伊勢湾の水温に異変
伊勢湾及び伊良湖水道の海水温が平年より2~3度高くなっています
黒潮の変化による高温でしょうか?
昨年の夏以来高温が続いており、「コウナゴ」漁が不漁のようです。
サツキマスは秋に伊勢湾に下った「シラメ」が毎年大量発生する「コウナゴ」や「アカシャエビ」を捕食して急速に大きくなると考えられています。
2013年~2016年の伊勢湾周辺の水温変化情報(公表されている情報です)
2013.01.07
2014.01.08
2015.01.08
2016.01.07
上の図から伊勢湾や伊良湖水道の水温が今年は高いことがわかり
「シラメ」が「サツキ」になるためのエサが不足していることが伺われます。
今年のサツキマスの遡上が心配です。
豊かな長良川であってほしいものです。
各務原大地 (天然記念物的地形) #2
前回は 甌穴(かめ穴)でしたが
第2弾は どうしても理解できない地形。
データラボッチが大岩をひっくり返して 折りたたんだ地形です。
どうしてこうなった!!
大岩の底辺部分は明らかに水流により浸食されて滑らかな表面をしています。
不整合となっている接地部分からは水分が出ています。
どうしてこの様な地形ができたのでしょうか?
堆積と隆起 浸食や地殻変動 断層の出現??
水流による浸食としか考えられません。
私は地質地形研究者ではありませんから説明できません。
長良川は岐阜県を北から南に向かって流れています、その流路から岐阜県の地形地質の
断面で見ることができます。北は火山性の岩盤が南に行くに従って堆積岩と変化していく様子が見られます。
特に郡上八幡から美濃市北部までの区間は渓谷で深く削られておりかっての海底火山の痕跡や海底であった証拠の生物や植物の化石が簡単に見つかる場所が多数あります。
またこの区間は現在、長良川に生息する生物にとって重要な区間となっています。
断崖や絶壁により漁が出来ないため「種」の保存に大きく貢献していると思います。
郡上八幡から上流と美濃市内から下流は落差が少なく穏やかな流れとなっており
流れの近くまで道路が入っており漁が簡単に行えます。
さらに探索は続きます。
今年も長良川を楽しめるでしょうか?
かって撮影してもらったサツキの獲りこみ動画です。
撮影者は長良K君です。
場所は人工構築物のなかった時代の戸田裏水神先です。
現在とはだいぶ違っており深い淵から長いトロ場が流れ出しまで続いていました。
サツキ達と楽しい会話が出来る釣り場でした。でも 今はありません。
竿 ダイワエアーマスター85-90 糸フロロ0.8号 餌 ミミズ 2010.05.16
獲り込み動画 下をクリック(別サイトで開きます)
長良川サツキマスの獲り込み動画
各務原台地の地形
以前から気になっている 市内木曽川河畔で見つけた「カメ穴」と呼ばれる
地形です。
人工的に作られた物ではありません、内部は滑らかに摩耗しています。
石器や戦時資料以外にも、近郷近在の地形や地質にも興味をもって探索しています。
正式には「甌穴」おうけつ と言い、ポットホールとも呼ばれています。
かめ穴としてはとても大きいサイズです、東西200cm南北210cm深さは推定で160cm以上と思われます。
内部に堆積物があるために正確な深さは測定できませんでした。
もう少し小さなサイズの物は、上流域の釣り場でよく見かけますが、これほど大きいサイズはまれにしかありません。
水中の小さな岩の窪みに小石が入り水流により内部で回転することにより形成されます。
内部の小石が回転しながら窪みの外側を削り穴が大きくなります。当然中の小石は小さくなります。すると次の大水の時にまた石が入り回転して、この事が何年も続いて大きな穴となります。
これだけ大きいものは当然内部の石は複数で大水の時はゴロゴロ回転していたでしょう。
この写真から穴の縁はまるく 削られていることが解り、自然に形成された事がわかります。
近くにある遺跡や地形、地質から創造するこの場所が川底であった時代は15000年~20000年ほど前と考えられます。
近くの河岸段丘下の縄文前期遺跡や旧石器が出た遺跡より10mほど低くい位置です。
当然、水流のある水面下だったのでしょう。
市内では珍しい地形ですので、天然記念物に指定して欲しいものです。
長良川上流地区にはたくさんあります。
上記2枚の写真は 郡上市美並町の川原です。
この付近には海底火山で噴出したと溶岩と認定されている場所もあります。
各務原台地の地形 #2
新年会を開催
昨年の夏に郡上の河原で開催して以来の半年ぶりの飲み会でした。
場所は「各務原市内の のんき屋」です。
こちらのお店も久しぶりです。
昨年の釣果に感謝と今シーズンの安全を願って「かんぱ~い」
皆さん、近況報告や昨年の反省やらで話が盛り上がりました。
ここで2時間ほどワイワイガヤガヤと楽しい時間を過ごしてから近くのラーメン屋さんに移動しました。
ここでまた1時間ほど飲んでしゃべって ラーメン食べて 盛り上がりました。
マーボー豆腐が旨かった。
次回は4月に長良川の畔で開催することになりました。
駅前のお菓子屋さんで「特性ういろうと草餅」を買って奥さんのお土産としました。
迎えに来てくれるので少しだけ気をつかっています。
洗い屋君とかたちん君はイチゴ大福とクリーム大福をたくさん買って
家族のお土産にしました、このお店は大正時代からここにあるらしい
とっても古いお菓子屋さんです。
今年も少しだけ長良川を楽しみたいと思っています。
皆さん 参加 ありがとうございました。
紫電改に逢う旅
紫電改(紫電21型)旧海軍戦闘機
紫電改展示館(愛媛県南宇和郡愛南町)
上記をクリックすると詳細が見られます(承諾すみ)
前からどうしても見たかった紫電改を12月9日に行って来ました。往復、1430キロの旅
昭和53年に近くの久良湾で発見されて引き上げられて展示されています。
旧海軍343航空隊所属機(現長崎空港近くの大村基地から発進)
製作した川西航空機(現新明和工業、飛行艇US2を生産している)で保存用に整備されたそうです。

昭和20年7月24日、豊後水道上空で、24機で米機動部隊の戦爆雷連合200機と交戦し未帰還となった6機の内の1機です。当日未帰還となった搭乗員6名 の方です。

搭乗員の特定は出来なかったそうです。
機体から回収された備品や装備品が詳しく解説されて展示されています。
飛燕や零戦より一回り大きく、プロペラも4枚で2000馬力の誉発動機を搭載(中島飛行機製)していました、本機は自動空戦フラップを搭載しており大型のわりには小回りの出来る戦闘機で機関砲は翼内に20mmを4挺搭載しており、およそ400機が生産されました。零戦の後続機として期待されており、生産機は343航空隊に優先的に配給され、呉海軍基地方面に来襲する米軍機を迎撃していました。
マル印はゴム張り防弾燃料タンク



20mm機銃弾

多くの来館者が有りました、こちらは北海道からの団体様だそうです。
予約をすれば担当者が当時の飛行服姿で解説をしてくださるそうで皆さん真剣に聞いていました。

機体には着水の損傷はみられません。
プロペラが曲がっているのはエンジンが回っていたことを示しているそうです。

こちらも 行ってきました。
旧海軍「高知航空隊」 現高知竜馬空港
私の元上司も先の大戦中に搭乗員として訓練を受けていました。
飛行予科練を終了して偵察機の操縦員として訓練に励んでいたそうですが、昭和20年に入ってからは、練習機で特攻の訓練をしていたそうで、あと少し戦争が続いていたら自分も特攻に行っていたそうです。
多くの方が練習機で特攻隊として出撃されたそうです。
こちらの飛行場近くには現在も7基の掩体壕が残っています、中には整備されて公園になっている物もありました。
滑走路南端にある慰霊碑 土曜日か日曜日に供花されていました、現在も供養のために訪れる方がおられるようです。




側面から見るとこなっています、陸軍型とは違います。

掩体壕の中が近くの小学校の通学路となっていました。前浜7号掩体


近くの方にお話をして頂きました。
当時の様子が少しだけわかりました。 感謝。

後ろは公園の5号掩体です。
四万十川探訪
8日9日と高知県と愛媛県に用事があって行ってきました。
前から行ってみたかった四万十川の沈下橋も見てきました。
四万十市内だけでも8ヶ所架けられているそうですが、下流の3ヶ所だけ見てきました。
長良川にも沈下橋はありますが、これほど大きい橋はありません。
一番下流の佐田沈下橋291m幅員4.2m左岸下流から

軽トラックがスゴイスピードで通過して行きました、遊覧船が係留されており、夏場は多くの観光客で賑わうそうです。

下から

高瀬沈下橋232m幅員3.4m

この場所は水泳には最適で夏場には多くの方が訪れるそうです

更に上流の勝間沈下橋171m幅員4.4m

この橋は「釣りバカ日誌」のロケ地となった

車で渡って右岸から撮影、途中で歩行者とすれ違いは少し危険です
この後、投網を持った漁師さんが登場しました。
アユを狙って橋の上から投網を投げるそうです。
四万十川の雄大な流れを堪能しました。

長良川河口堰
河口堰を訪問しました
昨日、野外セミナーの下見で岐阜市内の閘門や下流域の排水設備など
木曽三川の治水設備や住居の見学に行ってきました。
濃尾平野の居住と農業は水との戦いの歴史の中にあります。
最初に堤防を作ったのは、かの「豊臣秀吉」とも言われています。
一夜城の話で有名な「墨俣城」は当時この付近まで北上していた木曽川で木材を
運んで一晩で作られたと言われています。
戦国時代から現代まで治水と川に関するセミナーです。
木曽川や長良川は濃尾平野を西に流れないと伊勢湾には入れません。
濃尾平野は西に向かって低くなっているのです、これは西側にある
「養老断層」が関係していると言われており、下に向かって落ち込んでいると考えられています。
長良川河口堰(左岸から右岸方向) 河口堰本体の通路から
左岸魚道下流方向
左岸魚道上流方向(4本の通路が作られています、魚種によって通る通路が違うのです
形状と水深が違って作られています) 通れるかは別にして?
本体ゲートを上から見ていたら、ボラが泳いでいました どうしても魚に目が行ってしまいます(ここで河口堰と魚について説明)
左岸魚道に設けられた「観測窓」
内部はこうなっています
魚種について案内写真があります 、通過時期に付いて説明があります
多くの方はここを通る魚種の多さにビックリさせられることでしょう。
世代交代のために上る魚、下る魚、成長のため上るもの、下るもの
この窓は人間が勝手に作った構築物により「難儀」している魚達をかってに覗く
ための窓です。 はい!
ガラス窓を通して魚道を側面から見ることができます、見ていると 大きいニゴイが通路に現れました。ここでニゴイの説明とウンチクを!!
もう少しすると生まれたアユが伊勢湾に向かって通ります。
帰りに 木曽三川公園への道路を走っていると西側を流れる「揖斐川」には漁をしていると思われる船とリール竿を三本入れて釣りを楽しむ人が、残念ながら長良川「河口堰」の上流には釣り人は見当たらず、またここで理由の説明を!!
これは チョット悲しかった