あなたのココロ、治します。 -56ページ目

エッセイ26「医者」

一○時頃おきましたね。最近朝飯がカルビーのグラノーラっていうシリアルなんですけど、全然満足感得られないんですよね。それでなんかイライラしてきてしまってスーパーでお菓子を買い込んで、むさぼり食ってから眠剤を導入しました。それで横になって本を読みながら眠くなるのを待つと。今読んでいるのは僕の主治医が書いたうつ病のものです。この手の本は腐るほど読んできたのではっきり言ってどうでもいいんですけどね。どの程度のものか読んでやるかって感じで。ほんと、「もしかして自分はうつかも」っていう程度の人向けに書かれた入門書で、読みやすいっちゃあ読みやすい。そんなこと知ってまーすってことばかりだけど。
医者としては今までかかってきた中で(一○人くらいかな)一番良いですね。精神専門の病院ってこともあるだろうし、五○歳くらいのキャリアのある人だからやっぱりうまい。あと、精神科医は人格がかなり重要ですね。いくら良い大学の医学博士でもだめなものはだめ。才能が必要な難しい職業ですね。それでいて毎日何十人も患者を相手にしなきゃならないっていう危篤な職業。せっかく偏差値八○をとれる頭の人がああいう仕事をしなきゃならないのはかわいそう。ここ数カ月主治医とも会ってないなあ。調子がよかったからクスリだけ出してもらってた。最近よく死にたいと思うし、来週あたり診察受けてみるかなあ。診察だって三分くらいなもんだから会ってどうにかなるってもんでもないんですけどね。入院すすめられたりしたらちょっと嬉しいけど。

エッセイ25「おしゃべり会」

いやー、気分良くなってきましたねー。昨日までの自分はなんだったんだっていう。さすがそううつ病っていう感じで。最近一週間くらいのサイクルで変動してる感じですね。
今日は病院の自助グループというか、おしゃべり会にいってきました。初めてのものだったので緊張しましたが、なんていうことのないほんとのおしゃべり会。アルコール依存の人がほとんどで、おじさん、おばさんばかりでした。ちょっと出会いとかを期待してたんだけどなー。総勢二○人くらい。各テーブル五人くらいに分かれてトークする。一応今回のテーマは「恋愛の思い出 恋愛の予感」というものだったんですけど、なんか日本の自動車工業について語りだしちゃうおじさんがいたり、結局は病気の話になる。しきりに僕の病気のアドバイスしてくれるおばさんがいたり。感想としては毒にも薬にもならない(笑)。ま、しょうがないでしょうね。特別トークが盛り上がるわけでもなし、傷つけられるわけでもない。まあ、暇でどうしようもなくて気が向いたら好き勝手に行って、人と話せるスペースがあるっていうのは良いかなーと思いました。普段ほとんど人と話もしないしね。気が向いたらまた行くさ。

今日の日記「勉強勉強また勉強」

コンチクショー! 好調だ! こんばんも!

今日のニュース。
ネットで仲間募る?=自殺7人、1人身元判明-「ごめんね」子供への遺書も・埼玉
 埼玉県皆野町の駐車場に止められたワゴン車の中で男女7人が死亡していた集団自殺で12日午後、うち1人はさいたま市浦和区の主婦(33)と確認された。秩父署は残る6人の身元の確認を急いでいる。車内には「ごめんね。お母さんは死んじゃうけど、あなたたちを生んでうれしかった」と書かれた遺書もあり、子供を持つ女性もいるとみられる。 (時事通信)

お母さん、ごめんじゃないよ。あんたが死んだら誰が子供を育てるのよ? 親より先に子供が死ぬのはいけない。だけど33歳の主婦っていったら子供は5歳くらいでしょ? 子供はどこへ行くの? 施設? 何があったのかわかりませんけど、みんなうつ状態だったのでしょうね。

去年の夏くらいに練炭による一酸化炭素自殺が流行りましたよね。僕もガレージを閉めきって練炭たいて母を心配させました。今はもう希死念慮はないですね。まあ、この状態がいつまで続くかわかりませんけども。

やっぱ自殺はよくないな。当たり前のことのようですが、うつ状態に入っちゃうともう死ぬことしか考えられなくなるんです。40%フレーフレーで生きていきたいものです。 ←すうちゃんの言葉

今日の自分。
あー、なんかニュースのこと書いていたら涙でてきました。涙もろいです。ここ最近調子が前向きで「自殺」なんていう言葉は頭の中にでてきませんでした。21世紀になって3年も経った今、なぜ自殺なのか。1999年12月31日に死のうとするのはわかる。だって何が起こるか恐いですもの。僕はけっこうノストラダムスを半分くらい信じていたし。

世紀の変わり目と、自分の生活環境を鑑みて、僕の人生は20世紀で終わったと思っています。今は消化試合をしているだけ。将来のパースペクティヴもないし。小さな目標はたくさんあります。漢検やって、歴検やって、場合によってはもう一度漢検やって、パステルを描きながら翻訳の勉強をして。

そろそろ小説も書きたいところだし。その前に読書もしたい。

♪やりたいこと ありすぎるよ いくら手を伸ばしても かげろうのようで
急がなきゃ 出遅れちゃう 時代はmotor drive !(レベッカ)

ってな感じで全然日記になっていない!
昨日も睡眠時間が変でした。0時に眠剤は飲んでいます。でも眠くならない。風呂に入るのもめんどくさい。そんなわけで勉強などをしているとそのうち眠くなってくる。ふとんにダイレクトダイヴ。電気とかつけっぱなし。変な睡眠をとって3時頃に目覚める。もう一度眠剤を飲んで寝る。

朝5時頃起きる。勉強をする。8時頃朝食を摂りにリビングに降りる。寒いのでそのあとにシャワーを浴びる。風呂から上がるとなぜか眠くなる。寝る。お昼頃目が覚める。やっちまったぁと思う。

でも時間は十分にあるので午後は丸々勉強時間にあてる。今日は歴検の過去問をひととおり読み終えました。僕は問題演習形式で育ってきたのでこの「読むだけ」「○回まわす」という勉強法が不安です。司法試験受験者なんかは読み回しをするみたいですね。僕はうまくいくかなあ。

漢検の勉強に戻りました。今91%終了しています。このままだと明日か明後日くらいには全部終わってしまうので、実力テストをやろうと思っています。まあまず受からないだろうと思っているので期待はしていません。勉強材料がほしいだけです。

今日はもう火曜日の終わりですからねえ。今週は早く終わりますね。
今後の予定は漢検です。どうせあと単語帳2つなので明日には終わらせてテストをやりたいですね。あと1週間半、長いような短いような。睡眠時間が長すぎですね。1時に寝て7時に起きるくらいのサイクルに持っていけるとベストなのですが。

そんなわけで明日の予定は漢検総復習を終わらせてテストに入ると。気分転換に歴検の問題集を読むと。てな感じです。
それでは、明日も雨だそうですが、元気出していきましょう。

今日のお言葉
環境に恵まれてしあわせです。
(まったり)

賢の半生記⑤/8

賢の半生記⑤/8


   高校時代


               
   勉強
 平成元年に予定通り晴れて都立T高校に入学した。都立では西、日比谷と並んでトップ校だった。兄がワンランク下の都立S高校出身だったので晴れ晴れとした思いだった。Tは特別な教科書を使うでもなく、ごく当たり前の授業が展開された。しかしその早さがすごかった。文理志望関係なく社会も理科も四科目ずつ必須だった。文系の人は数学で苦労したようだった。僕は理系だったので日本史と世界史に悩まされた。三年生の期末試験まで日本史を勉強せねばならず、テストで九点しかとれなかったことが記憶に新しい。文系理系の区分は三年生になってからで、それも一部の授業にしか適用されなかった。

 新宿区、渋谷区、世田谷区、目黒区から精鋭が集まってきていた。他の生徒の勉強の熱心さはすごいものがあった。一年の一学期の中間試験で僕は漢文で零点をとった。それがクラスメイトに面白がられて今でもたまに飲みに行く高校の友人連中のいいお笑いぐさになっている。中間試験ではクラス四十八人中四十七位だった。これが僕の落ちこぼれ人生のスタートであった。今までは公立中学校でトップクラスの成績を取っていた僕だったが、高校では自分より勉強もできてスポーツもできる人間がゴロゴロいた。僕はすっかり勉強に対してやる気を失った。授業中も分厚い本を読んで過ごした。女の子から勉強しなくて大丈夫? と心配された。自分のアイデンティティーって何だろうとものすごく思い悩んだ。そこで問題を解決してくれるような本を読みあさったが決定的なものはなかった。

 友人がクリスチャンであることから教会を紹介してほしいと頼んだ。キリストの教えを学べば問題が解決するのではないかと考えたのである。そこで礼拝を受けたり、会話をして楽しい時を過ごしたが、人生をいかように生きるべきかという問題に関してはあまり触れられなかった。聖書も読んだがそこから解決の糸口を見つけることはできなかった。教会へは二年生の一年間だけ通った。
そうこうしているうちに学校をさぼるようになっていった。時間通りに学校へ行くふりをしてドトールでコーヒーを飲んで時間をつぶしたり、代々木公園まで自転車で行ってベンチに座ってたばこを吸ったりした。ずいぶんさぼったつもりだったが、学年末の通知表には欠席が十日しかなかった。それでも父はひどく怒ってマヨネーズを顔に投げつけられた。そこで僕はバイクのレーサーになりたいと初めて告白した。まだ免許も持っていなかったし、バイクに乗ったことがなかったので憧れにしかすぎなかった。開成高校に入学したとKいういとこがいた。父はKを引き合いに出して、あいつがやっていることはばかげているというのか! と怒鳴った。大学受験のために青白い顔をしてがんばっているやつがいるんだぞ! と勉強至上主義を主張した。

 僕は悩みに悩んだ。結局将来の問題は大学に入ってから考えるしかないという結論に達した。大学に入ってからではバイクのレーサーなどになれるわけもないとも思っていた。そして僕の遅すぎる勉強がスタートした。一応二年の時から駿台予備学校へは通っていたことは通っていたが、予習もせず、復習もしないで成績が上がるはずもなかった。何とか数学や英語が楽しいと感じられるようになっていった。数学とF1レースが好きだったので何ら迷うことなく機械工学科を目指した。兄もWに受かっていたし、親戚でW出身が多かったので、僕もWの理工を目指した。
 遅れを取り戻すために僕は「数学は暗記だ!」という書籍を読んで要領を得た。和田秀樹という受験研究家は中学で灘校に入り、落ちこぼれていたが高校一年の時から要領のいい勉強法を展開して見事東大医学部に入学していた。僕は和田秀樹の熱心な信望者として、彼の受験参考本をほとんど読んでいた。しかし勉強のノウハウにも限界があった。和田式勉強法をマスターした僕だったが、勉強のスピード、記憶の定着、時間的制約などがあり、和田氏のような一発逆転劇は訪れなかった。それでも三年生の時の実力試験では五十位に食い込んだ。一学年が四百二十人だったので大躍進だった。担任の水谷先生に「ようやく実力発揮ね」といわれたが、僕はまだまだです、と答えた。もっと上を狙っているという意味だった。

 大学受験本番が始まった。僕は早稲田と東京理科大と武蔵工業大を受験した。
あまり解けた感じはしなかった。特に理科大は全く勉強したことが通用しなかった。雪の日で野田の試験会場へ行く途中でちょっと足を滑らせた。まさかとは思ったが落ちていた。早稲田はとにかく微分方程式が必ず出ると予備校の直前講座でいわれていたので、そこだけは得点しようと思っていた。早稲田の合格発表の日はちょうど自動車教習のために福島県まで合宿に行っていたので、わざわざ新幹線で自分の目で試験結果を見に行った。落ちていた。近くの電話ボックスで父親に電話を入れた。父は怒ることなく、「そうか」と気持ちを汲み取ってくれた。武蔵工大は滑り止めのつもりで受験したのだが、なんとここも落ちてしまった。試験会場ではできたという感触があった。それだけにショックだった。
 
 浪人が決定した。Tでは文武両道で、高校生活は部活や文化祭に全力投球して、勉強は浪人してから、という風潮があった。実際学年の九割が浪人した。女の子でも浪人する子が多く、勉強にも全力投球し、恋愛をしている人は割と少なかった。

   学校行事
 学校行事に関してはあまりいい記憶はない。部活はアメリカンフットボール部に入部した。中学ではバレーボールが楽しかったが、高校ともなるとネットの高さがぐんとあがるし、百七十センチそこそこの僕では通用しないと考えた。そこで今までやったことのないスポーツをしてみたいと思い、ラグビーにするかアメフトにするか迷った。結局防具をつけて安全そうでかっこいいアメフト部に入部した。部では新入生歓迎ということで学校の近くのピザ屋さんで先輩たちにおごってもらった。大学ではこういったことは珍しくないが、当時の高校ではそれはすごく画期的なことで、ピザもおごってもらったし、という理由で入部したような感じだった。
 防具はすべてそろえて十万円ほどした。当然親に出してもらった。後々僕が部活をやめることになったときに、ただで他の人に譲ったことがあり、父に叱られた。ヘルメットは僕の頭の形がいびつなせいか、サイズを合わせてもきつくて仕方がなかった。練習はそうきついものではなかった。小学校の野球部で培った筋力が功を奏した。
 一年生でスタジアムジャンパーを作ろうという話が持ち上がった。確かに先輩たちが着ていて格好はよかったのだが、三万円もするという。親に反対された。
 アメフトは体力も必要だったが、知力も必要だった。ルールも全くわからずに入部した僕にはフォーメーションなども全く理解できなかった。文化祭の表彰委員長を務めたおかげで練習も満足にできなかった。したいとも思わなかった。夏の合宿には参加した。僕はディフェンス側のセーフティーというポジションを与えられた。相手のパスプレーを阻止するのが役割だった。
 
 秋口になってろくに練習にも参加できないことからキャプテンに辞めさせてもらいたいと申し出た。キャプテンは残念そうだったが「そうか」としかいわなかった。
 部活の練習に参加できなかったのは一年生の時に文化祭の表彰委員長を務めたことが大きかった。委員長を決定する会議でだれも挙手する人がいなくていらついて僕が名乗り出た。それがいけなかった。一年生でなにもかもわからずに委員長を務めたものだから、三日連続で三時間睡眠という悲惨な状態だった。勉強する時間もなく、表彰委員長は僕の人生を狂わせた原因であるともいっていい。仕事の内容は文化祭で発表される出し物を公正な目で見て、グランプリを決定するというものだった。うかつに手を挙げなければよかったと今でも思っている。
 一方、クラスの方でも文化祭のテーマが僕の出した案が採択され、クラスメイトの前で何度も案の趣旨を述べなければならなかった。このころはストレスで胃酸過多になっていて学校のトイレで何回も吐いた。つらい時期だった。
 
 そんな中好きな人もできた。何人もの人にアタックするがすべて却下だった。恵美というあまり美形ではない女の子を好きになって電話アタックをするが、なかなか首を縦に振ってくれない。それでも一緒に映画を見に行くことができた。別れ際に告白したがあっさりと断られた。勉強のできる子でお茶の水女子大に現役合格している。三年間で五人くらいの女の子にアタックしたがすべて断られた。中には相手が僕を知らない人もいて、わざわざ僕のクラスに「さるくんってどんな人?」と聞きに来る人もいた。
 とにかく高校時代は忙しく、辛く、大変な時期だった。


エッセイ24「すべてが虚しい 」


やるべき事、やりたいことが何も無い。今まだ午後五時。今から家に帰っても夕飯には早いし、最近野球中継もちっとも面白くない。しかも月曜日は野球はやってない。月曜七時のおすすめは一二chの「薬になるテレビ」ですね。でも今はテレビもつまらないし、ゲームをしてもつまらない。読書も眠りに就くまでの間つなぎでしかないし。楽しいと思えるときはほんとに楽しいんだけどなあ。人と会いたいなんてまったく思わない。
僕は極力ストレスを避け、快楽主義者になる選択をした。そうしないと人生やってられなかったから。しかし、谷が無かったらやっぱり山は存在しない。それこそ「♪ジェットコースターにならない♪」(笑)。「労働」という形で自分に負荷をかけない、かけられないというのは良かったと思っている。ただ何かしら自分で負荷をかけないと喜びのある人生にはならないんでしょうね。
スティングの曲だったかな、♪all thing is dust in the wind~♪っていう有名な曲がありましたよね。♪す~べてがむ~な~しい~♪みたいなね。あと、確かショウペンハウエルが「人生という航海には「諦め」を充分に用意する必要がある」っていう名句を残していますよね。はじめから期待していなければたまにはいいこともあるさと。また自助グループに積極的に参加してみるかなあ。それでこの前みたいにボコボコにへこんでくると。もう二度と行くかと思うと。それでまたひきこもって♪す~べてがむ~な~しい~♪と思ってまた自助グループに行ってみるかと思うと。学習できない生き物のことを世間では確か「バカ」と呼ぶんでしたよね。

エッセイ23「代替可能な生き物たち 」


最近しんどいっす。入院もちょっと考えたり。ガレージの天井にひもをくくりつけてビンビールのケースに乗って、ひもを首に結んでかぽっとビールケースをけっ飛ばして、苦しみながらだんだん意識が遠のいていく・・・。そんな自殺シーンを延々と頭に思い浮かべています。
自殺は理屈抜きでいけないとか、周りが悲しむとか、それってほんとかな。明らかに嘘なのは「人の命は地球より重い」ってヤツね。大体浮いてんだから○gだろうが。誰かが死んだらそりゃ一時はみんな悲しんでくれるさ。しかし時が経ち、感情は風化していく。記憶は失われていく。その人がいなくても家庭は機能するし、交遊関係も穴がふさがってゆく。やはり代替不可能な人間なんてこの世には一人もいない。なぜそのことをみなわかっているのに平気で毎日を生きていられるのだろう。普通の人の考えていることは理解できないや。

エッセイ22「種を残せない個体の逝く末 」

種を残せない個体の逝く末
最近「死にたい病」が治まってきた気がします。炭酸リチウムというクスリが効いているのではないかと思います。たまには楽な思いをさせてください。どうせ長くは続きませんから。
本当に毎日毎日寝てばかり・・・。すごく人生を無為に過ごしているなあと思います。じゃあどんな人生が有意なのかっていうヴィジョンが全く思いつきません。病気がなければ普通に仕事をして、結婚して、子供を育てていく、というのが幸せなのでしょうが、働けない、結婚できない人間は何を目標にして生きていけばいいのでしょうか? 中高生だったら偏差値を上げるとか、大学生だったら単位を取るとか、単純明快な目標が欲しいです。やっぱりとりあえず放送大学に入っておくべきだったかなあ。後期の締め切りがすぎちゃいました。
つうかそもそも子孫を残せない個体は生存する意義がないんじゃないのかな。ここら辺のことについて自分を説得させられる答えを見つけられないかと今哲学の本を読んだり、優生学の本を読んだりしているわけです。実際、世の中には子供を作らずにいきることを選択した人、余儀なくされた人って結構いるし。歳を重ねれば、無為に感じられる人生を有意に感じられたり、無為であることを受け入れつつ生きていけるようになるのかしら。

今日の日記「漢検vs歴検」

こんばんみ!
あなたのハートにねこパンチ! はい、今日も頭イカレちゃっていますよお。

今日のニュース。
田臥、紅白戦で合格点
 【フラッグスタッフ(米アリゾナ州)9日(日本時間10日)=三尾圭通信員】サンズの田臥勇太(24)が最初の実戦テストで合格点をもらった。一般公開された紅白戦で、控えスタートながら13分の出場で速攻を決めるなど持ち味を発揮した。13日のクリッパーズ戦から始まるプレシーズンマッチでも実力を示し、日本人初のNBAデビューへ前進する。(日刊スポーツ)

田臥くん、ご存じですか? もともとは青森出身の冴えないバスケ少年だったんです。身長176cmだったかな、体格的には恵まれていません。でも日本のバスケ界では傑出していて、とうとうNBAにいっちゃいました。

日本人初のNBAプレーヤーですよ! これはすごい。今では身なりもあか抜けてかっこよくなりました。役割的にはポイントゲッターではないので生き残れるかどうか気になるところです。

今日の自分。
最近睡眠リズムがよろしくありません。精神状態はいいのですけど。だいたいいつも夕飯後、日記やブログを書いてから勉強に入ります。しばらくやっているとふとんが恋しくなって来ます(笑)。今使っている毛布がちょっとした高級品で、もう肌触りがいいんです。天国へいっちゃいます。

そんなわけで貴重な勉強時間を寝て過ごしてしまって深夜2時頃に目覚めます。いつもならそのまま徹夜、といきたいところですが、生活リズムを崩したくないので眠剤を飲んでまた寝ます。すると5時くらいに目覚めます。

それからは勉強です。しかし勉強はいつも睡魔との隣り合わせでついついふとんにダイヴしたくなります。今日もいっぱい寝てしまいました。勉強は過去問を半分くらい終えました。終えたといっても問題と解答を照らし合わせて読んだだけです。これでは記憶が定着しません。かといって全部カード化するとなるととても時間と労力がかかります。

たぶん世の中の人はカード化なんてしていないと思います。だってそれをできる情報量ではないでしょう。テキストを読みまわしているのだと思います。僕は過去問読みを4回繰り返すことにしました。なぜ4回かというと、マーキングする図形としてちょうどいいということだけです。

それが終わったらもう一冊の問題集に独力で取り組みます。間違えたところは繰り返して穴をなくします。そこまでやったらこの2冊はお役御免でしょう。あとは時間の許す限り小学生用の書き込みノートを潰していきます。

12月12日までにここまでできるかどうか。漢検もあと2週間なのでのんびりしていられませんね。今は漢検優先にすべきかなあ。漢検2級の合格ラインは80%。一方歴検4級は60%。全受験者の合格率が80%ですって。勉強しなくても受かるかも。あと2週間だ。漢検優先で行こう。

そんなこんなで右京散歩。やはり散歩はいいですね。自分のための散歩ならもっといいかもしれませんが、右京散歩に強制的に歩かされても効果はあります。今の状態を客観的にとらえられて、これからどう行動すべきか結論がでます。

夕飯はサイゼリヤ。このところいつもリブステーキとシナモンフォッカチオでしたが、体に悪いことこの上ないのでやめました。普通のフォッカチオとミートスパゲティにしました。
家に帰ってきて今に至りあん。

今後の予定は漢検やります。あー、でも微妙だな。2級はほぼ無理。だから今から勉強しても無駄な努力。それに1月にも試験があるし。ところが歴検は今回を逃すと7月までありません。その辺を考えると歴検は今回で決めたい。半分ずつ勉強しますか。
明日の予定も同じです。ただ今日みたいに寝てしまわないようにしたいです。

そんなところでしょうか。
それでは、火曜日、うんざりですね。元気出していきましょう。

今日のお言葉
2週間前だ!
(まったり)

賢の半生記④/8

賢の半生記④


   中学校時代

                
   勉強
 僕は新宿区立Y中学校に進学した。一学年百人ほどの小さめな公立校中学校だった。だいたいY第一小学校と第七小学校の児童がそのまま進学する中学校だった。Y七小学校でも中学受験をする児童が何人かいて、僕も中学受験をしたい、と一度親にいったことがあったが却下され、僕もどうでもよくなってしまった。筑波大付属駒場中学校に受かったやつもいた。

 中学校に上がると勉強がとても難しくなると聞いていた。だから兄も通っていた生井塾という小さな塾に通いたいと親に申し出た。古びたアパートの一室でまずアルファベットを書くようにといわれた。今まで英語とローマ字の区別さえつかなかった僕は半分程度しか書くことができなかった。解答を見せられて全部覚えて、といわれた。この時点では僕の英語力が後にどれほどすごいものになるかなど全く想像がつかなかった。
 生井塾では英語と数学を学んだ。英語は生井先生が大量のプリントを使って指導し、数学は安原先生という、早稲田大学教育学部数学科前期博士課程の先生がアルバイトで指導をした。
 はじめは英語がよくわからなかった。授業中に先生に指されてよくわからない受け答えをして他の生徒に笑われたこともあった。しかし中学一年生の途中から堰を切ったようにわからないところが解決して、英語が得意科目になった。
 学校の英語の時間に将来何になりたいかとクラス全員がこたえて、僕は英語の先生になりたいとこたえた。塾の一番レベルの高いクラスに入って模擬試験でも一番に定着した。数学もトップクラスに在籍して好成績を修めた。
 塾は楽しかったという印象が強い。友人の功がいたし、僕ら生井塾の生徒が好成績を修めていることをうらやましがって中学の四分の一くらいの生徒が生井塾に入った。
 
 一年生の終わり頃に学校で実力テストがあった。僕は自分の実力を全く知らず、何も考えずに試験を受けた。試験結果が返ってきたが僕には最初は理解不能だった。一とか二とか三しかなかった。疑問に思って同じ生井塾で「天才くん」というあだ名のついている信吾のところへ結果を見に行った。すると僕のよりも大きな数字がならんでいた。そこで僕はやっと理解した。三科目男女別で一位、三科目総合で二位、五科目総合で三位だったのである。そこで初めて自分の能力の高さに気がついた。何よりも嬉しかったのは東大受験を口外している浩士くんを押さえて三科目トップになったことだった。
 
 二年生の終わり頃に進路指導の三者面談があった。僕は志望校記入欄の第一志望に筑波大付属駒場高校、第二志望に筑波大付属高校、第三志望に学芸大付属高校、第四志望に早稲田大学高等学院、第五志望に都立T高校、と書いた。僕は恐れを知らなかった。担任の鈴村先生に第一から第三はちょっと厳しいので、早稲田学院とTを受けなさいといわれた。それで悔しかったわけでもなく、まあそんなところかと納得した。
 生徒は何かの委員会に所属しなければならなかった。前期後期の三年分で計六期あった。そのうち僕は四期分を学級委員に選ばれた。さらに三年生の二期分は学級委員長を務めた。そのため先生からの評判がよく、内申点の三点アップを担任から示唆された。これでT高校の合格は確実になった。
 
 T高校を本命として、チャレンジ校に早稲田学院、滑り止めに専修大付属高校を受験することにした。
 早稲田学院は倍率が六倍で、一次試験の三科目筆記試験で三分の一に絞られ、二次試験の論文と面接でさらに二分の一に絞られた。過去問題集をやって七割弱解けたのでもしかしたら受かるかもしれないと思っていた。会場は早稲田大学だった。一緒に受験した朋寛くんは数学が得意でほとんどできたと休み時間にいっていた。僕は過去問通りくらいの出来だった。
 合格発表の日、家族で車で見に行こうとすると道の途中で朋寛くんが歩いているのを見つけた。これから見に行くというから一緒にいこうと誘って車に乗せた。あまり受かるとは思っていなかったが、掲示板を見てびっくり、自分の番号があるではないか! 家族でそれを喜んだが、一方の朋寛くんは落ちていた。帰りの車の中が何となく気まずかった。
 二次試験は早稲田学院のある上石神井で行われた。論文のテーマは「感動」だった。僕は陸上競技大会でいかに感動したかを書いた。しかしそれは作文であって論文ではないことを後になって気がついた。一次試験合格で家族中浮かれてしまって二次試験の対策は全くしていなかった。今思えば学校の国語の先生にアドバイスを受けるべきだった。二次試験は落ちてしまった。あそこで浮かれずに二次試験対策をしていれば、僕の人生は大きく変わっていたようなターニングポイントだった。
 
 専修大付属高校の受験の時は雅紀くんと一緒だった。試験はやさしかった。面接の時に髪を刈り上げることが校則で決まっているが大丈夫か、と聞かれた。変な校則だなと思った。結局この試験で僕は合格し、雅紀くんは不合格になった。T高校の試験の時は知野くんと大澤さんがいっしょだった。筑波大付属駒場高校を受ける浩士くんは、受かっていたらTの会場にはいないからよろしく、といっていた。試験会場には現れなかったので合格していたのである。都立高校の試験は英語や数学では満点を取れたが社会が苦手で七十点くらいしか取れなかった。それでも合格した。内申点が後押ししたのであろう。社会担当の藤井先生にそのことを話すと「そうかあ」と残念そうな表情をしていた。Tを受験した三人はみな合格したが、大澤さんは青山学院高等部に受かったため、そちらに進学した。結局僕は都立Tに進学する事になった。知野くんとは特に仲がいいわけではなかったので高校へ行っても会話することがほとんどなかった。
 
   スポーツ
 一年生の時は小学校の時と同様に野球とサッカーをやった。野球は学校のものではなく、地域のもので、毎週日曜日に練習か試合をやったが、月四回の活動で月謝を五千円も取られるので、ばからしくなって辞めた。技術的にもついていけないものがあった。サッカーは学校のクラブ活動で、何となく続けてみたのだが、あまりおもしろさを感じなくなってきていたし、バレーボール部の連中がとてもいきいきとしていてうらやましかったので二年生からバレー部に入った。
 多少素質があったのか、「こいつうまいぞ」と部員に評価され、すぐレギュラーになった。一年生の時からやっている補欠の人になんだか申し訳なかったが、キャプテンの渡辺くんに気に入れられていた。ケン坊と呼ばれていたキャプテンは身長が百八十四センチもあった。後の部員はみんな百七十センチ前後で、ケン坊のワンマンチームだった。三年生の部員がいなく、自分たちでのびのびと好きなようにやっていた。試合ではケン坊ひとりではやはり限界があり、新宿区で二位が最高順位だった。

 新宿区主催の陸上競技大会があった。Y中では陸上部というものがなかったので、誰でも参加したい人は出られることになった。僕は三千メートル走に出場することにした。大会前に参加者は新宿中央公園のまわりを走って付け焼き刃的な練習をした。
大会当日、僕の出番が回ってきた。スタートとともに先頭集団についていった。ペースが恐ろしく速く、ついていくのがやっとだった。千五百メートルあたりを過ぎたところで「このままでは脱落してしまう」と思った。目立たずに終わるのはスタンドから見ているクラスメイトにかっこ悪いと思い、トップに躍り出た。しかし終盤になって横っ腹が痛くなってきてペースダウンしてきてしまい、後続の三人に抜かれた。せめて三位入賞したいと思い、最後の最後の力を振り絞って三位の選手に襲いかかったが、相手のラストスパートもすさまじく、結局四位でゴールし、そのままグランドに倒れ込んだ。クラスメイトたちに抱えられてベンチに横たわった。

 翌日の朝礼で全校生徒の前で校長が僕を誉めちぎった。入賞こそしなかったものの最後の直線で顔を真っ赤にして全力疾走しているところを校長先生は見ていたのだった。Y中には陸上部がなかったのにも関わらず、それだけの結果を残したことも誉められた。話を聞いている間、恥ずかしくて顔を赤くしながらうつむいた。朝礼が終わって体育館を出るときにみんなが僕を見ているのを感じた。
 運動会でも僕は目立った。一年生の時は障害物競走に出場した。ちょっとやそっとじゃ飛べなそうな高さの跳び箱があった。スタート前に先生に「あの跳び箱、土足で乗っちゃっていいんですか?」と聞くと、いいよというのでやってみることにした。網くぐりなどの障害をクリアして、スピードをつけ、思いっきり左足で踏み切った。右足が跳び箱の上に到達した。「うおー」という歓声が父母たちから聞こえたので、びっくりしてそちらを向いた。余裕で一着でゴールした。
 三年生の時はC組の応援団長を務めた。応援合戦ではA組、B組に負けてしまった。個人では千五百メートル走に出場した。Mくんに先頭を走らせ、最後の直線で猛烈なラストスパートをかけて、一着でゴールした。
 とにかく中学校時代は僕の人生の全盛期だった。

エッセイ21「精神障害者」

精神障害者
最近五時ごろ勝手に目がさめます。昨日も朝っぱらからいきなりフロービーで髪を切りました。日中はお昼寝をしました。夕方母に起こされました。社会保険事務所から重要な書類がきたのです。「あなたを精神障害者二級に認定してあげましょう」という書類です。これは四月に申請したものがとおったものであって、「最近あたし神経がどうかしてるわ」とか思っていても勝手に障害者にされちゃうわけではないので、普通の方はご安心を。
 まあめでたくというか、お気の毒にというか、とにかく僕は精神障害者ということになりました。会う人会う人に「僕は障害者でーす」といい触れ回らなければ見た目は(たぶん)普通の人ですし、僕自身が障害者ということで引け目を感じることは今のところないです。これからも多分ないと思うなあ。
 障害者に認定されると「障害者年金」というものが支給されます。人はこれでいきていけるのかっていう金額ですけど。まあこれで何とか働かずに細々と食っていけることになりました。お金のかかる趣味がなくってよかった。使うお金といったら本代とゲームソフト代くらいですもん。
 で、今日は朝から図書館に行って僕に適用された国民年金法の条文をコピーしてきました。まあ大したことは書かれていませんでしたけど。それから本屋に二件寄って今いるマンガ図書館に来るに至ると。
 こんなに朝から活動していることは珍しいです。結局ちょっと思いついたしたいことをその日暮らし的にしているだけで、どうでもいいことばかりです。せっかく時間がたくさんあるんだから一生できる趣味、ライフワークを見つけたいですね。今のところそれがほんのりと文学だったりそうじゃなかったり。小説の書き方本を読んでみたり、名作どころや今売れてる作家の本を集めてみたりしています。