効率化の牙城にて(その2)-SPMSの保守・管理と天職 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

今週から突然秋らしくなった。というより朝晩は初冬の冷え込みである。先週までの半袖・ノータイから突然のスーツに身体がびっくりしている。

 

先般、一斉を風靡したプロ野球選手が引退するなど寂しいニュースが多い。毎年この時期から、漢詩「代悲白頭翁」の記事へのアクセスが多くなる。この記事を書いてはや10年、光陰矢の如しである。

 

https://ameblo.jp/sasurai-tran/entry-11056407824.html

 

 

閑話休題……。電算課はシステムチーム(事務種類:Y)と運用管理チーム(事務種類:Z)に分かれており、システムチームはOSチームとIMSInformation Management System)チームに分かれていた。なおIMSとはIBMのデータベース管理システムをいう。

 

また、運用管理チームはスケジューラーチーム、プロセスチーム、データ管理チームに分かれており、私はデータ管理チームに配属された。チームのチーフはSYさんという入社4年目の京大・法学部卒の先輩だった。そのほか、チーム内には入社3年目(1年先輩)の男性と女性が3名いた。

 

データ管理チームの主たる業務は、コンピュータ処理で使用するデータ媒体(磁気テープ、磁気ディスクなど)の管理、オフライン機器(ラインプリンター、漢字プリンターなど)の管理、その他ディスク管理に関連して、プログラム・ライブラリーの管理やプログラム開発支援システムの保守・管理を行っていた。

 

当時、データ管理チームが保守・管理していたプログラム開発支援システムは、SPMSSource Program Maintenance System)と呼ばれた。日次、週次、月次処理が組み合わされた複雑なジョブ構成で、先行のジョブが後続のジョブのJCLを生成するなど、ややアクロバット的な処理もあった。その後、同業他社とのシステム開発競争が熾烈さを増してゆく中、SPMSは、新計上システムの開発などによるプログラム数の激増に耐えられなくなっていった。

 

夜間にSPMSの週次ジョブに障害が発生し電算室に呼び出されて対応するなど、以後、このジョブには結構苦しめられることになった。翌朝からアプリケーション担当課が問題なくシステム開発が行えるようにするため、夜間のうちにトラブルを修復しておかなければならなかった。

 

データ媒体について言えば、当時の磁気テープは長さが2400フィート、記録密度6250BPIbyte/inch)のリール状の重たいもので、それが電算室フロア(事務本部3F)だけで数千本、地下金庫内には保存テープが数千本あった。磁気テープを数10本、プリンターの用紙を数10箱運ぶこともあり、とにかく体力が必要な部門だった。元来、体力は無かったが、若さだけでどうにか耐えていた。

 

その一方で、電算室内のディスプレイ装置に表示されるメッセージは全て英語、プログラミング言語のCOBOLも英語、またジョブを実行するためのジョブ制御言語(JCLJob Control Language)やユーティリティ・プログラム(Utilities)もすべて英語だった。

 

IBMが提供しているマニュアルには英語版と日本語版があったが、日本語版は英語を直訳したわかりにくいもので、結局、英語版を読まざるを得ないことも多く、一日中英語と接しながら仕事をしていた。

 

 

ふと気が付けば……、以前「英語の散歩道(その12)-「赤いガラス」の占い師」に書いた「アルファベットを操るような仕事」に就いていた。