こんにちは、親のためのオンラインサロン「不登校の先にあるもの」主宰さとさんこと高島です。
部活が原因で学校に行けなかった時期が、中1の時にあります。
その時の話をしている動画。
なぜ、学校に行けたのか?その結論を先に書いておきます。
1.心が休まる居場所を見つける
2.捉え方がガラッと変わる声をかけられた
この2つを踏まえて、中1の僕の話を読んでくださいね。
部活が原因
さとさんが学校に行けなくなったのは、中1の時。夏休み明け手秋ごろだな。
体の小さくて、でも球技は好きで、基本器用だからいろいろできるタイプでね。で、バスケ部に入った。
これが面白くもあったんだけど、やっぱりしんどくてね。喘息持ってて、体力のないわしには辛くなっていくわけ。
夏休み期間中の部活は頑張ってた気がする。
だけど、夏休みあけてしんどくなって、休んだんだよな。そしたら、先輩に怒られる。その時点で、完全に怒りが沸いている。だけど、反抗できるわけもなく。
こんなんだから、ますます行かなくなってね。その結果、1年生が連帯責任で怒られるわけ。それを、隠れて見てたこともあったな。1年が並ばされて、2年生に怒られている。
そのあと、その1年生がクラスでわしを囲んで、責めるわけ。でも、もう腹が立ったり、びくびくしたりで、休み始めた部活。
1年生が取り囲んで、色々言われる日々が続いた。いじめほどではなかったけど、なんかしんどかったな。仲がいいと思ってたやつも、その中に立っていて、わしを責めるわけ。
結局、中1の僕はそれが嫌で、学校に行けなくなった。
学校に行かずに
学校に行かずにやっていたことは、学校に行くふりをして、朝家を出る。
その頃、父は他界していて、母は朝から働いていた。その頃、5歳離れた兄と3人で暮らしていた。兄も学校に行っているから、午前中は家に誰もいない。
だから、学校に行くふりをして、家に戻ってた。どのくらいやってたかなー。そのうち、隣のおばちゃんから、朝ゴソゴソする音がするって言われた。それをきっかけに、家に帰れなくなる。
その結果やったのは、街中をフラフラする。最初にたどり着いたのが電機屋さん。そこにゲームがあったんだよな。毎日行ってたな。でも、明らかにおかしい状況。
しばらくして、ゲームがなくなったんだ。
で、行く場所がまたなくなった。その次に思いついたのが、児童文化センター。でも、すぐには入れなかった気がする。
児童文化センターがある公園に大きな岩と池があって、その岩の隙間で小さい頃遊んでた。そこに身を隠してた。
おと年行ってみたんだよね。
そして、児童文化センターに足を踏み入れるときがくる。いつまでも隠れてられないじゃんね。雨も降ったりするから。
その時に、仲の良かった職員さんが声をかけてきたんだ。「どうした?」って。適当にごまかした。
そのあと追及されなかった。わしの記憶ではね。
だから、そこに居られたんだよな。その時は、助かったーって気持ちが大きかった気がする。今は、本当に感謝しかない。
どこにも行く場所がない中1男子。フラフラするのにも限界が来る。ほんとしんどいんだよな。すれ違う大人が、なんかジロジロ見てくるしね。
そして、児童文化センターに毎日行くようになる。居場所を見つけたんだ。
生徒手帳でばれる
ほんとに遊び倒した。その時の経験が、まさに今の仕事に直接反映されている。遊ぶことで、心が元気になって、ストレスがなくなっていく。
でも、どこかで罪悪感も持っていて、いつまで続けられるのかな…って、いつも思ってた。
早い話が、見つけてほしかったんだよな。
どうやって、学校に行かない日々を過ごせたかというと、学校には自分で電話をしていた。喘息を持っているわしは、自分で電話して休むって、やってたことだった。
まー、毎日「喘息で休みます」って言ってれば、学校としてもおかしいなと思ってただろうけどね。
公園にある公衆電話から、学校に休みます電話をしていた。で、その公衆電話に「生徒手帳」を忘れてしまう。
ちゃんと届けてくれる人がいるんだねー(笑)
すぐ学校から連絡が入った気がする。母からもなんか言われたような気がする。質問攻めをくらったようなおぼろげな記憶しかない。
担任が家に来て、居間に母と並んで畳の上に座って話をしている。テーブルをはさんで、中1の僕は少し離れて座っていた。
よくわからないけど、担任は泣いて話をしていた。何を話しているか、全く覚えていない。子どもからすると、そんなもんだなって思う。
母は謝っていたような気もする。ほんとにうすぼやけたイメージくらいの記憶しかなくて、中1の僕は思っていた。
「やっと、見つかったー」
そう、ホッとしたのだ。
見つかってヤバいと思ったけど、それ以上に安心したんだ。だけど、学校に行く気には、全然なれなかった。
たぶんその様子を見ていた兄が、担任が帰った後、しばらくして話しかけてきた。
「さとし、同級生の何がこわい?おれとケンカしても大丈夫なのに、何がこわいん?」
そんなようなことをサラッと言った。
5つ離れた兄は、昔でいうヤンキーっぽかった。兄は手加減せずに、わしと遊んでくれたんだよな。ケンカもしょっちゅうやってた。
兄のその一言が、驚くほど心に入って、思ったんだ。
「そうだな」
その言葉を聞いてすぐに、部活を止めて学校に行けばいいんだって決めた。
学校行った日、バスケ部の1年生がわしを囲んだ。
即座に言ってやった。
「部活止める。どけ、帰る。」
結局ね
そのあと、部活止めてバスケ部の連中とは仲良くなった。休憩時間は一緒にバスケやってた。
で、結局なぜ学校に行けるようになったか?
・児童文化センターという居場所があった
・捉え方が変わる言葉をもらった
中1の僕にとって、親の言葉も先生の言葉も何も覚えていない。不登校にまつわることではね。
覚えているのは、児童文化センターの職員さんの言葉とそこで遊んだこと。
そして、タイミングよく僕の意識を変えてくれた言葉を兄がぶつけてきた。
居場所・言葉
これが重要だったんだ。
もし、学校に行けなくてフラフラしているときに、兄の言葉をぶつけられても、反発するだけだったと思う。
心を休めることができる場所、心を元気にする場所があって、そこでゆっくり心の回復を図ることができた。
そのあとでの言葉だったから、心にすっと入ったんだ。