独り言 121 (【礼儀正しさの習慣を 身につけることができる六つの心得】 )
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(フェイスブックより)
日本の名経営者伝~シダックス・志太勤さん~
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【シダックスグループを築いた経営トップが語る
「いくつもの挫折を乗り越えた原動力」とは】
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レストランカラオケで有名なシダックスグループ――。
その前身となる給食会社を一代で日本一にし、現在の礎を築いたのが現最高顧問の志太勤さんです。
志太さんは野村克也さんがGM兼監督を務めたり、武田勝選手や森福允彦選手を輩出した野球部を創設するなど、無類の野球好きとしても知られますが、その裏側にはプロ野球選手を目指した志太さんの過去があるのをご存じでしょうか。
実業家人生の原点となった実話を本日はご紹介します。
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プロ野球選手に憧れ、幼少期から野球漬けの日々を過ごした志太さん。
小学生になると2歳年上の子たちの野球チームで活躍し、高校は前年に甲子園を制した地元の強豪に入学します。
しかし順調に成長し、豪腕投手として注目を集めたのは高校2年生まで。
夏の合宿で、右腕を故障、医者から、
「もう一生ボールを握ることはできない」
と言い渡され、いちどは自殺まで考えたといいます。
そんな志太さんの運命を変えたのは、自殺の名所でしられる海岸を歩いていた時のこと。
管理人らしき男性が何気なく掛けてくれた、
「野球だけが人生ではないよ。
その情熱を他の分野に向ければきっと成功するとも。
実業家になって日本一の金持ちになったらどうだ」
という一言で目が覚めると、18歳で食堂を地元静岡に開業、実業家への一歩を踏み出したのでした。
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その後も時代の流れや大手参入で事業撤退を余儀なくされたり、工場と自宅が火事で全焼したりするなど、想像を絶する苦難の道を歩んできた志太さん。
しかし、その苦難を乗り越え、シダックスグループを築きあげたのは、
「俺はこの仕事で日本一になるんだ」
というあの日に公園の管理人からもらった一言だったのです。
※最近 真剣に打ち込んでいるといろんなものが見えてきたような
感じがします。まだまだですが1日1日ベストを尽くして
やっていこう