遅咲き主婦的なゆるい記録

遅咲き主婦的なゆるい記録

在宅で韓日翻訳をしています。
44歳で韓日翻訳者デビューした遅咲きです。
高齢育児と仕事と、色々カオスですが記録します。

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高齢育児の真っ只中で「韓日翻訳を仕事にする」と意気込んだわけですが、そのために新たなことも始めました。

 

ベタかもですが、「運動」です。

 

そして睡眠・食事にも気を使うことです。

 

言うても運動は1日5分から長くても30分以内。

 

ある翻訳会社の社長さんが言ってました。

「翻訳だけしてたら病気になります。やりたいなら今からすぐ運動も始めてください。」(なんか経験したんでしょうね)

 

座りっぱだから体力いらんやろ?って思うかもしれませんが、長時間脳を酷使し、パソコンを打ち続ける作業というのはタフな心身が必要だと思います。ゲローゲローゲロー

 

体を整えないとダメだって痛感したエピソードですが…

 

デビューして数ヶ月後、ある新作依頼がありました。

馴染みのない世界観だったのでつい力が入ってしまい、夜中にもちょっと作業したり、気になって眠れなかったりしたんです。

 

そんな時、耳の奥?喉の奥?の境目あたりに痛みを感じました。

風邪気味かな?と思って喉スプレーとかで応急処置。

でも痛みが消えない。

そのうち耳がたまにズキンッ!と響くように痛むようになってきて。

 

中耳炎かな?と思って耳鼻科に行ったら、

 

「帯状疱疹ですね。最近、眠れなかったりしました?」

 

えーーーー!!

 

耳にもできるんですね。

明らかにストレスや疲れが原因です。

 

それからは

 

・基本夜0時以降の作業はしない

・日々5分でもいい。スクワット5回でもいいから運動やストレッチをする

・平日はお酒を控える

・体に良さそうなものを選んで食べる

 

など掟を定めています。

ハードルを下げているので隙間運動は続いていて、めちゃくちゃ鍛えられなくても不調は防げている気がします。

頭の中もスッキリするような。

 

ほんとはもっとガッツリ運動して

いつか「腹筋割れた在宅翻訳者」を名乗ってみたいですニヒヒ

(どこ目指しとんねん)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シリーズ⑤。今回が最終回です。

 

過去回はこちら。

韓国と韓国語との出会い

韓国と韓国語との出会い②

韓国と韓国語との出会い③

韓国と韓国語との出会い④

 

韓国エンタメ企業の日本支社で働き、スキルはともかく韓日、日韓翻訳や音楽事業を担当してぶりぶり働き、夜遊びやあるタレントの追っかけなんかもして、めちゃくちゃやってました。

 

そんな時、仕事絡みで韓国人上司に紹介されたのが今の旦那。

血迷ってスピード婚を果たし、韓国移住しました。

 

会社は当然やめるしかなかったのですが、韓国で落ち着いたら仕事は探せるだろうと、甘い考えを持っていました。

 

ところが

結婚、移住してすぐ妊娠。

 

出産して子育てが始まると、仕事どころじゃなかったです。

 

仕事や遊びはぶりぶりやれたけど、家事育児はからきしダメ。

 

社会復帰したくても体はボロボロだし、求人を見ても年齢制限で引っかかる。

息子が保育園に通ってからもワンオペの我が家では、私が会社に通勤できるような状況じゃないと痛感しました。

 

そんな中、在宅でも何かできないかと、KONESTアルバモン(알바몬)クラウドワークスなどをチェックし始め、まずは日本語の電話授業から始めました。

 

とは言え、お茶代を稼ぐ程度でしたが…それでも久々に自分で稼いだお金が入るのは嬉しかったです。

 

その後、クラウドワークスでドラマのあらすじ翻訳や韓国語学習者用の単語翻訳など、ちょこちょこと見つけては受注していました。

 

ある翻訳会社に登録もして、動画のスクリプト翻訳や、ゲーム翻訳も少し経験しました。

 

こうして徐々に「在宅で韓日翻訳をやる」というイメージが、自分の中でできていきました。

 

…そこでぶっこまれたのが新型コロナウィルス。

 

息子の幼稚園は休園またはオンライン状態。

旦那の会社も在宅勤務命令。

 

来る日も来る日も、飯→洗い物→飯…の無限ループチーンチーンチーン

 

何も考えられなくなりましたが、夏に少しだけ息子も旦那も不在になった瞬間があり、その時に何かしたいと翻訳コンテストには挑戦しました。

 

そして恐れていた出来事。日本にいる母が急逝したとの連絡。

 

コロナのせいで一時帰国を控えていた最中でした。

 

その後、遺品整理や一人残された父の介護手続きなどをしながら、

 

「いつ死ぬかわからない」

「今後の人生どうする?」

 

みたいなことをものすごく考えてしまい、

 

「コロナが落ち着くの待ってたら、いつまでもできない。とりあえずやってみよう。」

 

と、翻訳の求人に応募したんです。

(エンタメニュースの翻訳とウェブトゥーンの翻訳)

 

ウェブトゥーンについてはマンガオタクでもないし、ウェブトゥーンを普段読んでいた訳ではないので、本当に挑戦でした。

 

幸いトライアルに受かり、最初のうちフィードバックでガンガン指導していただいたおかげでなんとか頑張れ、継続して依頼をいただけるようになりました。

 

そんな感じで、「韓日翻訳」で長く仕事をしていきたいと思うに至りました。

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

これからも「とりあえずやる」精神で頑張っていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シリーズ④です。

 

過去回はこちら。

韓国と韓国語との出会い

韓国と韓国語との出会い②

韓国と韓国語との出会い③

 

韓国春川の語学院で、給与未払い、

学院長逃亡というトラブルにあいましたが、

当時、親身になって助けてくれた韓国人も

たくさんいましたし、韓国自体を嫌いにはなりませんでした。

 

で、仁川で新しい語学院で働き、契約満了を迎えたところで帰国。東京で有期雇用で働いたあと(なぜか就職カウンセラーという職に)、韓国語をちゃんと勉強したいと韓国の延世大学語学堂に留学しました。

 

語学堂を卒業したあとは韓国語を活かして

韓国と日本をつなぐ仕事をしたいと思っていました。

(漠然としてますね)

 

日本語学校の学生課、韓国担当

音楽著作権の職場で韓国作品担当

韓国エンタメ企業の日本支社

音楽事業部門

 

とコマを進め、社内翻訳・通訳という形で

韓日翻訳に出会いました。

 

特に韓国エンタメ企業で働いていた時は、メインは著作権担当だったのですが、韓国語が必要なものには全て駆り出され、

 

社内資料翻訳

契約書翻訳

アーティスト関連の映像翻訳

歌詞対訳

会議の通訳

アーティスト来日時のアテンド(ていうかパシリ)

などなど

 

もう何でもかんでもでした。

あと音楽配信と音楽出版の仕事まで抱えていました。

 

ライブやイベント時に夜中まで走り回ることもあり

体力も必要でしたが、翻訳についてはいいトレーニングだったかなと思います。

 

ある日本公演で初公開される曲があったのですが、

歌う時バックスクリーンに日本語の対訳を映すことになり、

その翻訳をしました。

 

あとでファンの方が

「翻訳があったので、歌詞の意味が伝わってすごく良かった。」

というコメントをくださいました。

 

今思うと、翻訳というものにやりがいや喜びを感じた、初めての出来事だったかもしれません。

 

次回でシリーズ完結したいと思います。