英語の散歩道(その12)-「赤いガラス」の占い師 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

大学の頃は、実のところ英語をしっかり勉強した記憶がなく、本ブログのタイトル「英語の散歩道」から逸脱しつつある。しかし、大学時代それ自体、自分にとっては京都の街をぶらぶらと散歩しながら、自分の将来や人生などについて、稚拙ながらもゆっくりと見つめることができた唯一かつ貴重な時間だったように思う。

 

 

話は少し遡るが、生涯に一度だけ自分の将来を占ってもらったことがある。大学2回生の夏休みのことだ。当時小倉に「赤いガラス」というパブがあった。西高同窓のEほか悪友たちと小倉で飲んだ2軒目、誰かがバイトしていた関係で「赤いガラス」で飲むことになった。そこのママさんは、よく当たるので有名な占い師だった。なお、Eについては「自叙伝(その28)-豪農の末裔」で紹介している。

 

タダで見てくれるというので、ママさんに自分の将来などを聞いてみた。彼女は開口一番「あんたっ!基本的に努力はせん人やねっ!」と言った。失敬な話である。自分なりに努力してきたつもりだったからだ。

 

まあ気を落とさず、とりあえず「僕は将来どんな仕事をするんやろかっ?」と聞いてみた。彼女は「あんたの周りにはアルファベットがたくさん見えるけぇ~、何か知らんけど……きっとアルファベットを操るような仕事に就くよっ!」と言った。その後「結婚はっ?」と聞くと、占ってはくれたものの「それは今知らん方が良かろうねぇ……。」と不思議な答えをした。

 

「アルファベットを操るような仕事」とは実に暗示的な言葉だったが、この時頭に浮かんだのは「タイプライターを打つような仕事かなっ?」という実に幼稚な発想だった。この言葉を聞いて即、英語が連想できなかったことをみても、当時の不勉強が思い知られる。

 

 

4回生に入り公務員試験が迫っていたが、相変わらず勉強は進んでいなかった。その春に卒業したゼミの先輩たちの就職先は、メーカー1名、私鉄1名、都市銀行3名、総合商社1名、政府系研究機関1名、地方上級公務員1名などバラバラだった。

 

4回生になり、ゼミでも就職先の話題が中心になっていった。同期のゼミ生では金融機関志望者が多く、大手都銀(第一勧銀、三菱、富士、住友、三和、東京など)や長信銀(興銀、長銀、日債銀)、また政府系金融機関(開銀、輸銀、商工中金など)などの話題が多く出ていた。また国家上級、地方上級などの公務員を併願している学生もいた。

 

 

1981年時点で、国家上級公務員の一次試験(選択式)が7月初旬、二次試験(論述式)が8月初旬、また民間企業の就職活動の解禁日は101日であった。