効率化の牙城にて(その22)-一橋の紅葉と「異邦の騎士」 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

「転居して新たな生活を始めた」心境を詠んだ漢詩がある。白居易の「香爐峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」である。以前のブログで英訳を掲載しているので以下に紹介する。これは2015年夏に転居した時に書いた記事である。

 

https://ameblo.jp/sasurai-tran/entry-12057245692.html

 

 

閑話休題……。かくして19889月中旬、アパート探しが始まった。当初は西武池袋線の「ひばりが丘」から「秋津」、西武新宿線なら「花小金井」から「萩山」あたりで探していた。季節が秋へと移る中、車での不動産屋巡りも結構楽しかった。そんな中、秋津駅近くの不動産屋からある物件を紹介された。

 

それは清瀬駅の近くのアパートだった。清瀬と言えば中森明菜の出身地だが当時はそんなことは知らなかった。新築で建物も部屋も綺麗だし、駐車場込みの家賃も予算の範囲内だった。だが、周囲にやたら病院が多く何となく街が暗く、一方で店は少なく不便だと感じた。

 

翌週、先輩のYHさんからある不動産屋を紹介された。私が住みたいと思っている地域に複数の店舗を持っていた。そこで紹介されたのが国立駅北口から徒歩10分ほどの新築のアパートだった。住所は国分寺市光町となっていた。

 

現地に行ってみると結構お洒落な建物で「新婚さん」向けとも言われた。部屋は南向きでアパートの道を挟んだ南には黒い土の畑が見えた。その畑の先にあったのが「鉄道総合技術研究所」で、ここで東海道新幹線の開発研究が行われたため新幹線「ひかり号」に(あやか)って地名も「光町」となったらしい。

 

探せばもっと便利なところはいくらでもあったが「少しでも会社から離れたい!少しでも早く寮を出たい!」という気持ちが勝った。また、最寄り駅が国立というのもここに決めた理由だった。この辺りの経緯については「国立の思い出」(その⑤)にも記載している。

 

それから、電気・水道・ガス・電話の手続きや机・本棚・洋服箪笥などの家具、また冷蔵庫・洗濯機、炬燵などの電化製品を買いそろえ、コストは掛ったが、どうにか198810月下旬に引っ越しを終えた。これで東京都国分寺市の市民になった。

 

通勤は車だったが、途中、西武国分寺線、西武多摩湖線と2つの踏切を越えなければならず、朝は結構時間がかかった。これについてはもっと考慮しておくべきだった。

 

 

とは言いつつも、土日は国立駅の南口の喫茶店や書店(新刊および古書)、また大学通り近辺をぶらぶら散策した。秋の一橋大学構内の紅葉はとても綺麗だった。書店で好きな本を買い喫茶店や大学構内のベンチに腰掛けてゆっくり読めることに(くつろ)ぎを感じていた。何か大学時代に戻ったような感じがして日々「会社に行きたくない!」という気持ちが強くなっていった。

 

 

時期ははっきりしないが一人暮らしを始めて暫くしてから「いいとも会」のHYが神奈川県への実家への帰省のついでに私の自宅に遊びに来た。国立は彼にとって第二の故郷でもある。そのとき2人で態々(わざわざ)行ったのが恋ヶ窪近くの「すかいらーく」だった。HYの好物であるハンバーグを食べた。

 

一人旅の友として、以前から日本のミステリーは西村京太郎、夏樹静子、東野圭吾などを読んでいたが、HYに同年発行の別冊宝島「このミステリーがすごい!」と、その第5位にランクされている島田荘司の「異邦の騎士」を紹介されて読んでみた。

 

島田荘司の奇想天外な発想が実に面白く、以来島田の作品を読み漁るようになった。彼の小説に出てくる探偵「御手洗潔」が京大医学部卒ということ、彼が京都大学推理小説研究会に関連が深く、同研究会出身の綾辻行人や法月綸太郎などが島田荘司シンパ(sympathizer)であることも不思議な縁に思えた。

 

 

また、同年師走に入ってから、システム部の同期を自宅に呼んで忘年会を兼ねて宴会をやった。女子1名を含め総勢6名くらいが集まった。宴会では「すき焼き」を作ったが何故かOKが大根を買って持ってきた。彼の自宅ではすき焼きに大根を入れるらしい。たぶん下ごしらえが要るはずだが ……、とは思ったものの彼の采配に任せた。案の定、大根が煮えておらず悲惨な状態になった。 

 

結局、自宅が近いOA、独身のOKと夜中まで飲んだ。OAはタクシーで帰りOKは結局うちに泊まった。その翌日、2人でうだうだ話しているうちに「年が明けたら東北辺りにドライブ旅行にでも行くか?!」という話になった。OKは車を買い替えたばかりで遠乗りがしたかったようである。

 

 

そんなこんなで気が付けば誕生日が過ぎて30歳になっていた。節目の年、1988年がまさに終わろうとしていた。