英語の散歩道(その11)-炉端焼き「京八」の街へ | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

2回生の終わり、大学のすぐそばの吉田二本松町の下宿から一乗寺燈籠本町のアパートに引っ越した。下宿には門限があり何かと不自由だったからである。だが、大学から離れたことは私にとって決して良いことではなかったようである。

 

3回生からのゼミで必要な数学力を習得するために、教養部で工学部1回生が受講する微積分と線形代数の講義を受講することにした。線形代数は独学していたこともあり何とかなったが、微積分では所謂、イプシロン-デルタ論法((ε、δ)-definition of limit)に泣くことになった。これが高校数学と大学数学のギャップだった。

 

ゼミのテキストは、「ケインズ経済学のミクロ理論」(根岸隆著/日本経済新聞出版)と「反独占の経済学」(馬場正雄著/筑摩書房)だったが、それに加えて “Monetarist & Keynesian” という当時話題になっていた、マネタリスト対ケインジアンの最新の論争に関する外書の講読も課された。この中で基本的な経済用語の英訳を知ったが、内容は数式とグラフばかりのもので、テキストに付いてゆくことも厳しかった。

 

 

そんな中、3回生時代の楽しい思い出と言えば、夏休みに親友のSと3週間ほど掛けて北海道をキャンプしながら車で一周したことくらいである。さしたるアルバイトもせず、親の脛を齧りながらの旅だったが、北海道の大自然の中で、水や食べ物の調達などサバイバルの経験は、以後の自分の人生にはプラスになったように思う。

 

このSとは大学に入学したばかりの4月、出町柳の鴨川三角州で冷酒に紙コップで行われたE2の最初のコンパでたまたま隣り合わせたのが縁で親しくなり、1回生時の自主ゼミの合宿で淡路島に行ったり、お互いの大阪と小倉の自宅に泊り合ったりもした。コロナ禍の前の2020年の正月、ご夫婦で小倉に来られて旧交を温めた。ほんとに楽しいひと時だった。

 

 

3回生の頃は、何となく公務員を志望してはいたが、経済職では学部の授業で試験に直結した講義はあまりなく、迷走する心のまま大した勉強はしなかった。今考えると、本気で公務員を目指すのであれば、通信教育などを受講して試験に即した勉強をすべきだったように思う。気が付けばだんだんと大学から足が遠のいていった。

 

一方で、この頃、友人たちとよく行ったのが一乗寺宮ノ東町にあった炉端焼き「京八」という居酒屋である。マスターやママさんとも親しくなり卒業まで通い続けた。友人がここで酔い潰れてマスターが軽トラで下宿まで送ってくれたりもした。

 

四人組のRが東京工大大学院修士1年のときに学会で京大を訪れ、私の学友たちと飲んだのもこの「京八」だった。マスターとママさんは私の京都の親代わりのような感じで、喜怒哀楽様々な思い出に彩られた居酒屋だった。

 

 

我々が北海道を巡った1980年の7月から8月は、北海道から九州まで日本全国で低温・多雨・日照不足が発生した記録的な冷夏だった。北海道、大雪山近くの国道には雪が残っており、車にヒーターを付けて走ったことを思い出す。

 

そんな冷夏のような煮え切らない気持ちのまま、気が付けば3回生が終わり、進路を決めなければならない4回生になっていた。