長良川 大好き 釣り blog         -14ページ目

      猪解体をお手伝い

          今年もお手伝いしました
 毎年2回~3回、イノシシの解体をお手伝いしています。

駆除と趣味で猟をしている方のお手伝いです、今回は括りワナに掛かった

60kgほどのオスでした。前日の早朝に止めて、内臓を抜き、近くの大安寺川に
10時間ほど沈めていたものです。

一晩、鼻を縛って吊るし水を切ります。
手足から背中に向かって少しずつ皮を剥がしていきます
 少しずつ丁寧に皮を剥ぎますが、脂肪を肉に残すようにするのが難しいです。
 素人ですから 肉を切ったり、皮を破ってしまいます。
手足を落として、皮を剥ぐまでにおよそ3時間ぐらいかかってしまいました。
さらにアバラ骨を外して、手を肩甲骨のところで外し、股関節も外します、
およそ、6時間の作業です。
肉は 場所によっても違いますが、1kg6000円~7000円で引きとられるそうです。
ロースやバラ、モモは販売されるので、前足と切り出し肉、アバラを少し頂きました。
 自分で食べるには十分な量です。
とりあえず、エバラ焼肉のタレ辛口で炒めて、疲れを取りました、プッシュー  
 
 自然味溢れる 味 感謝です。


 

 
 




      相戸堰堤

        中洲がありません  相戸堰堤の変化
  昨年の大水で中洲が無くなってしまいました。

直ぐ上流に橋が出来、橋脚が中洲の上流にあるため、大水が出ると中央の流れが強くなって

中州のバラスを流してしまいました。
相戸堰堤の変化 
1948年   堰堤下流に ヤナがあります,上流に橋は無く渡し船でした。
対岸の小学校に低学年の時は渡船で通学していました。
 1968年 橋が出来てます、最初は木造の吊橋でその後コンクリート製になります。
木造の時に橋の床が破れてトラックがスッポリと川原に落ちました。
 1977年
 2011年  まだ中州は少し残っている
 2015年 現在はほとんど残っていません、隠れていた岩盤が露頭
 プールが大きくなりました
 
 多少の水位の変化はありますが中央の大岩と中洲の岩盤で変化がわかります。


 
 
 
 
 

      新年会

             釣り仲間と
 
釣りクラブのメンバー7人と宴会をしました。

何時ものお店は夜しかやってなかったので、今回は中華料理でおこないました。
 昨年の長良川や荒川サケ釣りやら、長野犀川の虹マス釣りなど、ワイワイガヤガヤ。

お酒好きのメンバーでした。
 
長良K君も消防出初式が終わってから参加、この後夕方から消防の新年会だそうです。
 
今年は3月下旬の犀川からのスタートの方もいそうです。

今年も 安全で楽しい釣りを誓って締めくくりました。


 
 
 

      疾風 キ84陸軍戦闘機の車輪を発見2014.12.23

               キ84疾風の車輪
   かねてから、市内の農家に先の大戦中に係わるものが残っていないか調査をして
います。農家の使われていない納屋から、かって牛車のタイヤとして使用されていた
車輪を発見しました。
調査の結果タイヤサイズから陸軍戦闘機「疾風」の主輪と確認されました。
四式戦疾風を使用した部隊は各務原には居なかったそうですが、小牧や明野には展開していたそうですし、関東から九州方面に移動中に終戦になったか、戦闘中に被弾もしくは不都合が発生して各務原飛行場に着陸してそのまま終戦になったのか、同じ陸軍の飛行場ですから、疾風が居ても不思議では無いとの専門家の意見でした。
発見時の納屋
 
製造年は昭和18年サイズ650-17、指定圧やメーカーがタイヤに記されています。
ホイールはアルミ製でツーピースとなっており陸軍のマークである★型が打刻されています。
 
ホイール内側の鉄の部分はドラムブレーキの一部です。
牛車の車輪として使用されたのでロッドで繋がれています。手前が「疾風」奥は「飛燕」の
タイヤです。タイヤの大きさから、飛燕より一回り大きな戦闘機だったことが解ります。
 
旧陸軍戦闘機の疾風にはかって操縦席に座ったことがあります。
ずっと以前のことで、富士重工の栃木県の小山工場でした。この飛行機を作っていたのは
現、富士重工で当時は中島飛行機と呼ばれていました。3000機以上作られました。
4枚のプロペラから飛燕やゼロ戦よりも大馬力のエンジンを搭載していたことがわかります、海軍の
紫電改と同じエンジンを搭載していました。ハ45「誉」(ほまれ)発動機と呼ばれていました。
 
若かりし頃の筆者
 
  風防ガラスには保存にための処理がしてあります。
ちなみに、前面には防弾ガラスがセットされおり、厚さは5cm以上ありました。搭乗員席の後にも防弾鋼板がセットしてあります。機関砲の照準機は電球を用いた光像式照準機でした。
 
  この機体はフィリッピンで捕獲されて米国本土にて性能試験をされたのち
個人に払い下げられた機体です。エンジンは星型18気筒2000馬力で武装は12.7mm機関砲2門20mm機関砲2門の日本機としては重武装でフィリッピンや台湾戦線、本土防空戦で活躍しますが最後には特攻にも使われました。
日本に里帰り飛行をした後、持ち主であるドンライキンス氏から日本人に譲られた機体で、左側の搭乗口に彼の名前が入っています。
操縦席は思った以上に広かった記憶があります、メーター類は米国製の物に変えられて
いる物もありますがオリジナルの物も使用されています。
 
 中央の右側には「キャブヒート」と書かれた暖房用のレバーがみえます。
旋回計、高度計、傾斜計、回転計なども見えます。
 
 左下は主輪の出し入れのスイッチで、下の段、左から筒と書かれてシリンダー温度計、俳と書かれた排気温度計、ユと書かれた油温計が見えます。これらの計器はすべてオリジナルです。計器を取り付けている十字のビスは米国製ですが右下の油温計のビスだけは当時の盛り上がったマイナスネジです。
操縦桿の左のボタンは無線の電キー、キャップの下に赤く半分映っているのは20mm機関砲の発射ボタン、キャップを向こう側にひっくり返して握ると12.7mm機関砲の発射ボタンとなります。残念ながらこの機体は現在は飛行できません、持ち主が亡くなると各地の展示館などを転々としている間に、部品の盗難や保存の悪さから劣化が進んだそうです。また移動のために翼をガス切断されたこともあるようです。アメリカにあれば現在も飛行可能な状態であったと思われますから非常に残念です。
現在は鹿児島県の知覧特攻平和会館で機体を休めています。
貴重な機体ですから末永く保管して頂きたいものです。
   
      クリック→      知覧特攻平和会館

 
 

      昨日のランチ

          久しぶりの昼飲み
 昨日は久しぶりに「浜りょう」海鮮食堂で昼飲みしました。

メニューは「おすすめ海鮮丼」をいただきました、
 テンプラと小鉢で魚の煮物、モズク酢、茶碗蒸し、お味噌汁が付きます
十分なボリュームがあります
 
 昼間から 二杯飲んでしまいました
 カウンターの横には水槽があります、鯛やアジが泳いでいました
 お店はこんな感じです、11時30分からなのですが、時間前なのにすでに二組が
店内にいました。
 
 今日も、美味しかった、また行きたいと思います。


 
 
 

      戦時遺跡調査(各務原もの作りⅡ)2014.12.10

        発見しました
   
 当市の、物づくりに係わる重要な物を発見しました。もう何年も前から戦争関係の調査をしています。

もう少しで市内を外れるという集落にある民家の庭先です。

先の大戦中に市内の工場で使われていた定盤で「御影石」で作られています。

調べてもらったところ、精密部品の組み立てには無くてはならないものだそうです。
   クリック→ 定盤



 縦1m、横1mですから想像では15cm~20cmの厚みがあると考えられます。
  

 旧玄関の様子
 
 先の大戦中にあった、川崎航空機工業か三菱重工か陸軍工廠か陸軍飛行整備学校の

いずれかで使われていたものと考えられます。

精密部品の組み立てにはなくてはならない物だそうです。光像光学照準器か

発動機の分解組み立てに使用されていたのでしょうか?

空想は広がります。 (^O^)/

石製だと熱の影響を受けにくいそうで、金属製より使いやすかったようです。

来年予定している「戦後70年平和を伝える展」仮称で展示して、市内でおこなわれて

いた、最先端技術を用いたものづくりを多くの方に見ていただきたいものです。

先日 驚くべき情報が入ってきました。

昭和20年6月22日と26日 7月12日~13日の3回 米軍B29爆撃機により市内の航空機

産業や飛行場は大規模な爆撃にあい、破壊されました。その後被害を免れた

飛行機や軍人は市内の農家などに分散していました。

飛行機のエンジンを何台か農家の作業小屋に入れて分解整備をしていたと言う

小屋が現在も残っており、部品や工具が現在も残っているかもしれないと?

この場所は飛行場から遠く離れていますが、米軍が撮影した航空写真には

飛行機を運んだと思われる誘導路や掩体壕と思われる地形や道路が写っています。

 先に発見した、飛行機部品日記(全員に公開はしておりませんに続く重要な

戦時資料となるのでしょうか。

   今後に期待!!



      塩引きサケを解体

       サケを解体
 解体したサケを使って「サケと大根の麹漬け」を作ってみました。
 
 
 

麹を解して、ぬるま湯に浸けてもどして、温かいご飯と混ぜて
 
サケの切り身を酢と砂糖とお酒の中に浸けていた物を、

あらかじめ軽く塩を振って冷蔵庫で2日間漬けていた大根とにんじんの

中に混ぜ合わせて、漬物器で押さえて冷蔵庫保管して発酵させます。
 
はたして、美味くできるのでしょうか?

始めて作ってみました。

今日は 酒粕を買ってきてお酒で延ばして「サケの粕漬け」を作ってみました、こちらは毎年作っています。
 
こちらも出来上がりが楽しみです。



      塩引き鮭に挑戦

     今日から都合よく寒波が来たので塩引きサケを作っています。

先日 釣ってきたサケを塩に漬けしていましたが今朝、流水に入れて「塩引き」しました。

発砲スチロールの箱に入れて水道水を流しています。
 
およそ9時間流水の中に入れていましたが、毎年この塩引きの時間が

難しいのです。 少ないと塩が引けません。

夕方、4時から少し風が出てきたので 吊るしました。

吊るして乾燥するのは毎年一週間ほどです。

本来は、ここで熟成するのですが、当地の気候風土では当然できません。


 
早く乾燥するために「扇風機」を使用します。

当然、ネコ対策もしています、何時ものように 彼の出番です。

彼は普段 庭の中で放し飼いになっており、庭に侵入した野良ネコを3匹撃沈し1匹を

大破させた実績をもっています。 頼もしい相棒なのです。
 
今日から、当分のあいだ彼はネコ当番で活躍します。ブルーのシートの下に

彼のハウスを造りました。昨年も近づいたネコを見事に撃退しました。

毎年、彼のお世話になっていますが、彼は塩引きサケは食べれませんから

ご褒美は別に用意させていただきます。

       「彼に感謝」



      新潟県荒川サケ調査釣行Ⅱ

 
   二日目、予定どうり午前6時30分に受付開始です。

初日に調査説明や注意事項の説明を受けているため、二日目は指定のナンバーベストを

もらい、そく現場に急行です。

昨日と同じポイントに入りました。昨日は7名だったのに4名でした。水位は20cmほど
下がっています、風が強くアタリが取れません。
 
 水中のサケ
 私が昼ねしている間の 洗い屋君の釣果
 
そして 楽しい夕食の時間です、今回も食堂で他のグループとご一緒です。
  そして 二次会は「割烹いそべ」さんにおじゃましました。
突き出しのサケの煮物 本マグロ頭 三点盛り 脳天、カマトロ、ホホ肉などをいただきました。
脂がのって最高ですがお値段も最高!  たまにはいい物食べますよ。
  
 
 越後村上名物の「塩ひきサケ」にも挑戦です。 この後たっぷりの塩を刷り込んでから
ビニール袋に入れて冷蔵庫で2週間ほど塩漬けにします。
 
 現地で購入した玉子で「イクラの醤油漬け」も作ってみました。
  
  出来上がりが楽しみです。

新潟県荒川サケ調査の詳細はこちら クリック→ 荒川漁協サケ有効利用委員会
 

       新潟荒川サケ調査釣行Ⅰ

 20日から二泊三日でサケ釣りに行きました、場所は新潟県村上の荒川です。

 挑戦したのは20日と21日の二日間です、11月の末とは思われない暖かい良い天気

でした。今年は皆さんと日程が会わず、洗い屋君と二人だけだったが釣果にも恵まれて

楽しい二日間だった。
    雄のサケです。

 3匹釣りましたのでこれで十分です。 毎年のノルマ達成です。
6時間かけて行って数時間しか釣りはしません、毎年のことです。
釣れたサケは紐でつながれて泳いでいます。
  
  洗い屋君は 順調に楽しんでいます。
 
  お泊りは何時もの
「いづみや」さんです。夕食は工夫された家庭料理で楽しみです。
 毎年 私は これが楽しみで参加しているようなものです。      
  
  今回も塩引きサケが美味しかった。
 
荒川漁協の主催する、サケの増殖事業を妨げない範囲で、サケを利用した食材への活用方

法の検討や、遡上 するサケの体長測定などの資料収集を目的とした調査に参加しました。


今年の調査も事前に参加予約をした人のみに許可され、希望者多数により

短時間で締め切られました。 20日の調査員数は60名ほど、21日は80名ほどでした。

新しい群れが遡上したそうで状態の良い個体が多かった。

私は今回、メス鮭は釣れなかったが友人は数匹のメス鮭を釣って、漁協の

回収員により採卵孵化場に運ばれました。

川で出会った、地元の若い組合員は今年のノルマである10匹のメス鮭をまだ

漁協に提出できていないと嘆いていました。

   荒川サケ調査の詳細はこちら クリック →    
荒川サケ有効利用委員会