紫電改に逢う旅 | 長良川 大好き 釣り blog        

       紫電改に逢う旅

 
        紫電改(紫電21型)旧海軍戦闘機

   紫電改展示館(愛媛県南宇和郡愛南町) 
上記をクリックすると詳細が見られます(承諾すみ)

 前からどうしても見たかった紫電改を12月9日に行って来ました。往復、1430キロの旅
昭和53年に近くの久良湾で発見されて引き上げられて展示されています。
旧海軍343航空隊所属機(現長崎空港近くの大村基地から発進)
製作した川西航空機(現新明和工業、飛行艇US2を生産している)で保存用に整備されたそうです。
 
 昭和20年7月24日、豊後水道上空で、24機で米機動部隊の戦爆雷連合200機と交戦し未帰還となった6機の内の1機です。当日未帰還となった搭乗員6名 の方です。
 
 搭乗員の特定は出来なかったそうです。
機体から回収された備品や装備品が詳しく解説されて展示されています。
飛燕や零戦より一回り大きく、プロペラも4枚で2000馬力の誉発動機を搭載(中島飛行機製)していました、本機は自動空戦フラップを搭載しており大型のわりには小回りの出来る戦闘機で機関砲は翼内に20mmを4挺搭載しており、およそ400機が生産されました。零戦の後続機として期待されており、生産機は343航空隊に優先的に配給され、呉海軍基地方面に来襲する米軍機を迎撃していました。

マル印はゴム張り防弾燃料タンク
  
  
 20mm機銃弾
 
  

 多くの来館者が有りました、こちらは北海道からの団体様だそうです。
予約をすれば担当者が当時の飛行服姿で解説をしてくださるそうで皆さん真剣に聞いていました。
 沈んでいたのは直ぐ南側の久良湾、高に山に囲まれた湾内に機体を無傷で胴体着水させた搭乗員は高い操縦技術を持った方だと考えられています。
機体には着水の損傷はみられません。
プロペラが曲がっているのはエンジンが回っていたことを示しているそうです。
 
 こちらも 行ってきました。
旧海軍「高知航空隊」 現高知竜馬空港

私の元上司も先の大戦中に搭乗員として訓練を受けていました。
飛行予科練を終了して偵察機の操縦員として訓練に励んでいたそうですが、昭和20年に入ってからは、練習機で特攻の訓練をしていたそうで、あと少し戦争が続いていたら自分も特攻に行っていたそうです。
多くの方が練習機で特攻隊として出撃されたそうです。
こちらの飛行場近くには現在も7基の掩体壕が残っています、中には整備されて公園になっている物もありました。
滑走路南端にある慰霊碑 土曜日か日曜日に供花されていました、現在も供養のために訪れる方がおられるようです。
 滑走路西側の前浜地区掩体壕群
  
  公園となっている前浜5号掩体 私から大きさを想像してください


側面から見るとこなっています、陸軍型とは違います。
  
 掩体壕の中が近くの小学校の通学路となっていました。前浜7号掩体
 内部はこうなっていました、普通は土盛りした上に板枠を貼り付けて型枠を作りコンクリートを流し込み、固まったら、中の土盛りを取り省いて作りましが。これは、土盛りの上にセメント袋やムシロをかぶせて型枠を作ったらしい、内部のセメント袋とムシロの模様が残っていました。
 
 近くの方にお話をして頂きました。
当時の様子が少しだけわかりました。 感謝。
 
 後ろは公園の5号掩体です。