今の若い方たちの不満・・。なぜかよーくわかってしまう。
「共感力」高めなんだけれど年を重ね、その不満は紐解ける・・・。
なるへそレベルだけれど、その不満に寄り添う事ができるのも、同調圧力からの解放として
心理学を学んだおかげなのかな。
自己肯定感が高まり、あ~~あの時沸々とした想いは、10年という時を経て
やっと、この時代になったのか!!
遅せっ~よ!!
なんだろ・・・。
通年通りいくはずだ・・・と、先延ばしの問題を
いかに回避しようかと右往左往して説得しているのを
客観的に見ている状態。
そして、解散したほうがいいんじゃね?という
切り札は自分は嫌だというのが
如実に伝わり、何も知らないであろう方に押し付けているご様子を
見ている立場って・・。
もはや最悪、誰の協力者も得られずセッセト業務を
しかも無償で行うなんて・・。
と想像すると、所属感が良かったんだよな~という
無責任だが、居心地がよく、肩書与えられても知らんがな~という
スタンスで来たので、イヨイヨ、次期は退こうかな~という
想いが発生した。(総会資料を作成するにあたり)
マナーやモラルももはや崩壊中。
思いやりという配慮は、この時世どこで断絶してしまったのか・・・。と、
1970年代以降の方とその親子関係性の中ではないかと推測するに至り、
私たち世代はギリ昭和世代を引き継いでいる。
なぜそう思うのか・・・。
これを語ると本になるので、やめとく((笑))
なんだ?なんだ?という押し寄せる波のようにそこを乗り越える対応力は
絶賛、成長中!!。しかし、資本となる体の不調から理不尽不条理と称されるものに対して
ズッチィよな~~(この世代のお言葉)と嘆きたくなるこの流れは何だ?!と、
今年は出費がかさむ年はわかっていたのだが、こうも物価高騰の波が降りかかり
収支±ゼロ目標も危うく、赤字ですか?!という。
回避法は、今までは受け流してよかったものの、受け止めてじゃどうするかという
責任転換ではなく、自己責任としての規範が求められるし、こうなっていくのだろう。
だからこそ、格差が生まれる仕組みとからくりは「不安」を生み出すであろう
その「矢」が放れた感じ。
その立場や肩書という厄介な縛りに、いよいよ再構築なんだろうな。
うすうす正解はないのだけれど、どうしていきたいかの意向は聞き取らなきゃいけないんだろう
そして、交渉力はないのよねz。
「自助・共助・公助」というサイクルがあります。
一昔前とでは、その流れが変わった?!というほど、知識として植え付けられる
公助は当てにならんので自分たちで生き延びてくださいという誘導を感じとってしまった。
なので、防災としてその活動が活発化してきたなという印象。
実際、私もそういう研修やらお勉強をさせてもらい、そこから生まれる問題とか、
そこは誰がやるん?とか、結局は人が自分にできる事をやるだけど、犠牲になってはいけない。
できない人もいる中で、できる人への負担は今や重荷となって悲鳴になり、そもそもという
初心や原点回帰に鼓舞して、邁進するのも限界があるのであろう。
最終は、体力という身体的に病や痛みとして現れる方が一気に増えたのは、
なんなんであろう。と思う朝。