山親父の日記 -539ページ目

ラグビー人生36

その日の夜は大広間で残念すき焼きパーティーでした。泣きながら食ってました。


三年生が1人づつ立ち上がり、感想を述べました。


清水がどうしても高校ジャパンに入りたかったが、もう無理だろうと話しました。


東田くんというプロップの選手、寡黙でおとなしく、あまり目立たないやつだったのですが。


彼の告白にびっくりしました。


彼は高1でラグビーを始めたんですが、


彼は伏見だったか鳥羽だったかのマンションだか公団の九階に住んでたんですが。


ラグビーを始めた日からこの日まで、誰に言われた訳でも無いのに、一度たりとも、エレベーターに乗らずに階段を登り続けたそうです。

どんなに練習で疲れた時も、

合宿帰りで大きな荷物を持っている時も、

家族で出掛けた時も自分だけは階段を使ったそうです。


三年生全員初めて聞かされた話でした。


つまり誰にも誇らず、自分に科したささやかな約束事を守り通したのです。


強制されたものなら破ってしまうかもしれませんが、自分で決めた事だからこそやりとげたんだと思います。


彼は最後に、

「今日で僕のラグビー生活は終わってしまいますが、これからもエレベーターには乗らないつもりです。」

矜持のある話だと思います。


こうして三年間の高校ラグビー生活は終わりました。


高校に入って初めて正月を家で過ごしました。

なんか本当にぽっかりと穴が開いたような、気が抜けたような感じがしました。

その後も続けられる試合をテレビでぼんやり見ていました。


決勝は彼女と2人花園まで見に行き、顔見知りの多くいた大工大が昨年の雪辱を果たして優勝しますが、特に心動かすことなく、難波に出てご飯を食べて帰りました。


高校時代初めてのちゃんとしたデートでした。


さて、いよいよ大学編にはいります。

その前に高3のシーズンと平行して進路の事が有りました。



これがまた波乱万丈です。

ラグビー人生35

花園一回戦は第二グラウンドで行われました。


屈指の好カードで観客は膨れ返ってました。
アップの時からテレビ取材が凄かったです。


試合は一進一退でしたが、自陣22メートルのラインアウトからバックスのサインプレーでトライされます。


当時のうちのディフェンスは自陣敵陣共に22メートルラインに入ったらマークマーク、そのあいだの時は詰め、で決めていました。


当時のラグビー知らない人にはちんぷんかんぷんかも知れませんね。説明は難しいです。

そのうち時間があれば解説します。


この意志疎通がうまくいかずとられてしまいました。

えーと0対6です。


前半最後の最後に攻め込みますが、とりきれずに私がPKを決めて折り返します。

3対6


後半また得点を取ったのは久我山です、キックの応酬から繋いで、トライされました。

ゴール決まらず。


3対10


そして終了間際、敵陣ゴール前ラインアウト、ツーメンにして、マコが投げ入れたボール、前で受けた杉が空中で投げ返します。

解説のアナウンサーによれば頭脳的なプレーで、コーナーに飛び込みます。

はい、ここで7対10。


端っこから私がゴールを狙います。


先生はあのイングランドとの死闘で(6対3お互いノートライの試合で唯一の得点を上げたゴールキッカーです)



私も同じ爪先で蹴るトゥキッカーだったんですが、特に指導は受けませんでした。自己流だったんです。


前半のPKもそうですが、四歩下がって、三歩ゆっくりと進んで蹴ります。


力まずに。方向重視で。


先生の蹴り方は五歩下がって、三歩で蹴ります。最後の一歩は飛び込む様に。


なぜかこの時先生のステップで蹴りました。

後にも先にも公式戦でこの一回切りです。


綺麗な放物線を描き、めちゃくちゃ飛びました。


テレビの画面から消えてましたからボールが。


ゴールポストのはるか上を通りました。


9対10


残り時間わずかですが、キックオフのボールを敵陣に持ち込みさえすれば、PKで逆転です。


チームも盛り上がったのですが、深く蹴り込まれたキックオフのボールを、何を思ったのか、SOの健がタッチに蹴り出します。


ここでノーサイド。



グラウンドに崩れ落ちました。


終了後泣きじゃくりながら円陣を組む私達を物凄い数の記者が取り囲みます。


そっとしておいて欲しかったですが。


先生は、
「この結果はすべて先生の責任だ、今年はいつもお前達のそばに居てやれなくてすまなかった、ご苦労様、顔を上げて帰ろう。」


ひたすらラグビーに打ち込んだ高校のシーズンが終わりました。

ラグビー人生34

いよいよ花園、全国大会です。


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丸い大きな盾を持っているのが私。

先生を挟んで細い盾を持つのが清水。

その後ろに梅です。

勿論先輩が獲得した物を卒業写真の時、拝借しました。


私はこの重い盾を持って入場行進をしました。


清水は優勝旗。


そして前の日に風呂場で練習した、選手宣誓をしました。


ここで私失敗したなと思いました。キャプテンやってたら、全国放送で選手宣誓できたのにと。


でも私にその器はありませんでしたし、清水の苦労を思うと無理だったでしょう。


清水は、お母さんと妹の見守る前で堂々とやり遂げました。


実況するアナウンサーが伝えましたが、彼は中学生の時から、毎朝牛乳配達のバイトをしていたんです。


高校になってからはバイクに乗って。


大学にいってからは、トラックに乗って。


あぁ、当時うちの学校、バイク乗っても良かったんです。ヘルメットさえかぶれば(笑)


私もラッタッタ乗ってました、ドカヘルかぶって。


あのドラマではマネージャーが新聞配達してましたが、実際は清水が牛乳です。


朝早く終わるらしく、学校にでかけるまで、腹筋と背筋を鍛えていたので、背筋力が300kgもあったんです。


頭が下がります。



私の持った盾ですが、ローマの戦士、グラディエーター2人が仕留めたライオンを担ぎ上げ引きずっていく図柄でした。


本当に重かったです。


うちのチームはシードされてなく、一回戦でこれもノーシードの國學院久我山と当たります。


しかしくじ運悪い。



試合は次回で。

それから進路について。


どうでもいい話ですが、この後進んだ大学。選手宣誓した人が続いていました。

一つ上がM山さん、
二つ上がH地さん、
三つ上が藤Tさん

多分その前も続いていたかもしれません。私がやらなかったことで途切れたんです。