銭湯再生請負人が銭湯から地域活性化 -2ページ目

■いやさか湯閉店回避?

浴場の経営者を悩ますもの・・・・設備劣化と光熱費。

 

最低賃金の上昇も大きな悩みではあるが、

経営者誰しも、儲かっていれば・・・・もっと払ってあげたい。

というのが本音でしょう。

 

鶴見のいやさか湯では、最大浴槽の漏水が経営課題。

 

だんだん浴槽の水位が低下する。

自動で加水されるので、お客さんにはわかりません。

気温が下がると、加水される水温も下がります。

常に新しい水が加わるのでガスボイラはフル稼働。

 

墨汁調査もやったし、怪しい箇所はパテで埋め、

施工業者にも相談し・・・・原因判明に至らなかった。

 

残りは循環する配管。

床下の配管であれば床を壊して調査しなければならない。

営業は休まなければならないし、修理費も大きくなる。

 

配管調査に手をつけないまま、ガス代は130万を超えてきた。

このままだと1月、2月の寒い時期は確実に150万を超え

水道代と併せて200万+電気代となり閉店が忍び寄っておりました。

 

漏水していたのは、

浴槽の中にヒノキの浴槽があるという珍しいタイプの白湯です。

系統が同一のため、漏水が疑われるヒノキだけ止めることが出来ずにいました。

 

それなりに人気のヒノキですが、

メカニカルプラグを使えば、無理やり止められることが判明。

 

早速、実行してみると・・・・減水が止まりました。

 

カラの浴槽があるというカッコ悪い状況ですが、

背に腹は代えられません。

 

カラの浴槽は、何かのスペースに変え

冬場のガス代を100万以下に抑えられれば・・・・経営を続けることが可能!

 

今までは、ガスの請求書を見ることが恐ろしかったが、

これからは楽しみである。

 

最近、気が滅入ることばかりだったので、嬉しい!

 

■松の湯再生

11月7日~11月9日 本店にしている墨田区「松の湯」でカマの入替

錆びた旧カマを搬出すると

場所的に目視不可能な調整箱の配管に腐食による穴があることが発覚。

これを交換したので、3日の作業では終わらずに4日間の店休となってしまいました。

 

ここ数か月、カマが水漏れしていたので湯温が上がらず、ストレスフルな営業でしたが、

ようやく適正湯温での営業を再開することができました。

 

二か月近くになりますが、

松の湯を切り盛りしていた女将さんが不在となり

裏方専門のカマ爺とスタッフさんだけでの営業を余儀なくされました。

 

松の湯を立ち上げた(引き継いだ)のは、私ですので私が松の湯業務全てをやることは不可能ではありません。実務は全てわかっております。

しかしながら、松の湯の売上げは会社全体の売上では小さい。

銭湯は営業時間が長く、当社の場合は原則定休日なしであるため

松の湯を残すと会社が立ちいかなくなります。(私が松の湯専属になると)

 

基本的に前向きな性格の私でも「閉店」が正しい選択ではないだろうか・・・・

という状況に追い込まれました。

 

現状のスタッフさんは、他に仕事があり

空いている時間に勤務シフトで働いてくれている現状です。

 

松の湯で社員になってくれ!

とは言えません。(売上規模が小さいので適正な処遇が難しい)

 

そんな苦悩の中、男湯の掃除がとてもキレイな日がありました。

清掃した人を特定し、コンタクトを取りました。

なんとなく知っているけど、ほぼ初対面のスタッフさんでした。

掃除がキレイな人は信頼できるのでマネージメントを依頼してみたのです。

 

彼女から指摘されたのは、

「前歯が見えるくらい笑顔を無理やりでも作りなさい!」

そういえば、しばらく私の顔から笑顔が消えておりました。

 

全スタッフは松の湯が大好きだから、何としても残したい。

できる範囲で協力します!

処遇条件の提示なしに全面協力宣言を得たのです。

 

なんと松の湯全体の「改善項目」が私に示され、

私ができる範囲で承認することとなり

設備はそのままなのに、大きく松の湯は生まれ変わりました。

 

そもそも私は物事を強制・命令されるがとても嫌いです。

でも強制・命令に従うことで自身が成長していくことも事実です。

(苦手な事、やりたくない事もやるわけですから)

 

試合が始まったら監督の指示が聞こえないラグビーだからこそ

野球をやめて続けてこれたのでしょう。

 

今まで聞こえてこなかった、様々な意見が都度発せられ

問題共有とそれに対する改善がなされております。

 

設備劣化と後継者問題で閉店していくのが銭湯ですが、

松の湯は私が死んでも松の湯愛で続いていく可能性を感じております。

 

持続可能な銭湯経営は「銭湯愛」なのでしょう。

 

 

 

 

 

 

悼む

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弊害はあるものの、よい時代になったなぁと思います。

 

温浴業界人の経営者なので

映画や車のハナシも書きませんが、

猪木さんの事だけは、どうしても書きたい。

 

中学卒業時に身長180㎝あれば新日本プロレスに入門したかった。

(当時、中卒入門者の基準が身長180㎝だった)

昼休みには、運動部連中でプロレス技を磨いておりました。

 

結局20年間ラグビーをしたので、プロレスとは疎遠になりました。

それでも勤め人時代、営業中に新日本プロレス見に行ったり、

柔道出身の後輩に太鼓の乱れ打ちとかやってました。

 

女子大生の娘がプロレスファンであることが発覚し、

銭湯経営の合間に大田区体育館に二人で見に行ったこともありました。

(派手な技が多く・・・・危ないなぁ。との印象)

 

トレーニングに気乗りしない時は、

炎のファイター→ロッキーのテーマ→アイオブザタイガー

この3曲を流せば、綱のぼりやカール等の

引く力系トレーニングも頑張れました。

 

タイガージェットシンをやっつける猪木さんよりも

ボブバックランドとの真剣勝負に熱狂しました。

 

前田日明が当時の舞台裏を暴露しておりますが、

あの時、マスコミがUFFのガチに対して猪木さんに迫ったら

「いつでもやってやる!」と回答したのがカッコよかった!

猪木さんが怒ったらツエーぞ。と思わせた。

 

金銭問題、団体乱立、政界進出、4度の結婚・・・・・・

波乱万丈と一言で片づけられない波乱万丈の人生。

 

常に前を向く姿勢。

というか「こじ開けようとする力」ですかね。

 

私自身も誰もやっていない事に挑戦することが多く、

もちろんうまく行かないことがほとんどで

谷村新司の「昴」が救いとなっている。

(蒼白き頬のままで・・・いつの日が、誰かがこの道を)

 

猪木さんの「道」と「昴」は私にとっては同義であり、

TVで猪木さんの追悼が流れる度に、泪が溢れる。

 

合掌。