親の老後を面倒みる。
ないとは思ってなかったけど
あるとも、思ってもなかったなぁ。
その時がきたら
その時に対処、対応するしかない。
そんなふうに考えてた
寝たきりになったり
ひどい痴呆になったり
24時間付きっきりで
お世話が必要になった時には
「面倒見きれないよ」と、父には
いままでも言ってあったし
いまでも言ってる
母は
子どもに面倒を見てもらおう。とは
全く考えてなくて
むしろ
面倒を見てもらいたくない。
子どもの世話になりたくない。
子どもに、迷惑をかけたくない。
そう思ってる人だった。
父も
それは、同じだった
父のことを
面倒を見てもらいたい人とは
思ってもなかったけど…
それ以前のことで
「父のことは捨ててもいい」と思えることで
いい距離感で
関わることが、できてた
いざとなってみれば、
できることは、しよう。
そんな自分がいた
>娘として、育ててもらった記憶が
>細胞にしみついてて
>意識してなくても
>サポートすることを
>すんなり受け入れるんだなぁ。
それもあるんだろうけど
父も、母も
自分の親の老後を
面倒を見て、お世話してた。
その姿を見てきた
両親の祖父母とは
もともと同居だったわけじゃなく
それでも、老後の世話をしてた。
親の介護を
特に、頑張っていたのは
母だった✨️
父方の祖母とは同居した時期が
4年くらいあって
その期間では
日常生活のお世話を
母が、全面的にサポートしてた。
嫁姑の関係で
いろいろ大変だったこと、
ちょこちょこ知ってるけど
きっと、子どもの私には
他にも知らないとこでの
大変さも、苦労もあったはず
母は、父の親だけじゃなく
自分の親の時も、面倒見てた。
祖母が痴呆になった時には
祖父は、一緒に暮らしていたい。と
施設に預けることは、嫌だ。と
その祖父の気持ちを尊重して
祖父母の家で生活して、週末に帰ってくる。
しばらくの間は
行き来してた時期もあった
父も、祖母と同居してた時には
サポートしてたし
亡くなる少し前の最期には
病院で付き添いのために
故郷の鹿児島へ、帰ったりしてた。
父も、母も
自分の親の面倒は
一生懸命に見てたのに
それを
自分が、親として
子どもにしてもらうことは
拒否したい人達だった
一生懸命に
親の世話をしてたからこそ
その大変さを、わかってるから
子どもには、させたくない。と
思ってたのかもしれないかなぁ
自分は、親の面倒を見たから。と
「親の面倒を見るのは、当たり前」と
子どもにも
そうしなさい。そうするべき。
そんなふうに
押し付けてこなかったこと、
むしろ、そうしなくていいと
そうしてほしくない。と思ってたこと
自分の親だけど
尊敬するとこだなぁ
サメくじら