不登校の僕が学校に行けるようになった理由は2つ「居場所」と「言葉」 | 低学年との信頼関係の作り方:学童保育支援員さとさん

低学年との信頼関係の作り方:学童保育支援員さとさん

学童保育18年ベテラン指導員さとさんが学童保育生活向上のためのスキル・テクニックを実践する中で確信している小学低学年の子どもとの信頼関係の作り方をお伝えします。

こんにちは、親のためのオンラインサロン「不登校の先にあるもの」主宰さとさんこと高島です。

 

部活が原因で学校に行けなかった時期が、中1の時にあります。

 

その時の話をしている動画。

 

 

なぜ、学校に行けたのか?その結論を先に書いておきます。

 

 

1.心が休まる居場所を見つける

2.捉え方がガラッと変わる声をかけられた

 

 

この2つを踏まえて、中1の僕の話を読んでくださいね。

 

 

部活が原因

 

さとさんが学校に行けなくなったのは、中1の時。夏休み明け手秋ごろだな。

 

体の小さくて、でも球技は好きで、基本器用だからいろいろできるタイプでね。で、バスケ部に入った。

 

これが面白くもあったんだけど、やっぱりしんどくてね。喘息持ってて、体力のないわしには辛くなっていくわけ。

 

夏休み期間中の部活は頑張ってた気がする。

 

だけど、夏休みあけてしんどくなって、休んだんだよな。そしたら、先輩に怒られる。その時点で、完全に怒りが沸いている。だけど、反抗できるわけもなく。

 

こんなんだから、ますます行かなくなってね。その結果、1年生が連帯責任で怒られるわけ。それを、隠れて見てたこともあったな。1年が並ばされて、2年生に怒られている。

 

そのあと、その1年生がクラスでわしを囲んで、責めるわけ。でも、もう腹が立ったり、びくびくしたりで、休み始めた部活。

 

1年生が取り囲んで、色々言われる日々が続いた。いじめほどではなかったけど、なんかしんどかったな。仲がいいと思ってたやつも、その中に立っていて、わしを責めるわけ。

 

結局、中1の僕はそれが嫌で、学校に行けなくなった。

 

 

学校に行かずに

 

学校に行かずにやっていたことは、学校に行くふりをして、朝家を出る。

 

その頃、父は他界していて、母は朝から働いていた。その頃、5歳離れた兄と3人で暮らしていた。兄も学校に行っているから、午前中は家に誰もいない。

 

だから、学校に行くふりをして、家に戻ってた。どのくらいやってたかなー。そのうち、隣のおばちゃんから、朝ゴソゴソする音がするって言われた。それをきっかけに、家に帰れなくなる。

 

その結果やったのは、街中をフラフラする。最初にたどり着いたのが電機屋さん。そこにゲームがあったんだよな。毎日行ってたな。でも、明らかにおかしい状況。

 

しばらくして、ゲームがなくなったんだ。

 

で、行く場所がまたなくなった。その次に思いついたのが、児童文化センター。でも、すぐには入れなかった気がする。

 

児童文化センターがある公園に大きな岩と池があって、その岩の隙間で小さい頃遊んでた。そこに身を隠してた。

 

 

おと年行ってみたんだよね。

 

そして、児童文化センターに足を踏み入れるときがくる。いつまでも隠れてられないじゃんね。雨も降ったりするから。

 

その時に、仲の良かった職員さんが声をかけてきたんだ。「どうした?」って。適当にごまかした。

 

そのあと追及されなかった。わしの記憶ではね。

 

だから、そこに居られたんだよな。その時は、助かったーって気持ちが大きかった気がする。今は、本当に感謝しかない。

 

どこにも行く場所がない中1男子。フラフラするのにも限界が来る。ほんとしんどいんだよな。すれ違う大人が、なんかジロジロ見てくるしね。

 

そして、児童文化センターに毎日行くようになる。居場所を見つけたんだ。

 

 

生徒手帳でばれる

 

ほんとに遊び倒した。その時の経験が、まさに今の仕事に直接反映されている。遊ぶことで、心が元気になって、ストレスがなくなっていく。

 

でも、どこかで罪悪感も持っていて、いつまで続けられるのかな…って、いつも思ってた。

 

早い話が、見つけてほしかったんだよな。

 

どうやって、学校に行かない日々を過ごせたかというと、学校には自分で電話をしていた。喘息を持っているわしは、自分で電話して休むって、やってたことだった。

 

まー、毎日「喘息で休みます」って言ってれば、学校としてもおかしいなと思ってただろうけどね。

 

公園にある公衆電話から、学校に休みます電話をしていた。で、その公衆電話に「生徒手帳」を忘れてしまう。

 

ちゃんと届けてくれる人がいるんだねー(笑)

 

すぐ学校から連絡が入った気がする。母からもなんか言われたような気がする。質問攻めをくらったようなおぼろげな記憶しかない。

 

担任が家に来て、居間に母と並んで畳の上に座って話をしている。テーブルをはさんで、中1の僕は少し離れて座っていた。

 

よくわからないけど、担任は泣いて話をしていた。何を話しているか、全く覚えていない。子どもからすると、そんなもんだなって思う。

 

母は謝っていたような気もする。ほんとにうすぼやけたイメージくらいの記憶しかなくて、中1の僕は思っていた。

 

「やっと、見つかったー」

 

そう、ホッとしたのだ。

 

見つかってヤバいと思ったけど、それ以上に安心したんだ。だけど、学校に行く気には、全然なれなかった。

 

たぶんその様子を見ていた兄が、担任が帰った後、しばらくして話しかけてきた。

 

「さとし、同級生の何がこわい?おれとケンカしても大丈夫なのに、何がこわいん?」

 

そんなようなことをサラッと言った。

 

5つ離れた兄は、昔でいうヤンキーっぽかった。兄は手加減せずに、わしと遊んでくれたんだよな。ケンカもしょっちゅうやってた。

 

兄のその一言が、驚くほど心に入って、思ったんだ。

 

「そうだな」

 

その言葉を聞いてすぐに、部活を止めて学校に行けばいいんだって決めた。

 

学校行った日、バスケ部の1年生がわしを囲んだ。

 

即座に言ってやった。

 

「部活止める。どけ、帰る。」

 

 

結局ね

 

そのあと、部活止めてバスケ部の連中とは仲良くなった。休憩時間は一緒にバスケやってた。

 

で、結局なぜ学校に行けるようになったか?

 

・児童文化センターという居場所があった

・捉え方が変わる言葉をもらった

 

中1の僕にとって、親の言葉も先生の言葉も何も覚えていない。不登校にまつわることではね。

 

覚えているのは、児童文化センターの職員さんの言葉とそこで遊んだこと。

 

そして、タイミングよく僕の意識を変えてくれた言葉を兄がぶつけてきた。

 

居場所・言葉

 

これが重要だったんだ。

 

もし、学校に行けなくてフラフラしているときに、兄の言葉をぶつけられても、反発するだけだったと思う。

 

心を休めることができる場所、心を元気にする場所があって、そこでゆっくり心の回復を図ることができた。

 

そのあとでの言葉だったから、心にすっと入ったんだ。

 

※あくまで、私の記憶の中での話をしています。関係者に確認を取ったわけではありません。ということは、事実が大切なのではなく、何を子どもが受け取っているかが大切な話です。

 

 

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