ラグビー日本代表 李承信選手 69 (花園と苦い負け 大阪朝鮮高の3年間) | かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

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ラグビー日本代表 李承信選手 60 (日本代表SOの李承信23年W杯代表メンバー入りへアピール) 

 

ラグビー日本代表 李承信選手 61 (講演会の様子 ―朝高から世界へ―) 

 

ラグビー日本代表 李承信選手 62 (〈新春インタビュー〉/同胞たちに更なる勇気と希望を) 

 

ラグビー日本代表 李承信選手 63 (試練の時を過ごすジャパンの「10番」候補) 

 

ラグビー日本代表 李承信選手 64 (自分を形作るルーツと母の死) 

 

ラグビー日本代表 李承信選手 65 (選んだ「ジャパン」への道を、信じ) 

 

ラグビー日本代表 李承信選手 66 (眼窩底骨折手術受けていた・約1カ月半ぶり復帰) 

 

ラグビー日本代表 李承信選手 67 (復帰戦の結果は?) 

 

ラグビー日本代表 李承信選手 68 (一問一答 日本代表SO李承信「道を開いていける」)

 

 

↑の続き

 

 

(引用元:毎日新聞より)

 

 

花園と苦い負け 大阪朝鮮高の3年間=ラグビー日本代表・李承信

 
 
毎日新聞 5/3
 
花園と苦い負け 大阪朝鮮高の3年間=ラグビー日本代表・李承信
 
 ラグビー日本代表の李承信(リ・スンシン)選手
(22)=コベルコ神戸スティーラーズ=の連載コラム
 
「自分は自分 ラグビー李承信、ジャパンの10番へ」。2回目は大阪朝鮮高時代を振り返ります。強豪校からの誘いを受けながら、悩み抜いて選んだ進路でした。ターニングポイントとなった敗戦、朝鮮学校の苦境、高校日本代表のキャプテン――と濃密な3年間を過ごしました。
 
自分が朝高を輝かせる
 
 朝高(大阪朝鮮高)は自分を一番成長させてくれた場所です。日本の学校にはない環境があります。少人数で、授業や部活動では朝鮮語を使います。強豪校のようにラグビーが上手な選手を集めることはできません。
 
 それでも実績があるラグビー部は学校でリスペクトされる存在で、全員がめちゃめちゃ応援してくれます。強豪ばかりの大阪で花園(全国高校大会)に出ることにすごい価値を感じました。「自分がもっともっと輝かせたい」と思って入学しました。
 
 中学時代は兵庫県の選抜チームの主将を務め、全国ジュニア大会で優勝を経験しました。多くの強豪高校から入学のスカウトを受けました。幼稚園から朝鮮学校に通っていたので、朝高への進学を第一に考えていましたが、…
 
 
 

 

■前回アップした分■

 

 

■プロフィール

李承信(り・すんしん)/2001年1月13日、神戸市生まれの21歳。176センチ・85キロ。在日コリアン3世で、幼稚園から朝鮮学校に通う。父親と2人の兄の影響で、4歳からラグビーを始める。小中はサッカー部に所属しながら、ラグビースクールに通う。神戸朝鮮初中級学校からラグビー強豪校の大阪朝鮮高級学校に進み、3年時には花園に出場。高校2年時から高校日本代表に選出。帝京大学に進学し、ジュニア・ジャパンの主将を務める。大学を辞めてニュージーランド留学を決意もコロナ禍で渡航できずにいたが、縁あって2020年にコベルコ神戸スティーラーズに入団。加入2年目のリーグワン元年にチームの副将として13試合に出場(11試合先発)。代表キャップ数は「3」。

 

 

(引用元:Yahooニュース ミョンウの記事より)※単独インタビューに応じてくれた李承信(写真提供・コベルコ神戸スティーラーズ)

 

ラグビー日本代表“新10番”の李承信 在日コリアンとして“ジャパン”でプレーする意味「W杯に出たい」

 

 

 

↑ミョンウの記事ご覧ください。

 

 

 

 

↑こちらもご覧ください。

 

 

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(引用元:ラグビーリパブリックより)