私たちは4世紀に三位一体の"神"を掲げて世界中に広まった「キリスト教」ではありません。
私たちは、御子イエス/イェホシュアの十字架と復活を信じる信仰により、本当の聖霊をいただき、イスラエルの神YHWHを「父」として仰ぐ、アブラハムの子孫です。
1世紀にパウロが宣教した教えの回復です。
私たちは4世紀に三位一体の"神"を掲げて世界中に広まった「キリスト教」ではありません。
私たちは、御子イエス/イェホシュアの十字架と復活を信じる信仰により、本当の聖霊をいただき、イスラエルの神YHWHを「父」として仰ぐ、アブラハムの子孫です。
1世紀にパウロが宣教した教えの回復です。
この預言も、いま、改めて振り返ると、非常に意義深いものとなって映ります。
預言は、私が書いた、というよりも、神YHWHから降ってくる言葉です。
記念として、リブログします。
ここで書かれている内容は、成就します。
この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいるYHWHの救いを見よ。ユダおよびエルサレムよ。恐れてはならない。気落ちしてはならない。あす、彼らに向かって出陣せよ。YHWHはあなたがたとともにいる。
第二歴代誌20:17
It is not for you to fight in this; station yourselves, stand, and see the salvation of YHWH with you, O Judah and Jerusalem—do not be afraid nor fear—tomorrow go out before them, and YHWH is with you.
2 Chronicles 20:17
Literal Standard Version
第二歴代誌20章で描かれているのは、神YHWHを自分たちの神と仰ぐ人たちと、別な”神”を神とする人達との戦いです。
イエス・キリストが「この世」、「この世の子ら」とおっしゃったように、「この世」に属する人達は、私たち、神YHWHを自分たちの神と仰ぐイスラエルと、戦う立場にいます。
御子であるイエス/イェホシュアの十字架の死と三日目の復活を通じて、そのことを信じる信仰によって、神YHWHが私たちの父となって下さった。
モーセに現れた神。もっと遡れば、アブラハムに現れた神。もっと遡れば、アダムをお造りになった神。
その方、神YHWHが、私たちの父になって下さったのです。
そういう人たちは、本質的に「この世の子ら」とは違います。
毎日、大変な思いをすることもあります。
主イエス・キリストは迫害を預言しておられます。パウロも迫害について書いています。
○
そうした「この世の子ら」との戦いにあって、神YHWHは、
「この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。」とおっしゃるのです。
「あなたがたとともにいるYHWHの救いを見よ。」と天の父はおっしゃるのです。
ヘブライ語のイェホシュア(イエス)の意味は、「YHWHは私たちの救い」です。
神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
創世記1:26-27
創世記では、人間が、神に似せて造られた、神の形として造られた、と記されています。
創世記5章でも、そのことが繰り返し記されています。
これはアダムの歴史の記録である。神は人を創造されたとき、神に似せて彼を造られ、
男と女とに彼らを創造された。
創世記5:1-2
この、神に似たものとして造られたということは、パウロ書簡の中でも、書かれています。具体的には、天の父と、主イエス・キリストのお二方あるうちの、主イエス・キリストの方に似る、ということが書かれています。
主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
第二コリント3:17-18
神である天の父から教えられて、イエス・キリストの十字架と復活の救いにあずかる人は、皆、イエス・キリストに似るように造られています。