イェホシュアのイスラエルの信仰と証し -26ページ目

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Koichi Hayakawa

 

 

私たちは4世紀に三位一体の"神"を掲げて世界中に広まった「キリスト教」ではありません。

私たちは、御子イエス/イェホシュアの十字架と復活を信じる信仰により、本当の聖霊をいただき、イスラエルの神YHWHを「父」として仰ぐ、アブラハムの子孫です。

1世紀にパウロが宣教した教えの回復です。

Courtesy of David Stewart

 

 

この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいるYHWHの救いを見よ。ユダおよびエルサレムよ。恐れてはならない。気落ちしてはならない。あす、彼らに向かって出陣せよ。YHWHはあなたがたとともにいる。
第二歴代誌20:17

It is not for you to fight in this; station yourselves, stand, and see the salvation of YHWH with you, O Judah and Jerusalem—do not be afraid nor fear—tomorrow go out before them, and YHWH is with you.
2 Chronicles 20:17
Literal Standard Version

第二歴代誌20章で描かれているのは、神YHWHを自分たちの神と仰ぐ人たちと、別な”神”を神とする人達との戦いです。

イエス・キリストが「この世」、「この世の子ら」とおっしゃったように、「この世」に属する人達は、私たち、神YHWHを自分たちの神と仰ぐイスラエルと、戦う立場にいます。

御子であるイエス/イェホシュアの十字架の死と三日目の復活を通じて、そのことを信じる信仰によって、神YHWHが私たちの父となって下さった。

モーセに現れた神。もっと遡れば、アブラハムに現れた神。もっと遡れば、アダムをお造りになった神。
その方、神YHWHが、私たちの父になって下さったのです。

そういう人たちは、本質的に「この世の子ら」とは違います。
毎日、大変な思いをすることもあります。
主イエス・キリストは迫害を預言しておられます。パウロも迫害について書いています。



そうした「この世の子ら」との戦いにあって、神YHWHは、
「この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。」とおっしゃるのです。

「あなたがたとともにいるYHWHの救いを見よ。」と天の父はおっしゃるのです。

ヘブライ語のイェホシュア(イエス)の意味は、「YHWHは私たちの救い」です。



 

Courtesy of Haydn Blackey

 

 

神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

創世記1:26-27

創世記では、人間が、神に似せて造られた、神の形として造られた、と記されています。

創世記5章でも、そのことが繰り返し記されています。


これはアダムの歴史の記録である。神は人を創造されたとき、神に似せて彼を造られ
男と女とに彼らを創造された。

創世記5:1-2

この、神に似たものとして造られたということは、パウロ書簡の中でも、書かれています。具体的には、天の父と、主イエス・キリストのお二方あるうちの、主イエス・キリストの方に似る、ということが書かれています。


主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
第二コリント3:17-18

神である天の父から教えられて、イエス・キリストの十字架と復活の救いにあずかる人は、皆、イエス・キリストに似るように造られています。