●何かを信仰していなくてはいけないのだろうか
こんにちは
なおたまです。
前回
と言う記事を書いています。
読んできた自己啓発本は。。。
斎藤一人さん、小林正観さん、船井幸雄さん、松下幸之助さんなど、書き上げればとんでもないほどの数になる。
読んだ人はわかるだろうが、どこか宗教の教えに通じるような事も描かれている。
船井幸雄氏(船井総研)にしても、松下幸之助氏(Panasonic)にしても、誰もが知る企業を一代で作り上げた人達だ。
京セラの稲森和夫氏も、最近ではスピ系とも取れるような話も、公に語りだした。
そうした人達が、人としての在り方を語っているが、時として宗教的に捉えられる話も多くある。
彼らは、『真理』や『人としてのありかた』を語っているが、それは精神世界の話とも通じていることになるからだ。
瀬戸内寂聴氏は、波乱万丈の人生ののち仏門に入っているが、彼女が仏門に入っていなくても、描く小説やエッセイには、今と変わらない『真理』が描かれていたのではないだろうか。
私は現状を変えたくて、セミナーや教材の他にも、宗教と言われる分野でも学んだ。
仏教・キリスト教・新興宗教と言われるものまで、誘われるままに参加していた。
どこでも、崇拝する神様の偉業や門徒の成し遂げた奇跡など、ミラクルな話を聞き、『うちの宗派』『うちの神様』
のみが『あなたの助けになる』そう言われた。
なんとも、人救いであるはずの宗教が、他の宗教は、我が宗教より劣っていると言うとは、不信感が募ると言うものだ。
成功者や宗教家、色んな人の話を聞いてきたが、根底となるものは一つにたどり着いていた。
どの方向から道を開くか、人それぞれ違っている。
表現も方法も、その人が自分自身で選択しているからだ。
その人自身の根底に、宗教があったとしても、その人自身がたどり着く道は、本人にしかわからない。
『ありがとう』を唱えることを、斎藤一人さんの本で読み、実践していた時期があった。
『ありがとう』が口ぐせになり、何かを指摘された時にでも『ありがとう』と返していた。
指摘をして『ありがとうございます』と返された上司は、怪訝(けげん)な面持ちで私を観ていた。
その時には、『私の至らない点を指摘していただき、ありがとうございます。』と思えるほど、私の意識が変わっていた。
別に宗教的な学びをしていたのではなく、ただ『ありがとうございます。』を唱えているだけだった。
『ありがとう』を唱えていると、『ありがとう』と思えることが起こり始める。
斎藤一人さんはそう言っていたが、唱え続けるということを実践していると、実際『ありがとう』と思える事が起こりはじめた。
そう言えば、その上司が『何か宗教でもしてるの』と言っていたが、、、
ただ『ありがとうございます』と返しただけで、宗教をしていると思ったその上司は、その世界観で世界を観ているのだと思った。
彼女の中には、宗教でもしていないと、『指摘されて、ありがとうございます。』とは言わないという発想だったのだろう。
それが、良いとも悪いとも論ずる気はない。
自分の世界観が自分の世界を創るなら、自分の世界は自分で創っていると理解できるかどうかで、現状を変えるのはたやすいことだ。
宗教が世界観を変えるのではなく、本当の自分の中に答えがあるのだから。
私の事を『メカニック』と表現した人がいる。
『なおたまさんは、人のバグを発見し、そのバグを修復し、正しい方向に修正していますよね。』
なるほど、確かにそうとも言えるが、修正しているのは本人であり、私はその人の『バグ』と修復の仕方を伝えているだけに過ぎない。
修復・修正出来るのは、本人がそのバグを素直に受け取れる力があるかどうか・・・だと思う。
記事を読んでいて、感じることがあれば、是非感想など聞かせてください。
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それを知ることで、変われる人もいるが、『本当の自分をしること』とは、そういう事じゃないということを伝えておきたい。
『本当の自分を知る』ということは、もっとシンプルで単純なモノなのだから。
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