もうだいぶ前のことですが、三重県尾鷲市の飛鳥神社を訪れました。

 

神社の縁起には、このように書かれています。

「当神社は新宮の阿須賀神社の末社として東の瀬崎の地に創建された。明治四年までは阿須賀大明神と呼ばれ・・・」

 

明治以降、「阿須賀」から「飛鳥」へと名が変えられたということです。

 

 

4年ほど前に熊野を訪れた際、新宮の阿須賀神社も参拝しました。

この時には、熊野という場所がどのような場所なのかわかりませんでした。

しかし、目覚めが進んでいくと、熊野は出雲族と縁の深い土地であったということに気づきました。

 

熊野三山には「369 みろく」という特殊な統合状態を作り出すことの出来る、光側の代表者である三者が祀られています。

その三者は下記の通りです。

 

速玉之男神=スサノオ=サナト・クマラ

 

熊野夫須美大神=大国主(ニギハヤヒ)=サナンダ・クマラ

 

家都美御子神(狐)=スサノオの妻(大国主の母)=レディ・ヴィーナス・クマラ

 

 

 

 

熊野は光側(出雲族)と縁の深い場所であり、アセンション(弥勒世)へと誘う存在である「369 みろく」を構成する三者が祀られている・・・ということになります。

 

 

そして、熊野近くの新宮にある阿須賀神社は、この三者がはじめに降り立った場所と言われています。

 

 

阿須賀は「阿」と「須賀」にわけることが出来ます。

 

「須賀」は、もちろん蘇我氏を表します。

 

「阿」は「聖なる」という意味があると以前知り、私の中ではそのように捉えていたのですが、他の意味もあるようです。

 

しばらく前にこちらの動画を見ました。

 

 

 

動画の中で「阿という字は、大日如来を表す」との説明がありました。

 

空海が日本に伝えた「阿字観瞑想」という瞑想法があります。

宇宙と自分は一体であるということを実感することを目的とした瞑想法だそうです。

 

大日如来を表す梵字の「ア」を見ているだけでも、何か強いエネルギーを受け取れるように感じます。

 

 

 

「阿」は、大日如来。

「須賀」は、蘇我氏。

 

ですから、阿須賀は「大日如来を重んじる蘇我氏」と解釈して良いと思います。

 

 

大日如来は、言い換えると「369 みろく」です。

 

 

 

「369 みろく」は新しい地球(アセンション)へと誘う存在。

 

これまでにも書いてきた通り、蘇我氏(出雲族)は、地球と人類のアセンションを成就させることを目的とした国造りを日本の地で進めようとしました。

 

しかし、「自分たちさえ良ければそれで良い」「我よし」の精神を持つ人々が巻き起こした対立によって、その計画は頓挫してしまったのだと思います。

 

この計画を阻止した人々は、アセンションにおいて重要なエネルギースポットを封印していった「藤原氏(物部氏)」と、藤原氏に共謀したであろう「秦氏(日向族の流れを汲む人々)」の名が挙げられそうです。

 

 

「物部氏(後に藤原氏になった思われる)」と蘇我氏の対立は、「崇仏排仏」ではなく「誰を祀るか」ということにあったのだと感じます。

 

蘇我氏はアセンションの成就を目標として「大日如来を祀る」ことを進めようとした・・・

そして、物部氏(後の藤原氏)は「釈迦を祀る」ことに固執したのではないかと思われます。

 

藤原氏の氏寺である興福寺では釈迦を本尊としています。

 

 

 

正史においては、「蘇我氏が崇仏」「物部氏が排仏」とされていますが、これも真実を隠すための嘘と思われます。

 

 

 

物部氏(藤原氏)が釈迦を祀ることに固執した理由は、こんなことが考えられます。

 

物部氏には、オリオン人が多く転生していたと言われています。

物部氏はアトランティス時代、トート・ヘルメスによって取り立てられた、特権階級にあった神官たちがルーツなのではないかと思います。

 

 

トートも釈迦も、シリウスのニニギが転生した人物です。

 

アトランティスから続く熱心な「トート信仰(=ニニギ信仰=歪んだ釈迦信仰)」を持つと思われる藤原氏(物部氏)は

「釈迦=ニニギ」こそ優れた人物であり、神であり、奉じられるべき存在だという凝り固まった考えを柔軟に変えることが出来なたかったのでしょう。

 

自分たちが神と崇める存在を祀ることに固執した藤原氏(物部氏)。

 

地球と人類、そして宇宙の益のために、アセンションの成就を願って「大日如来=369 みろく」を祀ろうと考えた蘇我氏(出雲族)。

 

 

宇宙の益とならない不毛なこの対立は、もう少しで終わるはずです。