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遅咲き主婦的なゆるい記録

在宅で韓日翻訳をしています。
44歳で韓日翻訳者デビューした遅咲きです。
高齢育児と仕事と、色々カオスですが記録します。

シリーズ③です。

 

過去回はこちら。

韓国と韓国語との出会い

韓国と韓国語との出会い②

 

日本語教師の研修でメジャーなソウルではなく、

いきなり地方の全州に住みました。

 

赴任する語学院の学院長さんは日本語ができるし、

授業も日本語のみで進めるやり方なので、韓国語ができなくても

助けを借りればなんとかなる感じでした。

 

まあ買い物とかバス乗るとか不便かな…と思って

独学でハングルを読むぐらいは準備していきました。

なので、今でも発音は怪しいと思いますチーン

 

この研修で初めて韓国の方とまともに接したわけですが、

思った以上にストレートな方が多く、授業がおもしろくなければ、はっきりそう言われました。

 

早朝からの授業、授業準備、もう満身創痍でしたが、

徐々に韓国っておもしろいなと思い始めました。

人に気を使って何も言えない自分と違う、韓国の方の正直さも

魅力に感じられました。

 

研修期間が終わって日本に帰国。

再び韓国で日本語教師をやろうと求人に応募。

ちょうど「冬のソナタ」が日本で放送される直前ぐらいに

ドラマのロケ地となっていた春川(チュンチョン)に赴任しました。

 

行ってみると…

学院長もスタッフも日本語はできない。

初級日本語を教えている韓国人の先生も授業時間以外には子育てで不在。

あとは英語ネイティブの先生のみ。

 

誰とも日本語で話せない環境でした。

 

そして赴任して2ヶ月。

事件が起きました。

 

給料日に渡された封筒に学院長からの手紙が。

 

「金を工面してきます。申し訳ありません。」的な内容。

(韓国語がまだそれほどできなかったけど、それぐらいは伝わった)

 

ゲローゲローゲローゲロー

 

もともと経営不振だったらしいその語学院。

給料未払いで学院長がトンズラしてしまったんです。

 

とりあえずやれるだけやって、ダメだったら日本に帰ろうと思い、

労働部に訴えたり、ソウルやソウル近郊の語学院に

「日本語教師要りませんか?」と初級の韓国語で無理やり電話を

かけまくったり、ソウルに行って、履歴書を語学院にばら撒いたりしました。

 

幸い仁川(インチョン)というところの語学院に拾っていただき、

命拾いしたって感じでした。

 

このサバイバル経験で、韓国語の会話自体はものすごく伸びたと思います。

 

誰にも求められてないけど、また続きは書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シリーズ②です。

初回はこちら


クセの強い兄と、母、私で韓国の釜山旅行まで行ったわけですが、当時の私は韓半島の南北について考えておらず。

韓国現地のガイドさんに、「うちの地元にも韓国の学校あって、みなさんチマチョゴリ着てますよ。」と堂々と、朝鮮高校の話をしていました。

(ほんまにごめんなさい)


今となってはアホすぎて恥ずかしいです滝汗


....とは言え海外や語学に興味はあるので、楽しい旅でした。


大学でも英語専攻で(もはや自分の歴史から抹消してますが)、海外に出てみたい気持ちはありました。


ですが大学卒業後、「何がしたいんだろう?」とモラトリアムに陥ったあげく就職浪人としてさまよい、地元の車屋で事務職をすることに。


結局1年ちょいで、自分探し病を発症しました。海外に出たい気持ちが捨てきれず、大学時代に密かに興味を持った日本語教師になろうと、会社を辞めました。


そして日本語教師養成講座を修了し、海外の研修制度に参加。


行き先は韓国、イギリス、オーストラリア、といくつかありましたが、韓国が一番安いし、近いし、食事も合いそうだと、選択しました。

兄の影響でもう韓国🇰🇷が一番身近にになっていたんだろうなと思います。


そして、初めて住む韓国。

場所は地方。

全羅北道の全州でした。


ここから色々ありました。

続きはまた。




私が韓国語に出会ったのは兄がキッカケでした。

 

「冬のソナタ」日本放送よりずっと前から韓国、韓国と言っていた兄。

FM COCOLOだったか、韓国がらみのラジオ番組で興味を持ったとか

言ってた気がします。

 

ハングルも独学で少し読めていたようです。

ドラマや音楽、バラエティーと色々チェックしていました。

ちょっと変わった人で、韓国芸能人の画像を勝手にいじって

オモローにするということもよくしていました。

(エロ画像ではないですが、公開はできません笑)

クセの強いブログもありましたが、今は消えています。

 

兄の部屋から聞こえる韓国語、私の耳にはすべて

「パンニハムハサムニダ」でした。

 

不思議に思いながらも、自然と韓国というものが

刷り込まれていきました。

 

そして初めて韓国旅行(釜山)に行くという兄に

母と大学生の私もついて行くことになりました。

 

これが私にとって初めての韓国上陸。

 

一番印象に残ってるのは、泊まっているホテルで

カン・サネさんというアーティストが

たまたまディナーショーをやっていたことです。

 

母はもちろん、私も当時は誰だかまったくわからず

兄だけが興奮。

 

声も音楽もスモーキーで、ロックな感じがカッコよく、

盛り上がったのを覚えています。

今思うと、めちゃくちゃラッキーでしたね。

 

という訳で、これが私の最初の韓国スイッチかなと

思い出しています。