シリーズ④です。
過去回はこちら。
韓国春川の語学院で、給与未払い、
学院長逃亡というトラブルにあいましたが、
当時、親身になって助けてくれた韓国人も
たくさんいましたし、韓国自体を嫌いにはなりませんでした。
で、仁川で新しい語学院で働き、契約満了を迎えたところで帰国。東京で有期雇用で働いたあと(なぜか就職カウンセラーという職に)、韓国語をちゃんと勉強したいと韓国の延世大学語学堂に留学しました。
語学堂を卒業したあとは韓国語を活かして
韓国と日本をつなぐ仕事をしたいと思っていました。
(漠然としてますね)
日本語学校の学生課、韓国担当
↓
音楽著作権の職場で韓国作品担当
↓
韓国エンタメ企業の日本支社
音楽事業部門
とコマを進め、社内翻訳・通訳という形で
韓日翻訳に出会いました。
特に韓国エンタメ企業で働いていた時は、メインは著作権担当だったのですが、韓国語が必要なものには全て駆り出され、
社内資料翻訳
契約書翻訳
アーティスト関連の映像翻訳
歌詞対訳
会議の通訳
アーティスト来日時のアテンド(ていうかパシリ)
などなど
もう何でもかんでもでした。
あと音楽配信と音楽出版の仕事まで抱えていました。
ライブやイベント時に夜中まで走り回ることもあり
体力も必要でしたが、翻訳についてはいいトレーニングだったかなと思います。
ある日本公演で初公開される曲があったのですが、
歌う時バックスクリーンに日本語の対訳を映すことになり、
その翻訳をしました。
あとでファンの方が
「翻訳があったので、歌詞の意味が伝わってすごく良かった。」
というコメントをくださいました。
今思うと、翻訳というものにやりがいや喜びを感じた、初めての出来事だったかもしれません。
次回でシリーズ完結したいと思います。
