■2009年09月27日 ~丹生川上神社~天河弁財天~
9月21~22日は 奈良でさむはらリトリートをしました。
そのご報告で御座います。
先ずは日本最古の水の神様とされる丹生川上神社へ行きました
※奈良は自称?日本最古の神社が多いです・・・・
そちらで、神社の境内に入ると
巨大な飛行機雲が龍体の様にうねっていました・・・・
福地結路は『あ~龍神様が歓迎してくれている・・・』
と思いました。
そして拝殿に上がらせて頂いてご挨拶と奉納演奏です
奉納演奏の後に福地結路はご挨拶をし拍手を打つと・・・
龍神様の御神気と共に風がドバ~と吹いてきて
福地結路は思わず『あ わ わ わ わ~』
っと吃驚してしまいました。
そして天河弁財天へ
天河弁財天の鈴は素晴らしかったです。
社務所でレプリカの販売もしていますが・・・・
金箔の鈴は30万円・・・・・とても手が出ないので1500円の鈴を買いました
しかし・・・・
30万円の鈴も奈良開闢祭では二つもお持ちの方から触らせていただきました
そして場所を移して奉納演奏をしました
このファシリティーター&主催者以外の二人の奉納者は、
後々大変な事が起るのを知る由もありませんでした・・・
そして今晩の宿に移動する一行
途中車の中で、参加者二名の具合が悪くなる・・・
福地結路が八咫鳥に理由を聞くと・・・
『今回のツアーは奈良開闢に向けての祭り落とされた八百万の神々の御霊鎮め
ハレの前には穢れが噴出する、
その不満や怒りが二人の依り代に憑いている
その二人に憑いた精霊と神をさむはらGWで昇華し神々として復活させよ』
との御達しでありました。
二人に憑いた御神霊以外の便乗霊はそこで浄霊して宿に移動です
宿に着き(玄関から宿泊所の間にお墓があります。。。。。)
意外と豪華な夕食に舌づつみを打ち
いよいよグループワークの開始で御座います。
例によって例の如く
さむはらフィールドを三次元に降ろす
するとコロコロと中央に転がり出る例のお二人さん
どうしたいのか?聞くと
そのうちの一人が舞いたい
と言うのでお二人に舞ってもらいました・・・・
(その時の演奏がご近所中に聞こえ、ご近所を震え上がらせたのは知る由もありません)
どうやら参加者の一人に憑いていたのは、天河の龍神付きの巫女さんであったようです。
天河の龍神様は、周りの山々が削られ、
河はダムでせき止められ、
弁天ばかりに人々が祭るので
『私なんてもういらないのね。。。』
とお隠れになってしまったのを
巫女様は依り代と三次元の人間の力を借りて舞ったのでした。
すると天河の龍神様が憑かれたもう一人の参加者が口火きりをなされました。。。。
福地結路『貴方様は本来、日本屈指の龍神様で御座います。
貴方の肉体である山が削られ、
血である河はダムで塞き止められ
人々は貴方を忘れ弁天のみを祭っても
貴方様はこの土地を守る龍神様です。
どうぞ、お隠れにならずそのお役目を果たしてください。
三次元に力を注ぎすぎて思考が三次元化しているかも知れませんが
貴方本来の御霊は少しも傷つけられていません』
龍神『でも・・・・』
福地結路『丹生川上神社の龍神様は水が濁り始めていますがご健在でしたよ』
龍神『でも・・・』
すると他の人に弁天様が降りてきた龍神様を叱咤激励されました。。。
龍神『私の為に社を建ててくれたら、復活する・・・・』
福地結路はその時八咫鳥よりたのごころに作りなさいと言われたので
皆様のみぞおちの奥にお社を建てると
弁天様からの種のプレゼントがあったので
龍神の巫女さんが皆様に配っていました。
■ 奈良二日目の朝は公開神降ろしでスタートそして熊野本宮へ
2009年9月22日 奈良
今回は 《オケツノオオカミ》様がいらっしゃいました
私達が来ることを 『お ぅう ぇえ 』様 (八咫鳥)より聞いていたとの事です。
私達の魂の奥の奥になる魂の根源の大神様を活性化して頂きました。
普段はその後もいらっしゃってメッセージをくれるのですが、
今回は使用したエネルギー量が多かったので依り代の福地結路が限界領域に達し
直ぐに帰られました
また、
今回のツアーに参加した人々は一人の例外も無く
このツアーに来ることを根源の大神様が決めてらした
・・・熊野の大神様ゆかりの神様でした。
そして
私達の道中を見守るので、
それぞれが自分の路に対して自問する様にとの事でした。
公開神降ろしの後は、熊野本宮へ
熊野本宮のご主祭神は
家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、
別名:熊野坐大神(くまぬにますおおかみ)、
熊野加武呂乃命(くまぬかむろのみこと))
様でした。
伝説によると、熊野坐大神は唐の天台山から飛来したとされている。
熊野坐大神(家都美御子大神)は、須佐之男命とされるが、その素性は不明である。
太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、
中州に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがある。
どうやら
朝の公開神降ろしで来られた方は熊野の大神様であったようです
どうりで、今までとはエネルギーに規模が桁違いだったのですね。。。
福地結路は此処で
八咫鳥の扇子を自分用のお土産にGetしました
ここ数ヶ月私は八咫鳥に色々と先導して頂き
お役目をさせて頂いているので。。。。
奈良から帰った次の日に個人セッションした方は、
熊野本宮の宮司さんと真友だそうで、言ってくれればVIP待遇だったのに。。。
と言われました。
これも何かのご縁ですね
熊野古道で降りた後は
熊野本宮が本来あった場所に行きました。。。
現在の社地は山の上にあるが、
1889年(明治22年)の大洪水で流されるまで、社地は熊野川の中州にあった。
社地は創建以来その中州にあったと思われ、
明治の洪水が起こるまでは社殿が流されることはなかったが、
明治以後、山林の伐採が急激に行われたため、
山林の保水力が失われ、大規模な洪水を引き起こしたと考えられている。
現在、旧社地の中州は「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれ、大鳥居が建っている。
当日はスピリチュアルなイベントのお祭りがあって。。。。。
全然聖地ではありませんでした。。。。
祭る人がいなくなれば、祭り落とされますが。。。
富士山や九頭竜神社の様に、
神々の尊厳を無視する人々で賑わっても穢れますね。。。
難しいものです。。。
聖地が聖地である為には、
昔の様な生死をかけた命がけの熊野詣でが必要かもしれません。。。
本来「大斎原」にあった社殿が流されたのも然りです、
●熊野の語源●
熊野は「こもる」の意、木々が生い茂っている様。
熊の古語は「神」を意味し、神聖な土地を「くまくまし」と古代の人は呼んでいたという。
奥深く、神秘な処。神の里という意味になるのでしょうか。
その鎮守の森を伐採してしまっては、社殿が流されてもしょうがないですね。
福地結路は
再び人類が自然と野生動物を支配するのでなく
自然と野生動物と共存する
アミニズム文化の再来を
一日も早く実現される事を望みました。
この日本と言う国は本来縄文時代よりアミニズム文化でした。
それが、渡来の弥生人や戦後のGHQにより
アトランティス・イルミナリティ的な自然を支配する考えに変わりました。
しかし、その文明社会も臨界点に達しています
今、皆様が自然を振りかえらなけらば宇宙船地球号は再生不能になってしまいます
福地結路は
その為に神社を回り神々を復活していただき
、人々に訴えて生きたいと思いました。
■~玉置編~玉石神社~ 白山神社~
熊野を後にして向かった先は
熊野大社の奥宮とも言われている玉置神社です
玉置神社は、玉置山に鎮座し、第10代崇神天皇の御代に王城火防鎮護と悪魔退散のため、創建されたと伝えられています。
熊野なる
玉置の宮の弓神楽
弦音すれば悪魔退く
また、
国之常立神を祀っている数少ない神社の一つである。
国之常立神(くにのとこたちのかみ)は、
天地開闢の際に出現した神である。
古事記においては神世七代の一番目に現れた神で、別天津神の最後の天之常立神(あめのとこたちのかみ)と対を為している。
独神(性別のない神)であり、姿を現さなかったと記される。
始源神・根源神・元神として神道理論家の間で重視されてきた。
例えば大本教では、根本神である艮の金神は国之常立神と同一神であるとさる。
先ずは拝殿の下に
後白河法皇のお墓?の様な記念碑があったので
後白河法皇ゆかりの霊脈を持つ方とご挨拶と御霊鎮めをしました。
すると福地結路はなにやら炎みっつを大きな炎で括った炎を頂きました
私が頂くには、恐れ多いと思い、後白河ゆかりの方に差し上げました。。。
その方は欲しくないけどくれるなら頂くと言っていました。。。
この時は何気ない気持ちだったのですが。。。
後で調べるとこのシンボルは熊野牛王宝印(くまのごおうほういん)と言って
大変なものでした。。。。
神との契約 =ウケヒを意味します
牛玉宝印は、厄除けのお札としてだけでなく、裏面に誓約文を書いて誓約の相手に渡す誓紙としても使われてきました。
牛玉宝印によって誓約するということは、神にかけて誓うということであり、もしその誓いを破るようなことがあれば、たちまち神罰を被るとされていました。
熊野の神への誓約を破ると、熊野の神のお使いであるカラスが三羽亡くなり、誓約を破った本人は血を吐いて地獄に堕ちるとされていました。
う~ん。。。。
その方は何を契約してしまったのでしょうか。。。。。
熊野の大神はスサノオと同一神とされていますが。。。
牛王なら牛頭天皇=スサノオウ=熊野大神(ケツミコの大神)ですね。。。
牛頭天皇=鬼族の王様 ですよね。。。。
そして玉置神社の奥宮の玉石神社までハイキング
玉石神社に付き奉納演奏&舞いで御座います
福地結路はメッセージが降りてきてその詞を発表した後
八咫鳥の舞いを奉納しました
『天(あめ)のみかげ ひのみかげ 天地(あめつち)結ぶこの路は やまのミイズの 湧き出る泉なり
今日此処に まいられし者ども おのおのこのミイズを汲み取り やはりにとりさきて 下界に降り 人々にこのミイズをもたらせ』
そうして一行は一度玉置神社に戻り昼食後
白山神社の磐座へと行きました
こちらでは、二日目の朝に熊野の大神様に活性化して頂いた
魂の根源の大神と自らの魂との境界線を
ゲートを管理する菊理姫様に繋いで頂きました。
不思議なもので此方では菊理姫様ゆかりの者とそうでない者がいた様です。
ゆかりの者はここでも奉納演奏や舞いをしましたが、
そうでない者は雨も降ってきてとっとと車に帰ってしましました。。。
福地結路はと言うと
帰る者と残る者の板ばさみに合い、
ちょうど菊理姫様状態でした
※菊理姫様はイザナミとイザナギの夫婦喧嘩の仲裁約として有名ですね。。。
追伸
お役目について
福地結路は神様からの指令を受けてお役目をしていますが・・・
福地結路が特別な人間なのではありません。
使命と言うものは自らの意思で宇宙に宣言するものでございます。
福地結路の場合は
四年前に入院して死にそうになり
その後は先天の気が終わり神々による後天の気で生かされているようです。
しかしそれも、強制ではありません。。。
神々に言わせれば、『かわりはいくらでもいる』らしいです。
自らが宣言して神事をしたように、
自らが走りつかれたら辞めても変わりの人がするようです。
9月21~22日は 奈良でさむはらリトリートをしました。
そのご報告で御座います。
先ずは日本最古の水の神様とされる丹生川上神社へ行きました
※奈良は自称?日本最古の神社が多いです・・・・
そちらで、神社の境内に入ると
巨大な飛行機雲が龍体の様にうねっていました・・・・
福地結路は『あ~龍神様が歓迎してくれている・・・』
と思いました。
そして拝殿に上がらせて頂いてご挨拶と奉納演奏です
奉納演奏の後に福地結路はご挨拶をし拍手を打つと・・・
龍神様の御神気と共に風がドバ~と吹いてきて
福地結路は思わず『あ わ わ わ わ~』
っと吃驚してしまいました。
そして天河弁財天へ
天河弁財天の鈴は素晴らしかったです。
社務所でレプリカの販売もしていますが・・・・
金箔の鈴は30万円・・・・・とても手が出ないので1500円の鈴を買いました
しかし・・・・
30万円の鈴も奈良開闢祭では二つもお持ちの方から触らせていただきました
そして場所を移して奉納演奏をしました
このファシリティーター&主催者以外の二人の奉納者は、
後々大変な事が起るのを知る由もありませんでした・・・
そして今晩の宿に移動する一行
途中車の中で、参加者二名の具合が悪くなる・・・
福地結路が八咫鳥に理由を聞くと・・・
『今回のツアーは奈良開闢に向けての祭り落とされた八百万の神々の御霊鎮め
ハレの前には穢れが噴出する、
その不満や怒りが二人の依り代に憑いている
その二人に憑いた精霊と神をさむはらGWで昇華し神々として復活させよ』
との御達しでありました。
二人に憑いた御神霊以外の便乗霊はそこで浄霊して宿に移動です
宿に着き(玄関から宿泊所の間にお墓があります。。。。。)
意外と豪華な夕食に舌づつみを打ち
いよいよグループワークの開始で御座います。
例によって例の如く
さむはらフィールドを三次元に降ろす
するとコロコロと中央に転がり出る例のお二人さん
どうしたいのか?聞くと
そのうちの一人が舞いたい
と言うのでお二人に舞ってもらいました・・・・
(その時の演奏がご近所中に聞こえ、ご近所を震え上がらせたのは知る由もありません)
どうやら参加者の一人に憑いていたのは、天河の龍神付きの巫女さんであったようです。
天河の龍神様は、周りの山々が削られ、
河はダムでせき止められ、
弁天ばかりに人々が祭るので
『私なんてもういらないのね。。。』
とお隠れになってしまったのを
巫女様は依り代と三次元の人間の力を借りて舞ったのでした。
すると天河の龍神様が憑かれたもう一人の参加者が口火きりをなされました。。。。
福地結路『貴方様は本来、日本屈指の龍神様で御座います。
貴方の肉体である山が削られ、
血である河はダムで塞き止められ
人々は貴方を忘れ弁天のみを祭っても
貴方様はこの土地を守る龍神様です。
どうぞ、お隠れにならずそのお役目を果たしてください。
三次元に力を注ぎすぎて思考が三次元化しているかも知れませんが
貴方本来の御霊は少しも傷つけられていません』
龍神『でも・・・・』
福地結路『丹生川上神社の龍神様は水が濁り始めていますがご健在でしたよ』
龍神『でも・・・』
すると他の人に弁天様が降りてきた龍神様を叱咤激励されました。。。
龍神『私の為に社を建ててくれたら、復活する・・・・』
福地結路はその時八咫鳥よりたのごころに作りなさいと言われたので
皆様のみぞおちの奥にお社を建てると
弁天様からの種のプレゼントがあったので
龍神の巫女さんが皆様に配っていました。
■ 奈良二日目の朝は公開神降ろしでスタートそして熊野本宮へ
2009年9月22日 奈良
今回は 《オケツノオオカミ》様がいらっしゃいました
私達が来ることを 『お ぅう ぇえ 』様 (八咫鳥)より聞いていたとの事です。
私達の魂の奥の奥になる魂の根源の大神様を活性化して頂きました。
普段はその後もいらっしゃってメッセージをくれるのですが、
今回は使用したエネルギー量が多かったので依り代の福地結路が限界領域に達し
直ぐに帰られました
また、
今回のツアーに参加した人々は一人の例外も無く
このツアーに来ることを根源の大神様が決めてらした
・・・熊野の大神様ゆかりの神様でした。
そして
私達の道中を見守るので、
それぞれが自分の路に対して自問する様にとの事でした。
公開神降ろしの後は、熊野本宮へ
熊野本宮のご主祭神は
家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、
別名:熊野坐大神(くまぬにますおおかみ)、
熊野加武呂乃命(くまぬかむろのみこと))
様でした。
伝説によると、熊野坐大神は唐の天台山から飛来したとされている。
熊野坐大神(家都美御子大神)は、須佐之男命とされるが、その素性は不明である。
太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、
中州に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがある。
どうやら
朝の公開神降ろしで来られた方は熊野の大神様であったようです
どうりで、今までとはエネルギーに規模が桁違いだったのですね。。。
福地結路は此処で
八咫鳥の扇子を自分用のお土産にGetしました
ここ数ヶ月私は八咫鳥に色々と先導して頂き
お役目をさせて頂いているので。。。。
奈良から帰った次の日に個人セッションした方は、
熊野本宮の宮司さんと真友だそうで、言ってくれればVIP待遇だったのに。。。
と言われました。
これも何かのご縁ですね
熊野古道で降りた後は
熊野本宮が本来あった場所に行きました。。。
現在の社地は山の上にあるが、
1889年(明治22年)の大洪水で流されるまで、社地は熊野川の中州にあった。
社地は創建以来その中州にあったと思われ、
明治の洪水が起こるまでは社殿が流されることはなかったが、
明治以後、山林の伐採が急激に行われたため、
山林の保水力が失われ、大規模な洪水を引き起こしたと考えられている。
現在、旧社地の中州は「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれ、大鳥居が建っている。
当日はスピリチュアルなイベントのお祭りがあって。。。。。
全然聖地ではありませんでした。。。。
祭る人がいなくなれば、祭り落とされますが。。。
富士山や九頭竜神社の様に、
神々の尊厳を無視する人々で賑わっても穢れますね。。。
難しいものです。。。
聖地が聖地である為には、
昔の様な生死をかけた命がけの熊野詣でが必要かもしれません。。。
本来「大斎原」にあった社殿が流されたのも然りです、
●熊野の語源●
熊野は「こもる」の意、木々が生い茂っている様。
熊の古語は「神」を意味し、神聖な土地を「くまくまし」と古代の人は呼んでいたという。
奥深く、神秘な処。神の里という意味になるのでしょうか。
その鎮守の森を伐採してしまっては、社殿が流されてもしょうがないですね。
福地結路は
再び人類が自然と野生動物を支配するのでなく
自然と野生動物と共存する
アミニズム文化の再来を
一日も早く実現される事を望みました。
この日本と言う国は本来縄文時代よりアミニズム文化でした。
それが、渡来の弥生人や戦後のGHQにより
アトランティス・イルミナリティ的な自然を支配する考えに変わりました。
しかし、その文明社会も臨界点に達しています
今、皆様が自然を振りかえらなけらば宇宙船地球号は再生不能になってしまいます
福地結路は
その為に神社を回り神々を復活していただき
、人々に訴えて生きたいと思いました。
■~玉置編~玉石神社~ 白山神社~
熊野を後にして向かった先は
熊野大社の奥宮とも言われている玉置神社です
玉置神社は、玉置山に鎮座し、第10代崇神天皇の御代に王城火防鎮護と悪魔退散のため、創建されたと伝えられています。
熊野なる
玉置の宮の弓神楽
弦音すれば悪魔退く
また、
国之常立神を祀っている数少ない神社の一つである。
国之常立神(くにのとこたちのかみ)は、
天地開闢の際に出現した神である。
古事記においては神世七代の一番目に現れた神で、別天津神の最後の天之常立神(あめのとこたちのかみ)と対を為している。
独神(性別のない神)であり、姿を現さなかったと記される。
始源神・根源神・元神として神道理論家の間で重視されてきた。
例えば大本教では、根本神である艮の金神は国之常立神と同一神であるとさる。
先ずは拝殿の下に
後白河法皇のお墓?の様な記念碑があったので
後白河法皇ゆかりの霊脈を持つ方とご挨拶と御霊鎮めをしました。
すると福地結路はなにやら炎みっつを大きな炎で括った炎を頂きました
私が頂くには、恐れ多いと思い、後白河ゆかりの方に差し上げました。。。
その方は欲しくないけどくれるなら頂くと言っていました。。。
この時は何気ない気持ちだったのですが。。。
後で調べるとこのシンボルは熊野牛王宝印(くまのごおうほういん)と言って
大変なものでした。。。。
神との契約 =ウケヒを意味します
牛玉宝印は、厄除けのお札としてだけでなく、裏面に誓約文を書いて誓約の相手に渡す誓紙としても使われてきました。
牛玉宝印によって誓約するということは、神にかけて誓うということであり、もしその誓いを破るようなことがあれば、たちまち神罰を被るとされていました。
熊野の神への誓約を破ると、熊野の神のお使いであるカラスが三羽亡くなり、誓約を破った本人は血を吐いて地獄に堕ちるとされていました。
う~ん。。。。
その方は何を契約してしまったのでしょうか。。。。。
熊野の大神はスサノオと同一神とされていますが。。。
牛王なら牛頭天皇=スサノオウ=熊野大神(ケツミコの大神)ですね。。。
牛頭天皇=鬼族の王様 ですよね。。。。
そして玉置神社の奥宮の玉石神社までハイキング
玉石神社に付き奉納演奏&舞いで御座います
福地結路はメッセージが降りてきてその詞を発表した後
八咫鳥の舞いを奉納しました
『天(あめ)のみかげ ひのみかげ 天地(あめつち)結ぶこの路は やまのミイズの 湧き出る泉なり
今日此処に まいられし者ども おのおのこのミイズを汲み取り やはりにとりさきて 下界に降り 人々にこのミイズをもたらせ』
そうして一行は一度玉置神社に戻り昼食後
白山神社の磐座へと行きました
こちらでは、二日目の朝に熊野の大神様に活性化して頂いた
魂の根源の大神と自らの魂との境界線を
ゲートを管理する菊理姫様に繋いで頂きました。
不思議なもので此方では菊理姫様ゆかりの者とそうでない者がいた様です。
ゆかりの者はここでも奉納演奏や舞いをしましたが、
そうでない者は雨も降ってきてとっとと車に帰ってしましました。。。
福地結路はと言うと
帰る者と残る者の板ばさみに合い、
ちょうど菊理姫様状態でした
※菊理姫様はイザナミとイザナギの夫婦喧嘩の仲裁約として有名ですね。。。
追伸
お役目について
福地結路は神様からの指令を受けてお役目をしていますが・・・
福地結路が特別な人間なのではありません。
使命と言うものは自らの意思で宇宙に宣言するものでございます。
福地結路の場合は
四年前に入院して死にそうになり
その後は先天の気が終わり神々による後天の気で生かされているようです。
しかしそれも、強制ではありません。。。
神々に言わせれば、『かわりはいくらでもいる』らしいです。
自らが宣言して神事をしたように、
自らが走りつかれたら辞めても変わりの人がするようです。