第二外国語として選択したドイツ語について少し触れておきたい。
経済学部の第二外国語の選択肢はドイツ語とフランス語だった。クラス分けはE1とE2がドイツ語、E3とE4がフランス語だった。E1に1名くらい女子がいたので、学部に居た女子の殆どはフランス語を選択したようである。
ドイツ語を選択した理由は、北杜夫の「ドクトルまんぼう青春記」で「レクラム文庫」に言及されていたからである。「レクラム文庫」とはドイツの著名な廉価版文庫で、日本の岩波文庫などの模範となったものである。これを原文で読みたいと思ったからだ。なお北杜夫に関しては「自叙伝(その17)-「バンカラ」と「杜の都」」に記載している。
教養部1回生時のドイツ語の講師は「〇津」という方だった。当時の教養部には「3高3津」と呼ばれるドイツ語の撃墜王伝説があった。「高」と「津」が付く計6名の講師のドイツ語の単位の取得が難しかったからである。たまたまE2はこの撃墜王の一人に当たった。
元来新しいもの好きな性格の私にとって、ドイツ語は新鮮で楽しかった。周りの生徒よりは勉強したつもりである。ドイツ語の文法や単語が若い脳にどんどん入ってきたが、発音の面で英語には悪影響があったかも知れない。著名な文法書「ドイツ広文典」(桜井和市著・第三書房)なども買って辞書的に使っていた。「〇津」先生のドイツ語の成績は何とか「優」で乗り切った。
将来の方向性を見失っていた教養部2回生時も必須の英語講義が2つあった。但し、講師は決まっておらず、自由に選択することができた。人気の高い(単位が取り易い)講師の講義は抽選になり倍率の高い講師もいた。
幾つかの抽選に漏れた頃、「M先生の講義を受けんかっ?!」と誘ってくれたのが北予備の同じクラスにいた友人のHだった。Hは1回生時E1だったが、2回生から法学部に転学部していた。なお、Hについては「自叙伝(その34)-「時計台教室」の戦い」に記載している。
女性のM先生の講義のテキストは “Nature” というもので、ラルフ・ウォルド-・エマ-ソン(Ralph Waldo Emerson)著の超難解な自然論だった。また、抽選に漏れてたどり着いたもう一つ講義は “English Literature” というオーソドックスな英文学の理論だった。講師は穏やかで品の良い中年の紳士だった。
HはE1でM先生の講義を経験済みだったが、テキストの英文は辞書を引いても意味が解らず私にはかなり厳しかった。一方で、英文学理論の方は、英語の語法の歴史のような内容で、テキスト自体難しくは無かったが、周囲は文学部の学生が殆どだった。この講師の講義で覚えた単語がある。Circumlocution という語で「回りくどい表現」という意味である。因みに circumlocution の英英辞典の定義は以下の通りである。
Circumlocution:
A circumlocution is a way of saying or writing something using more words than are necessary instead of being clear and direct.
また、M先生は夏休みに課題を課した。それが自由英作文だった。テキストには何の関係もなかったが、私は島崎藤村の「千曲川旅情の歌」を英訳して提出した。ネットの無い当時、図書館に行ってしっかり調べたわけでも無く散々な出来だったと思われるが、先生からは「良」の評価をいただいた。講義の内容は難しいが単位については寛容な方だった。
因みに翻訳者となった後、M先生への罪滅ぼしのために再度英訳したものを過去のブログに掲載しているのでご一読いただければ幸甚である。
1回生時の小説に比べ、2回生時は格調高い内容の講義ではあったが、大した勉強もしないまま、教養部が終わろうとしていた。