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SAトレーナーの目のつけドコロ!

ソーシャル・アライアンス株式会社のユニークなトレーナー陣によるブログ。全国での出会いや気づき、感動の仕入れやコミュニケーションのヒントなど、アイディア満載!
SAの看板トレーナーである岡根、小野塚、西川、鈴木、橋本が日替わりでお届けします!

遠くロンドンでは、
暑い夏をさらに熱くするドラマが
今日も繰り広げられている。

オリンピックになるといつも思い出す苦い思い出がある。

私は昭和39年、東京オリンピックの年に生まれた。







だから初めて日本で行なわれた
オリンピックの年に生まれたことを祝福して
両親が私にもメダルをくれたのだ。




 

1000円のオリンピック記念硬貨だ。
しかし子どもの頃の私にとっては
立派な金メダルだった。

強く輝いていた。

16歳で家を出たとき
そのメダルも持って出た。

そして18歳で東京に出て劇団を立ち上げ
大きな借金を作り、どん底の生活になったとき
魔がさしてしまった。

当時その記念硬貨は1万円の価値まで上がっていた。

家賃も払えず電気もガスも止められ
どこにも借金もできず
パンすら買うお金がなくなったとき
とうとう金メダルを売ってしまったのだ。

キズが付いていた硬貨だったが
コイン屋は8000円で買い取ってくれた。

空腹に耐えきれずに手放したメダル。
失って初めて何かとんでもないことを
してしまったような気がした。

この世にはお金には変えられないものがある。
私の誕生を祝ってくれた両親の気持ちを考えると
自分の不甲斐なさに泣けてきた。

その夜に食べた牛丼は
しょっぱくて苦い味がした。

後悔だらけの人生だけど
だからこそ未来にしっかり生きて行こうと思えるのかもしれない。
毎日暑い日が続きますね。
これだけ暑い日が続くと、
蚊も避暑地へ避難しているのではないかと思うくらい
蚊がいないような気がするのは
私だけでしょうか?(笑)

蚊…と言えば、蚊取り線香。
蚊取り線香と言えば『蚊取り豚』。

ブタ

なんで『豚』の形なのか?
『蚊』と『豚』にどんな関係があるのか?

今回は以前から持っていた疑問に挑んで?みました!


どうやら、『蚊取り豚』の発祥説は2つあるようです。

① 昭和20年代以降の発祥説

愛知の常滑が発祥で、
養豚業者が豚に止まる蚊に困り、
最初は土管の中に蚊取り線香を入れて使っていた…というもの。


② 江戸時代末期の発祥説
東京新宿区内の武家屋敷跡から
江戸時代末期の『蚊取り豚』が出土。
ただ、蚊取り線香そのものの発明は
明治に入ってから(1886年)なので、
蚊取り線香を用いたわけではないけれど、
『蚊取り豚』に違いない…と言われているそう。


今は様々な蚊よけグッズが出ていて、
どれも皆、とても便利ですが
その香りに懐かしさが漂う
『蚊取り線香』の香りで
今年の夏は凌いでみようと思う今日この頃です。

私の誕生日でもある7月31日にいつも思い出すのが
「ベストキーパー賞」


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小学生の頃、サッカースクールに通っていました。
かなりゆるいところで、毎週違う学校の人達とサッカーで遊んでいた感じだったけど、
ユニフォームだけはホームとアウェイ用の二着あった。

そんなゆるいサッカースクールだったけど毎年夏休みの一週間の合宿も行ってた。

寝ている時、見回りに来たコーチが、子供達の顔に油性マジックで落書きするなど、
いくつかの恒例行事もありました。

そんな恒例行事(?)の一つに最終日に色々な表彰があります。
毎年夏合宿は必ず7月31日が最終日になるので
私にとっては最終日に表彰されるということは、誕生祝いにもなるのだ。


荷物がキレイだったで賞
おもしろかったで賞


というサッカーに関係ないものもあったけれど、やはり本命は、
ベストストライカー賞やベストリフティング賞などのサッカーでの表彰。

この表彰者の決め方はみんなの挙手によって決まるので、
多くの場合「仲がいいから」という理由で(多分)決まることも多く、

「え?この人が?」

ということも多々あった。

しかし、毎年、ベストキーパー賞だけは満場一致
生徒もコーチも全員が同じ子を選んだ。

さらには実は春合宿も夏合宿も同じ子が選ばれ続けた。
私が参加して何度目かの合宿からベストキーパー賞が制定され
チームを卒業するまで、毎回全コーチ、全生徒から選ばれ続けたのだ。

実はそれが私なのだ。

なぜ、私が毎回、全員一致でベストキーパー賞に選ばれ続けたのか

勘のいい人ならお分かりでしょう。

そう、キーパーをやりたがる子が他にいなかったため、
いつも表彰対象が私しかいなかったのだ。
おかげで、毎年ベストキーパー賞が私の誕生祝になった。

今考えると、対象者が一人しかいないのに、毎回賞を設けてくれたことに感謝です。

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百円札


100円札を知っているだろうか?板垣退助の長いヒゲが特徴的だ。

昭和39年生まれの私が子どものころ、昭和45年前後はまだかろうじて流通していたのだ。

ほとんど100円硬貨に変っていったのだが、たまに見ると「ほー!珍しい!」ってなカンジ。

イメージとしては、今でいう「2000円札」みたいなカンジだろうか。

インターネットの「ヤホー」で調べたところによると、昭和41年に百円紙幣の廃止が閣議決定され、

昭和47年に支払停止とあるので、わたしの記憶は正しいようだ。


さて、その当時、お正月の楽しみといえば、お年玉!

親や親戚だけではなく、近所の親しい人からももらうのは子供心に本当に嬉しかった。

お年玉袋をもらったら何をするか。


「振る」!!!



振ってみて、硬貨が動くようであれば百円~数百円。もし動かないようであれば、最低でも500円以上ということ。

当時は、岩倉具視の500円札があったからね。


さて、近所の一人暮らしのおばあちゃん。ある年、お年玉をいただいた。

「ありがとう!おばあちゃん」とお礼をいい、くるっと振り返り軽く振ってみる。硬貨が入っていないようだ。

ラッキー!ということは500円以上!!!予想外の大漁!!!喜び勇んで空けてみると……。


ナント!…「100円札!!!」 (>_<)

昭和40年代の懐かしい思い出だ。

言わずと知れたケンタッキーフライドチキンの創立者

カーネル・サンダースである。



いまや世界中誰でも知っている

サンタクロースの次ぎくらいに有名なおじさんだ。



五反田のソーシャル・アライアンス本社のすぐ隣にも

ケンタッキーはある。



しかしカーネルおじさんはいない。

おそらく五反田の歓楽街の誘惑に負けて

店の前でじっとしていられないのだろう。



さて、皆さんはこのカーネル・サンダース氏が

フランチャイズ1号店を出店させたのは何歳の時かご存じか?



なんと62歳なのだ!



経営をしていたガソリンスタンドが潰れた後

一念発起してフランチャイズという新しいビジネスモデルに挑戦し

初めての契約を結ぶためにワゴン車で走った距離は

40万キロ・・・地球10周分にも及ぶ!



断られた件数は1009件にものぼったそうだ。



還暦を過ぎてから始めたことが

今や世界中に広がったわけだ。



また、伊能忠敬が日本中を歩いて観測し

素晴らしい正確な地図を作ったのも

56歳からなのだ!



「もう年だから今さらがんばったって」

なんて言ってられない。



人生に「遅すぎる」という言葉はない!