英語の散歩道(その10)-「黄昏」と「恋路が浜」 | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

前回の記事の補足になるが、2回生時に受講した「金融論」に関係して、自発的に読んだものに「金融」(館龍一郎・浜田宏一著/岩波書店)がある。これは4回生くらいまでに2回ほど読んだ。この岩波の現代経済学シリーズは、他にも「価格理論Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」、「財政」、「経済政策」などを持っていたが、しっかり読んだのはこの「金融」だけで、今も手元にある。

 

 

「恋バナ」ではないが……。2回生の夏休み、小学校時代の幼馴染みの女子に勇気を出して電話を掛けた。JやUTと同じく、彼女とも小学3~5年同じクラスで、何故か気が合って自宅にも何度か遊びに行ったことがあった。少女マンガ風の絵が得意でお洒落な女の子だった。彼女は中学・高校と地元の私立、西南女学院に通っており、高校卒業後は地場の中堅企業で働いていた。

 

最初の待合わせは、彼女が指定した小倉駅近くのビルの2階にあった「黄昏(たそがれ)」という喫茶店だった。彼女の会社が退けた夕刻から、途中場所を喫茶「田園」に移して長い時間話をした。最初は緊張があったが、気が付けば小学校の頃に気持ちが戻っていた。その横で、灰皿は私の吸い殻で山のようになった。

 

その後、彼女とは手紙のやり取りが続き、大学3年の冬一度飲みに行った。だが、当時の私は結婚など考えるには精神的に幼すぎたし卒業後の進路すらしっかりと考えていなかった。一言でいえばタイミングが合わなかったのである。結局、彼女は私が大学4回生のときに高校教師の方と結婚した。

 

「黄昏」で彼女と会っていた頃、巷で流行っていたのが桑名正博の「セクシャルバイオレットNo.1」という曲だった。彼女のことは今も時々思い出すが、何故か(すみれ)色(薄紫色)のイメージが脳裏に浮かぶ。

 

 

 

英語については大した勉強もしないまま2回生も終わりに近づき、ゼミを選定する時期になった。専攻するなら近代経済学の理論と考えており、瀬地山敏助教授の経済原論(マクロ経済学)を選択した。

 

このゼミでは数学的能力が必要なことは分かっていたが、思った通り10名ほどの同期ゼミ生のうち半数ほどが工学部からの転学部生で、またその他のゼミ生も、大学院を志望している者など優秀な学生が多かった。自分にはやや程度が高かったようである。

 

 

ゼミが始まる3回生に進級する春、愛知県の伊良湖岬(恋路が浜)での一泊二日のゼミの合宿に参加した。担当の教官(助教授)や4回生の先輩や同期ゼミ生との顔合わせも兼ねたものだった。合宿に参加するため小倉から京都に戻る途中、仲良くなった同期ゼミ生Q君の広島の実家に一泊し広島市内や宮島を観光した。なお、このQ君、以前「国立の思い出」(その④)で言及している。

 

また、合宿を終えた帰り道、奈良の吉野山に立ち寄った。同期ゼミ生のQ君も一緒だった。ちょうど桜の時期ではなかっただろうか。吉野の桜は殆ど記憶に無いが、恋路が浜で食べた大アサリの塩焼きや、吉野山へ向かう全員が間違って葉っぱごと食べてしまった柿の葉寿司の味は何となく思い出す。

 

 

この春休み、化粧品のCMにも使われて流行っていたのが、渡辺真知子の「唇よ、熱く君を語れ」という曲であった。