ラグビー日本代表 李承信選手 104 (支えてくれた〝おばさん〟へ 感謝を伝える桜のジャージー) | かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

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ラグビー日本代表 李承信選手 90 (速報しました!結果は?本日先発!対トンガ戦) 

 

ラグビー日本代表 李承信選手 91 (コメントはこちらラグビーW杯代表30名に選出!) 

 

ラグビー日本代表 李承信選手 92 (初のW杯メンバー入り②「山中さんとナキ。2人の分まで」) 

 

ラグビー日本代表 李承信選手 93 (初のワールドカップに挑む若き3人の日本代表インタビュー) 

 

ラグビー日本代表 李承信選手 94 (平尾剛氏 W杯司令塔は「李承信でいくべき」)

 

ラグビー日本代表 李承信選手 95 (サモア戦メンバー入り・特集記事はこちら) 

 

ラグビー日本代表 李承信選手 96 (サモア戦メンバー入り②特集記事はこちら) 

 

ラグビー日本代表 李承信選手 97 (サモア戦メンバー入り③特集記事はこちら②) 

 

ラグビー日本代表 李承信選手 98 (結果は?ワールドカップ初出場!) 

 

ラグビー日本代表 李承信選手 99 (在日コリアンの誇りと桜を胸にラグビーW杯初出場した李選手) 

 

ラグビー日本代表 李承信選手 100 (「在日の子どもたちに輝ける場所があることを示して」) 

 

ラグビー日本代表 李承信選手 101 (「あいつ誰なんだ?」ラグビーの原点は“挫折”)

 

ラグビー日本代表 李承信選手 102 (「日本に帰化したり、通名にする選択肢もあったはず」) 

 

ラグビー日本代表 李承信選手 103 (「李承信はこの試練を必ず乗り越える」)

 

 

↑の続き

 

 

(引用元:Yahooニュースより)

 

 

【ラグビーコラム】支えてくれた〝おばさん〟へ 感謝を伝える桜のジャージー 日本代表SO李承信

 
 

 

【ノーサイドの精神】4強が出そろい、大詰めを迎えたラグビーW杯フランス大会。2大会連続のベスト8進出はならなかったが、日本代表の選手たちの全力の闘いを多くの人がそれぞれの思いで見つめたことだろう。 9月28日のサモア戦をテレビで観戦した朴正基さん(66)は終盤に途中出場し、W杯デビューを飾ったSO李承信(22、神戸)の姿に胸が熱くなった。 「うれしかった。立派になったな、と」 朴さんは李が小6のとき、母の金永福さんが亡くなった後、建設業を営みながら男手一つで3人の兄弟を育てる父の東慶さん(58)を手助けするため、家政婦として神戸市内の李家に通うようになった。 李の兄2人もラグビーをやっており、末っ子の李が大阪朝鮮高を経て帝京大に進学する(後に中退)までの7年間、午前4時半には李家に行き、早朝練習のため、朝早く自宅を出る兄弟の朝食や弁当を用意し、東慶さんが仕事を終えて帰宅する午後9時まで家事をこなしたという。 そんな朴さんのことを東慶さん、兄弟たちは今も韓国語で「親愛なるおばさん」の意味の『イモ』と呼ぶ。 東慶さんは「母親が亡くなった後、いきなり家に来たわけだから子供たちにも戸惑いがあって、すごく苦労したと思う。子供たちがちゃんと育ったのはイモのおかげ。自分ができない、足りないことをやってくれた」と話す。 朴さんが通い始めた当初の李は母がいなくなった家が嫌だったのか、学校から帰るとすぐにボールを持って外に出て夜遅くまで近くの公園などを駆け回っていたという。「かわいそうでした。でも、みんながあの子を支えようとしていた。だから、私はできるだけ普通に接しようとしていました」と朴さんは振り返る。 そんな細やかな心遣いは李にも伝わっていたのだろう。 朴さんが今年9月末まで神戸市中央区で経営していた韓国バル(料理店)の店内には日本代表のジャージーが飾られていた。 李が初めて日本代表に選ばれた昨年夏のことだった。 朴さんが李の母の命日の7月30日に合わせ、家族、親戚が集まっている李家に顔を出したところ、李がおずおずと近づいてきて、おもむろにジャージーを差し出してきた。 「これ、イモのだから」 直前のフランス戦に先発したときのジャージーだった。幼いころから憧れていた日本代表になったとき、感謝の思いを真っ先に伝えたい1人が朴さんだったのだろう。 「びっくりしました。いきなりでしたから。照れていたのか、顔を上げることもなく。うれしかったですよ」と朴さんは目を細める。その姿は「おとなしくて人見知りだった」(朴さん)という子供の頃の〝李少年〟の姿にも重なった。 李の初のW杯はサモア戦の後半36分からの出場のみに終わった。その悔しさを胸に刻み込み、誰よりも奮起を誓っているのが李本人だろう。 朴さんの店をたびたび訪れていた李が突然、こんなことを言ったことがあるという。 「イモ、長生きしてよ」 「もちろんです。あの子は4年後、絶対にやってくれるはずですから」 朴さんは背番号「10」を付けてW杯の舞台を駆け回る李の姿をしっかりまぶたに焼きつけるつもりだ。(月僧正弥)

 

 

■前回アップした分■

 

 

■プロフィール

李承信(り・すんしん)/2001年1月13日、神戸市生まれの21歳。176センチ・85キロ。在日コリアン3世で、幼稚園から朝鮮学校に通う。父親と2人の兄の影響で、4歳からラグビーを始める。小中はサッカー部に所属しながら、ラグビースクールに通う。神戸朝鮮初中級学校からラグビー強豪校の大阪朝鮮高級学校に進み、3年時には花園に出場。高校2年時から高校日本代表に選出。帝京大学に進学し、ジュニア・ジャパンの主将を務める。大学を辞めてニュージーランド留学を決意もコロナ禍で渡航できずにいたが、縁あって2020年にコベルコ神戸スティーラーズに入団。加入2年目のリーグワン元年にチームの副将として13試合に出場(11試合先発)。代表キャップ数は「3」。

 

 

(引用元:Yahooニュース ミョンウの記事より)※単独インタビューに応じてくれた李承信(写真提供・コベルコ神戸スティーラーズ)

 

ラグビー日本代表“新10番”の李承信 在日コリアンとして“ジャパン”でプレーする意味「W杯に出たい」

 

 

 

↑ミョンウの記事ご覧ください。

 

 

 

 

↑こちらもご覧ください。

 

 

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(引用元:ラグビーリパブリックより)