イェホシュアのイスラエルの信仰と証し -25ページ目

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Terry Goodyer

 

 

 

本日の礼拝と聖餐式は以下のGoogle MeetのURLで行います。

礼拝および聖餐式
4月 2日 (日曜日) · 午前10:00~11:00
Google Meet の参加に必要な情報
ビデオ通話のリンク: https://meet.google.com/grj-skpp-afd

使徒の働きには、「この道」という表現が何箇所か出て来ます。
英訳聖書で確認すると"The Way"ないし"the way"です。

ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。
使徒9:2

しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしったので、パウロは彼らから身を引き、弟子たちをも退かせて、毎日ツラノの講堂で論じた。
使徒19:9

しかし、私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えていることを、閣下の前で承認いたします。私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることとを全部信じています。
使徒24:14

Theという定冠詞が付いていることから、書き手は読み手に対して「ああ、あの道のことか」とわかるということを想定しています。

「あの道」とは何か?
もちろん、イエス・キリストの以下のお言葉を前提にしています。

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
ヨハネ14:6

どこに至る道か?
イザヤ書の預言から、この道は始まっています。

 

 

Courtesy of Terry Goodyer

 

 

本日の礼拝は以下のGoogle MeetのURLで行います。

礼拝
3月 26日 (日曜日) · 午前10:00~11:00
Google Meet の参加に必要な情報
ビデオ通話のリンク: https://meet.google.com/hba-htbm-dbj


本日の礼拝テーマは、

「神の御霊」=「聖霊」とはどんな「霊」か?

です。


新約聖書では、聖霊を、複数のやり方で記しています。

「聖霊」
「真理の御霊」
「神の御霊」
「助け主」「弁護者」
「御霊」
「主の霊」(使徒8:39)


旧約聖書には「主の霊」と訳されている「霊」が20数カ所記されています。

  • 士師記3:10、6:34、11:29、13:25、14:6、15:14、
  • 第一サムエル10:6、16:13-14、19:9、
  • 第二サムエル23:2
  • 第二列王記2:16
  • 第二歴代誌18:23、20:14
  • イザヤ11:2、40:13、61:1
  • エゼキエル11:5、37:1
  • ミカ3:8


これはヘブライ語原典に当たるなら「YHWHの霊」です。

旧約聖書の文脈と新約聖書の文脈は接続していますから、「YHWHの霊」が「聖霊」であるということは、まっすぐな聖書的真理です。

特に、イエス・キリストが初めて御子イエスとしてご自身を公に現された場面と、

それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。
すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。
「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、
主の恵みの年を告げ知らせるために。」
イエスは書を巻き、係りの者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。
イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。

ルカ4章16-21

引用されているイザヤ書(新改訳聖書第三版をヘブライ語逐語訳に照らして修正)

主であるYHWHの霊が、わたしの上にある。YHWHはわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、
YHWHの恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、
シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現わすYHWHの植木と呼ばれよう。
彼らは昔の廃墟を建て直し、先の荒れ跡を復興し、廃墟の町々、代々の荒れ跡を一新する。

イザヤ61:1-4


を照らし合わせるなら、イザヤ書の「主であるYHWHの霊」は、イエス様が会堂で読み上げられたイザヤ書の「主の御霊」と同じものであり、それを前提として「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました」とおっしゃっています。

 

つまり、イエス様に下った霊は「YHWHの霊」なのです。それを「聖霊」とおっしゃっています。

使徒の働きで最初に下った「霊」もこの霊です。つまり「YHWHの霊である聖霊」です。

 

主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。
御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。」
彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。

使徒4:29-31

この霊に満たされた人がどう変化するか、どういう行動を取るかを見て行きます。


 

Courtesy of California Bakery

 

 

だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、YHWHはこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。
イザヤ43:1

イザヤ書には、イスラエルとして召された人たち、及び、これからイスラエルとして召されることになる人たちに対する預言が複数あります。この聖句もそうです。

ヤコブは、イサクの息子。イサクはアブラハムの息子です。

このヤコブが、創世記32章で、神であるYHWH(主と訳されています)から、「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ」と告げられます(創世記32:28)。

その理由として、神YHWHがおっしゃったのは「あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ」。確かに、ヤコブは神である人と一晩中相撲を取って、負けることがありませんでした。

ヘブライ語の「イスラエル」には、「神が戦われる/God strives」という意味があります。

Yisrael
Definition: "God strives", another name of Jacob and his descendants

これは、イスラエルである人たちに対して、神YHWHは、大きなチャレンジを与えると理解すれば良いでしょう。そのことは、聖書の各所に見ることができます。古くはヨブ記です。

新約聖書では、主イエス・キリストの以下のお言葉にそのことが見えます。

また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
マタイ10:22

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
マタイ24:13

また、わたしの名のために、あなたがたはみなの者に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。
マルコ13:13

イエス・キリストが再び来られる時に先立って「最後まで耐え忍ぶ」ことが求められるということを、イエス・キリストは教えておられます。耐え忍ぶのが「イスラエル」です。ヤコブが一晩中、神である人と相撲を取った場面を思い起こして下さい。神がそのような試練をお与えになります。

主イエス・キリストにあって、そのように耐え忍ぶ人々が、パウロが言う「信仰によるアブラハムの子孫」です。

ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。
ガラテヤ3:7

そうした、最後まで耐え忍ぶイスラエルを、神YHWHはあがなうのです。

イエス・キリストを信じて、この時代(aion)が締め括りになるまで耐え忍んだ人々を、「あなたはわたしのもの」と搔き抱いて、御子イエスとともに、御国を相続させるのです。


 

Courtesy of Terry Goodyer

 

 

本日のオンライン礼拝は、以下のURLにて行います。

礼拝
3月 19日 (日曜日) · 午前10:00~11:00
Google Meet の参加に必要な情報
ビデオ通話のリンク: https://meet.google.com/yje-cxes-uvg

 

 

詩篇には「心の砕かれた者」の近くに、神である主YHWHがおられるということが書いてあります。

主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。
詩篇34:18

神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。
詩篇51:17

また新約聖書の各所には「へりくだる」ことの重要性が書いてあります。

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
マタイ11:29

しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」
ヤコブ4:6

普通、聖書を真面目に読んで、イエス・キリストに倣おうと思っている人は、こうした聖書の教えをよく理解しています。

しかし、生活の上で、生き方の上で、これができない。
それはなぜなのか?

また、そこで「イエス・キリストの十字架の死」は、何をして下さるのか。
そこのところを説明します。


 

Courtesy of Koichi Hayakawa

 

 

私たちは4世紀に三位一体の"神"を掲げて世界中に広まった「キリスト教」ではありません。

私たちは、御子イエス/イェホシュアの十字架と復活を信じる信仰により、本当の聖霊をいただき、イスラエルの神YHWHを「父」として仰ぐ、アブラハムの子孫です。

1世紀にパウロが宣教した教えの回復です。