しかし水面下(草なら土の下)は、なにか見えないイガミアイがあったり。協調・協力関係とか、力関係なり、テリトリー侵すなと勢力争いとかある・・

 草も、ヒトも その社会(世間)どうも似てる。

 自分の現役時代を振り返ると、まったくこういう世間の構図みたいなの考えなかったなー

 (理系だったからかな)。

 でもやっぱりどこの職場にも草同士の構図みたいなのあった。

 

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ときどき思う、庭とはなにか?人にとって庭とはなにか?

庭とはどういう存在なのか? 家にとって人にとって庭はどういう位置づけなのか?

 (時期によって考えは変化するけど)

 1.単純にヒト・持ち主が創造する美ではない。

   ヒトが思ったようにはならない。草木にはその意思があるから。。

  ここ一面この植物を生やそうと思ったって、土壌・水はけ・日の当たり具合・風当り・その他・・

  で、その植物が生残って定着し、少し増えてくれないと、頭の中の絵にならない

 

 2.庭とは自然ではない。

  自然とは「自ずから然り」なので、草ボウボウ、蔓が伸び放題、落ち葉だらけ、

  下の草や雑草がボウボウ・・・それが「自然」なので。(それもよいだろうけど。)

  やっぱり手を入れないと庭にならない。

 

   自然ではなく、頭に思い描いた絵画のような美ではなく。 じゃあ

   庭にある植物達(雑草も含めた園芸植物に木々)と、土と、石と、砂利と、、

   虫たち、エビカニの仲間?ダンゴムシと、クモや、ヘビ、カエル、動物たち、野鳥、コウモリ、

   水生植物に水生昆虫にメダカ(トンボとヤゴとスネイルと藻)、

   それらにヒトが介入してつくっている場なのかな?

   ヒトも加わった社会というか(小さな宇宙?)、

   (家はヒトの住処で、そこには草も生えず、めったに虫や動物は入らず)。。

 

 たとえば、9月前半までかかった庭の草刈りの前後で。

 草刈り前、裏庭で、秋の虫の音が凄くjしてたのに、

 草刈り機で高刈り撫で斬りで、9月15日で草刈りが終わると、虫の音が減った。

 ヒトが介入してて、もしかしたら秋の虫も葉をたべる? (先日バッタは食べてた)。

 鳴いていた虫たちはどこに行った? 

 

  一年365日、 冬、春、夏、秋、そして冬、の一年ってヒトの一生に見立ててもよいだろう。

   いやヒトだけでなく、一年に、虫の一生、一年草の一生があり、多年草でも季節で変化。

  この一年、草とりやら庭の手入れしていて、

  かなり一年の変化・季節をしっかりあじわうようになりました。

  昨年とはまったく違ったことしてるし、思ってること感じてることがちがってる自分。

  来年も生きてたら3年生。

 

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今はもう庭の背の高い雑草はほとんどなくなったので、こんなことたまにしてます:

 

1) これは父が植えて庭のグランドカバーにしてた玉竜の群落ですが・・。

   当時はこれが一面生えてたのに、

   今は猛暑や勢力争いで負けて隅っこに追いやられて。平家の落人と感じる。

   よく見ると(写真で見てもわからないけど、葉を指で触って・根元を見たりすると)

   この平家の落人の玉竜たちの中に 雑草(たぶんオヒシバ)が居ます。 

 

2) かき分けて、カメラを下に向けると雑草(オヒシバ?)がはっきりして。抜きます。

 

3) 周辺を同じ作業くりかえし、雑草(オヒシバ?)を見つけ引き抜いたのを集めてみると

 

 オヒシバ(と思う)と、玉竜ってなんでこんな同じ所に植わるの? 小さいときは、そっくり。

オヒシバも、玉竜も意思はあって。一種の草同士の関係あるんでしょう(人間関係みたい)。 

 

 これはオヒシバだと思うのですが、

ネットで調べると、オヒシバって、2タイプあるようで(農地のタイプ?と都会のタイプ?)、

 放っておくと凄くデカくなって、小さな玉竜を押しやって。

 玉竜は、背は伸びず小さなままで、威勢よく株も増えないし、

   (たまに小さな芽がでたか・・って感じ)。

 玉竜は地味にコツコツやってて、15年程前は玉竜が一面生えてたのに今では隅に逃げて隠れて細々の隠居か落人。。じぶんを例えれば、オヒシバか玉竜かといえば、どっちかといえば・・・でしょう。

 

(一か所だけ、玉竜が何故か元気な場所があって、それについてはいつか)

 

 15分くらい採って集めるとこんな感じに

 

 

 こんな辛気臭いことよくやるなー よっぽどの暇人の時間つぶしとか言われそう。

 一昨年や数年前までの自分なら、こんな辛気臭いことせん!やらんでいい!と思っていたが、、

 

 もし誰かに見せて話したら、「あんた、何で今年はこがいに辛気臭いことしてるん?」 「もっと他にすることないん? GPD上がらん、ムダ、高齢者も働け」と言われる。

 (ここだけで写真だして語るだけ)

 

 勤めにしても、自営業にしても、なりわい、まいにち食っていくこと食っていけること、

 恋愛、 子育て、 

 なにかに思い返し、人生、辛気臭いことの積み重ねじゃないかな 妄想か・・。。

 

そういえば、親方が、草刈り機で高い草を刈りはらったあと見ると、花をつけたヤブランが現れて。

ああ、ヤブランがあんなところで生きてたんだ!と、

「これって お花、華道だ」と、親方に語ったのです。

 

 雑草があって隠れていたのを取り払うと花が映えて。。

 

 雑草も残ってもらわないといけないなと・・

 

 

 

 

 

 

 

春咲いた花が、秋また咲くようだ。

四季咲きのバラはGW連休から花が咲いた、

夏の間は、休んでて、秋にまた小さな花たちが咲き楽しませてくれる。バラは春ほどではないが秋を楽しんでいるようだ。

 

他の植物たちも冬の間はじっとしていて。春がくると活躍する(春の初めのスイセンの元気なこと。

夏が来ると、雨もないし暑さに耐えて、秋がくると活動再開する。 気温もだけど日照に関係あるのかな?と思ったり。

 

 冬の眠りから覚め、春になると元気に活動し。

 長い夏の間は耐えていて、秋に活動はじめ。冬支度に。

 (一年間を、一生に引き伸ばしてみたらどうなるかな?と、ぼんやり考える) 

 

真夏は日射がきついのと雨が降らないので、

草にとって実に苦しい時期のようで、じっと我慢しているように思える。

  ドクダミなんか真夏は葉が枯れてなくなる。。

秋になると、夏はじっとしていた雑草達は、待ってましたと活動再開する。

春には見かけなかったようなイネ科の雑草が多くて、

 チガヤ、メヒシバ、オヒシバが秋に大手をふるう、

 エノコログサ、カヤツリグサがにぎやか。

 

春から、草とりしながら、草にも夏の雑草と、秋の雑草があるんだろうが、

春に多い雑草は秋にはもう忘れてしまった。(半年が、だいぶん昔だ)。

 

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草で、ひとつ思い出すのは、有名な句

 

 夏草や つわものどもが 夢の跡 

 

(これまで、この句は、夏の終わり頃か初秋をイメージしてた、

 9月の今頃、イネ科の雑草が生えまくって威勢のいい時期かなと思ってきてました。

  それか、秋を迎えて勇ましかった夏草たちが枯れた荒れ野をイメージしていました。

季語は「夏草」で、「秋草」じゃないんでした。

 

この情景の草は夏の早い時期の草たちのようで。

初夏、草たちが青々とした情景のようで・・・。

 

   梅雨頃~初夏、草達が青々元気な情景なのかなと、

   どんな種類の草が優勢だったかなー?と。

 

 となると、兵どもが・・は、落ち武者や敗残兵のイメージじゃないんだと

 「つわものども」とは、戦国時代の武者たちでなくって、

 

芭蕉がおとずれる500年前に平泉で栄えた平泉の奥州藤原氏のことだったのか。 

 

 (Wiki 奥州藤原氏 寛治元年(1087年)から源頼朝に滅ぼされる文治5年(1189年))

 

 

 

  

 

今年の夏も終わりに、草をとりながら思った次第です。

 

芭蕉がこの句を詠んだ時期は・・

 

 

「夏草」について

 

 

地元の町で高齢の一人暮らしの先輩と知り合いになり、

たまにお邪魔して話を聞かせてもらっていたのですが。

今年まだ肌寒い春先に遊びに行ったら、、

 

先輩 「すごいカメラ見せてやろうか」、

私 「うんうん」、

 

大きな革鞄をテーブルに出され、三辺が同じ真四角の大きな古いカバン。

 

 

 

先輩 「これのことは誰にも言うなよ」、 

私 「はい」

 

革鞄を開いてみると大きな黒い箱が出てきた。

昨年の文化の日に、ひょんなことから小型フォールディングカメラをもらってフォールディング写真機とわかった

 

ロゴを見ると Lily リリーかなんかで、

  (独り言: なんだ国産か、六櫻社だったかな、小西六=コニカミノルタじゃないか・・・  

    寅さんの映画に、リリーがでるし、サクラがいて、御前様のカメラは六櫻社パーレットだな、
    山田監督は、何か思い入れあるのかな?
 

   大した値はつかないだろうけど、一応、持ち上げておくとしよう・・ ) と思い、

 

 私 「こりゃ珍しいものですねー。すごい貴重なカメラですよー 」と言って。

 先輩 「だろう」。

 私 「この写真機の写真撮らせてもらっていいですか?」、、

 先輩 「ああ、いいよー」  スマホで撮らせてもらいました。

 

 なかなか、蛇腹が引き出せなくて。 引き出すと・・・

 

 

 正面は・・・

 

 

引き出してると、

両側の黒い柱の塗料がパキッとはがれ落ちて金属の地がでる。塗装が当時のまんまなんだなと。

 

で、レンズを見ると 

 

 レンズは、ドイツのフォクトレンダー社。 シャッターもドイツ製のよう。

  おぉーフォクトレンダーか。 ここんとこえらくフォクトレンダーと縁があるな。

   (フォクトレンダーを見直したのは、Foto-Poohさんとのやり取りのおかげです!)

 ボディーを日本で作っといて、写すためのレンズとシャッターは輸入したんだろうか

 

ボディーに小さなガラス窓がはまってて、最初は埋め込んである水準器と思ってて、

何とか開いてみるとファインダーでした。 開くと同時に手前にY字の照準が出てきました。

 

  

 

 銘板です。 Special Lily 

  

 (銘板、Special Lily 、なんで Special なんだろう?)

 

(ついでに新し目のカメラもたくさん見せてもらったんですが、オリンパスPENが懐かしかった)

 

これを見せてもらったあと、独り暮らしの先輩は認知が進んで行って、

この写真機が家のどこに置いたかわからなくなったようで。何度かそれとなく聞いたのですが。。

 

 

おもしろいのは、これがどこで見つかったか、という聞いた話です。

 市の中心部から10kmか15km 離れた、山の近くに農村に一軒の家があり、

 お年寄りの女性が二人で住んでたそうです。

 倉があって 中を整理して倉を解体するということになり、

 先輩が手伝いに行って倉の中を片づけていると

 布団にくるまれた物があり、開くと革鞄に入ったこの写真機がでてきたそうです。

 

 この写真機で撮影したと思われる像のあるガラス乾板が何枚か出てきたんだが、

 汚れているので水洗いしてたら像が消えてしまったそうです。

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見せてもらって家に帰り、ぼんやり思うに・・・

カメラの価値より、ずっと興味があるのは、

 

大正か昭和初期か、こんな立派なカメラを、ド田舎の農村の誰が、

東京か(大阪支店の)小西六に注文したのか、都会に行って買って帰ったのか、

 

 山の方の農村なので、駅からはだいぶん離れてるんです。

 

一体何を撮るためだったんだろう。 どんな人だったんだろうと・・・

そのあと戦争もあって、その人どうなったんだろう。

 

  乾板をどうやって作ったんだろう。 

  現像するには現像の薬品の注文して仕入れないといけないだろうに。

  東京や京阪神に行く駅からはだいぶん距離があるし。

  山村の農家まで一体どうやって届けたんだろう。

  車も少ない時代だから徒歩か馬車だろうか。郵便かなー?

 

  使う人がいなくなり、戦争中も戦後も、ずっと布団にくるまって眠っていたんかな。

 

  田舎の村のどんな人が何を撮るために大金を出して一式そろえたのか、知りたいけどなーと。

   (もしかしたら、小西六に勤めていた人だったのかなとか・・と空想したり)

 

一番知りたいのは、こんな写真機一式をわざわざ都会から仕入れ、

田舎の山村で一体何を撮影したかったんだろう・・・謎です。

 

フォルダーの両面に2枚の乾板を入れる方式のようで、片面ずつナンバーがあります。

片面ずつ遮光板がはめられ(薄い樹脂みたいなんです)。

90年くらい前に、アルミ枠をネジがしっかり止めてあるため、

アルミ板の枠がネジのところでたわんで。当時の念入りの作りの良さか。 

  (これだけの精度で作るって、当時の日本の技術はすごいもんだな。実感。)

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もう少し、このカメラが見つかった家の話とか、どんな写真が写っていたのかとか聞きたいと

思っているうちに、だんだん先輩の認知症がすすんで、

 (この夏はエアコンのリモコンを家の中で紛失。汎用リモコンの設定を手伝いに行ったんですが。)

この写真機もいろいろな物にまぎれ行方不明になってて。

 

 像が消えたというガラス乾板も何が写っていたのかすごく知りたいです。

        (集合写真があったとか春先は聞いた覚えですが・・・)

 

 

(この写真機が見つかったという山の方の農村から少し離れた

 川沿いの小さな町は 寅さんの映画の舞台になりました。 )

 

 

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写真機の話 (Foto-Poohさん 六櫻社のカメラ)

 

下書き原稿で、修正くわえつつ書いてます。

 

 

 

 

 

 

8月末の暑い日、「私を見て」と

 

次の朝、「おはよう」

 

次の日の午後、「娘がそだってます」

 

次の日の朝、月曜日 「大きくなりましたよ」

 

すごい雷雨の日があって、台風が去って、土曜日の今日

 

 

 もっと見てあげればよかったな・・・

 

 

8月の好く晴れた暑い日のポートレート

 

 ありがとう今年の夏の思い出のバラ。

 

Facebook  
 ( David さんは、わたしの母と同じ年のお生まれで、写真仲間。

   たいへん善良な方で、アメリカの人達からとても慕われている、おじいちゃん )

 

2025年7月31日  · David さんの Page より。

  

アメリカの友人から届いた返信メッセージ: (原文のママ。翻訳なし)。
「 Thank you Kaz!  カズさん、ありがとう!

  日本語の知識は基礎的なものしか持っていないのですが、Google先生にお任せします。

  良い一日をお過ごしください。

  これからも、人々に笑顔と幸せを届ける写真の道を歩んでいきましょう! 」
                                  David G.

 

今朝アメリカからの返信メッセージを読んで、

「人々に笑顔と幸せを届ける写真の道」 ほんとうそうなんだよなーと思う。

 

これまでカメラいじるのと自分だけの満足で撮ってきて、

人に幸せや笑顔をとどけようと思って撮ってこなかったなーと。

 

写真だけでなく日々の自分の生き方自体そうかも・・・
 

8月27日 Nikon の古いデジカメを買いました。


前日下見に行って、同時期の高級デジも好きで迷いましたが、

前日、カメラに詳しい店員さんがNikonの方をすすめて。

ファインダーがあるので草花や虫が撮りやすいと思い。

またフィルムカメラのレンズがあり使えそうなので。(前日、それならNikonのが良いと勧められ)。

 

   ネットオークションやネットショップで、たくさん安い中古品ありますが、

   値段は少し高くてもカメラのキタムラの中古品だと説明も受けたし。安心して使えます。

   バッテリーも交換されてるようで状態良く、清掃され、整備済み なので。

   実物を店頭でみて手持ちレンズを装着させてもらって納得しました。 

 

そして、8月初めに(息子からもらった) iPhone (2020年モデル)と撮り比べました。

 

 

(1) サフランモドキ  iPhone の写りのよさの理由

 

 

(2) セミの抜け殻で ヘタな写真で質感を比較

 

 

(3) バラの花で 比較。 周辺ボケ 

 

研究所時代に F401をよく使ってて、2000年代からデジ一眼を使って、それを甥っ子に譲り、

フィルムカメラがメインで、あまりニコンのフィルムカメラは使わなかったのです。

 (一度だけ、なくなった義理の父の形見のニコン・フィルムカメラを試写しました)

 

ニコンの古いデジカメを10日間近く使ってみて、すごいと思ったのは:

>1970年頃のフィルムカメラのレンズ(Ai-S: 絞り連動・非オートフォーカス)が使える。

>1987年頃~1990年代に使っていたフィルムカメラ (Nikon F-401 など)の 

    AF-AI レンズが使える(オートフォーカスも動くし、プログラム自動露出(Pモード)も使える)。

 

ニコンNikonの技術者たちが1個1個苦労して設計した沢山のレンズ。

それらがデジタルになっても使えるよう 。

日本光学には頭がさがります。

 

 

 

 

iPhone SE (2nd, 2020) 息子からお下がりをもらえて(ラッキー)です!

 ・中身もぜんぶ入れ替えてくれて。

 ・格安SIMが働かないのは自分で解決(→いつか書きたいです)。

 

一時、iPhone SE (1st 2016年モデル)を使ってて、

ネットで中古の iPhone 6s (2015年モデル)を買って使っていて(OSがもう限界)。

 (撮り比べると、若干 SE 1st model の方が 6s より好いように感じてましたが)

  SE 1st モデルは小型なので見づらいが、持ち運びには小さくてよくてです。。

 

やっと iPhone SE 2nd (2020年モデル) になったのですが、

写真を撮り比べてみて、カメラが良くなった!この4年でカメラの性能が変わった。 

 (たぶん今の高いモデルはもっといい写りなんでしょう。いつか比べたいです) 

 

写りの差を 2015年 (6s) → 2020年モデル(SE 2nd) で比較してみました。

 

iPhone 6s (2015年9月発売モデル)

  やや花が暗い。フェンスの金網が上から下まで大体ピントが合ってる。

  雑草が、下の草も フェンスの外の草も、ピントが合っている) 

  全部にピントが合うパンフォーカスに近いんでしょうか

 

 

iPhone SE 2nd (2020年モデル)

 花が明るくシャープによく写ってる。主題が花だとよくわかる。

 花が、中央以外の花も(右上のも)距離が若干違ってても、ぜんぶの花にピントが合っている。

 下の草たちがボケて、フェンス外の光をあびた草もボケ、フェンスの下の方もボケて。

 主題以外の 「周辺ボケ」がでて、花が引き立ち、、写りがいいなと。

 

  ( iPhone SE 1st (2016) は、 6s (2015) とほぼ同じだったので省略しました

 

どうも、カメラが良くなったようなので。 
2025年モデルはどんな写りするか見てみたいです

           (今のところ、、「見てみたいものです」だけ。)

 

   他のスマホ、android はどうかなとも(iPhone の高級機並みの値段ださないと

   比較できそうにないです。 何分にも・・・ (涙)

 

 

(おまけ)------------------------------------

8月に中古で安く入手した Nikon digital camera (2008 model)
Lens: 55mm f2.8 micro Nikkor / f2.8 中央重点測光

 

 

 周辺のボケは好い感じです。 明るさ、諧調もいい感じです。
 花のシャープさは SE 2nd に負けてる。 離れたところの花はボケる。
 次回、絞りを絞って撮ってみたいです。

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   iPhone SE 2nd も中古で安くなってますね。。  

 

 

        (上手く書けませんでした 埋没する記事です)     

    昨年2月3月頃から庭の草とりをしています。草とり2年生です。

   夏は水まき。、今年も、水まきしています。

 

自分が一人で草を取って、自分が一人で見るんですが、

少し草を取ると、好く見えるから不思議。(鏡で自分みてるよう)。

 

草とりは黒子で気づかれない(取りながら道行く人を意識しない)で取るのがいいなと。
  (もし、草ボウボウの道が、一夜にしてきれいになってたら、好いです)

 

  1年前の今頃だったら、しゃがむのがつらいとか、膝が痛いとか 腰にくるとかだったけど

  1年半ほど草をとってきたからか、そんなに体はつらくなくなり。

   ただ、炎天下でしばらく草取りすると、結構 疲れます。

 

しかし、草とり、雑草というのは、不思議なんです。

今、この8月下旬からの考えでは、

 雑草というのは非常に勢いのよい繁殖力がつよい猛暑でも増える植物たち。

 歩道や庭に ぼうぼうと (人が作った)境界を越え伸びて増えると、

 草取りをして、その雑草たちの勢いを少し抑え込んだ感じがよい。」

  手前の雑草が奥に引っ込んだ感じ。

  威勢のいい強いもの達が退却して控えた感じ・・

 

歩道の草とりで、いくつか発見もあり、

 歩道にある花壇の1つに、アップルミントが生えてた(良い香りです)。

 花壇の土の上に夏中マンネングサが定住しています。(庭には定住しなかったのに、なぜ?)

 花壇のブロックにカニがいた。

 花壇を少し観察したいなと・・

 

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(わたしの日記より)

 

この夏、草取りと水まきをしながらぼんやり思った事々。
1.外から雑草の種が入らないようにと、家の外の道沿いの草取りをした。2日間で30-40mほど公道の歩道の草を取ってみて。
  庭の草取りよりずっと楽だった。庭より草はなくなった。
  しかし庭の草取りの方が楽しい。

  庭の草取りの方が大変なのは生えている草が色々なのと残したい草との判別などだ。

庭の草取りの方が勉強になるし楽しい。庭には色んな草が植わっていて、生態系のようなのをつくっていて草取りは大変だけど勉強になる。

 

2.ある所が雑草が沢山で見苦しいということ、草をとってすっきりしたということ(散髪みたい)、そういう何か整って、すっきりした感じが良いんだという感性を誰もがもっているのが不思議だ。

 

3.草とりをするのに、ぜんぶ草を抜こうとしないでもよさげ。

 草とりを少しすると景観がかわる。 あ、草が抑えられたなと判る。

  そこからまた更に草をとる。 すると、ほとんどなくなる。

 

3. 歩道の場合は、歩道の敷石と、敷石のすきまから生える雑草だけだから、

   取るのは意外と楽だが、草をとっても敷石が出るだけで、つまらない。

   庭の草とりは全然ちがって、やっかいだ。

    全部草をとれば土だけだ。多少は低い草は残しておくべきだろう。

    雑草と残すべき草の判定がやっかい。うかつに引き抜けない。

     庭の植木・庭木・石の間をくぐって草取り。

     土がもってある築山に上がったり、

     庭石の裏手にまわったり。 ほんと歩道の草とりは楽だった。

 

  家の外の道がきれいだと。

  道はきれいなのに家の方は草が多いなーと、

  家の内の草をとろうかという気になる。

4.(水まき) 水やりは園芸種だけ水を撒こうとする、雑草のところには絶対やりたくないと思うけど、この夏やっと気づいた、

水が土にしみこむと土は一緒なので水が土中で広がるから、雑草にも水はいく。

また、雑草の所にまいても近くの園芸種や植木に水がまわる。(土に撒いた水は多分、結構広い範囲に水がまわる)。

 ヒトは、ここは園芸種の花のところ、ここは植木、ここは芝とかって区切っているけど、土は共通。目に見えない地中で水が動く。 土は公平。

 

5. 雑草はあっていいし、草とりの後で雑草はまた生えていい。

  雑草はヒトの煩悩みたいなもので、生きているから、煩悩は常に生じるのかなと。

 

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たとえば、庭の1坪くらいのところに、、

 いろんな草たちが生えていて、それが、どうもなんか草たちの棲み分け?あったり、

 落ち葉が多いあたりとか、雨水がよく来そうなあたりとか・・・ 低木が一本はえててとか・・

 1坪のところに 植物の種類で すみわけがあるような。 (虫がいたり。カニがいたり

 

 

水やりというの、今年の夏、すこし発見しました。

 

水をやるとき、大事な草を中心に水まきしますが、その周りの雑草は撒きたくない。

ところが、土を考えると、1m四方の所に、かたよって水まきしたって、土の中は

水は移動するわけで。 土は平等なんで。 雑草にも水まき、園芸種にも撒き

植木にもまかないと・・ 土に水をまくわけで。

 

 

歩道のアップルミントです

 

 

 

 

上手く書けませんでした

  

 

 

 

今日、壇蜜(いや正しくは”壇蜜さん”だが)のブログを読んだ。
 
これまで、壇蜜って、なんであんなエロい映画やキワドイ写真でてるのに、最近は真面目な番組に起用されるし。番組などでのコメントも安定感ある。 なぜ??と思っていたけど、
ブログを読むと内容がおもしろくて、最後の締め(シメ)が好い感じでシメ。
 
で、、他の(ポシャって消えていった)タレントさん達、残っている元グラドルを考えてみた、
 
壇蜜は、いくら週刊誌で冷やし記事がたくさんあっても・・・エロくても壇蜜の本当の魅力は
   セクシー プラスα なんだなと・・。 
それは、
1.怪しいんだけど、(表に出ない)しっかりした生き方?健全性?なようなのがありそう。
2.トークや記事は個性的なんだが、知的なセンスがある(それが記事の締め)。