「国立の思い出」(その⑤) | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

東京で働いた最後の一年、独身寮を出て国立駅北口近くのアパートに移り住んだのは1988年の秋だった。昭和天皇の容体が悪く、システム部門では「Xデー」などの言葉が囁かれていた。

 

アパートは国立駅の北口から歩いて10分くらいのところだったが、当時は決して便利なところではなく、通勤は車だったが踏切を2つも越えなければならず、何故こんな場所を選んだのか今も不思議である。とにかく会社や寮から逃れたい気持ちがあったように思う。

 

休日には駅の南口をよく散策した。大学通りには新刊・古本など何軒かの書店がありそれらを覗いたり一橋の構内を歩いたり、またお洒落な喫茶店もいくつかあった。

 

「ロージナ茶房」はそんな喫茶店の一つである。メニューはカレーとスパゲティが中心だったがとにかく量が多いのである。若い胃袋にもややきつかった。ここには安田の同期のO君とも行った記憶がある。

 

それから4分の1世紀以上が経過し私が翻訳・通訳のコーディネータをしていた頃、全国から優秀な翻訳者・通訳者をネットで募集した。その中に京都府宮津市在住の女性がいた。

 

彼女は翻訳者・通訳者を超えたフリーライターだったが、メールでやり取りしているうち「ロージナ茶房」の話題が出た。東京に居られた頃、国立市近辺に住まわれていたらしい。

 

彼女の著作「バイリンガル・ライターになりたい―しごと半分おもしろ半分」をネットで見つけて購入し読んでみた。翻訳・通訳の世界に身を置く人間にとってはなかなか得ることのできない有益な情報が満載されていた。