【京都】

 

【東北院 御朱印】

法成寺殿(藤原道長)

 

「この世をば 我が世とぞおもふ 望月の 

  かけたることも無しと思へば」

      新たに
 道長が詠んだ和歌が御朱印として

  いただけるようになりました。

 

【東北院 御朱印】 

東北院①

 

 

 

  山門付近に咲いていた沈丁花

 

【本堂】

【宗 派】時宗

【山 号】雲水山

【院 号】東北院

【別 称】法成寺東北院

【創 建】1030年

【開 基】上東門院彰子

【御本尊】大弁財天

 

藤原道長の没後、長元3年(1030年)

     道長の娘

 上東門院彰子の発願により

 

藤原道長が営んだ法成寺の一郭に

   常行三昧堂が創建。

 

法成寺の東北にあったことから

    『東北院』

  と呼ばれています。

 

   

 かつては法成寺に付属する

  天台宗の寺院でしたが

 

  康平元年(1058年)2月

法成寺が焼失した時に東北院も類焼し

   1061年7月に再建。

 

 七福神信仰の高まりと共に

桓武天皇の勅命で伝教大師が彫った

     とされる

 大弁財天が崇高を集めましたが

  応仁の乱で焼失し荒廃。

 

     1559年

 時宗の僧・弥阿が弁財天をお祀りし

   時宗に改め再興。

 

    当時の東北院は

現在の本禅寺・清浄華院・盧山寺の

    辺りにありましたが

 元禄5年(1692年)の大火で類焼し

 

     1693年

 上東門院彰子の子供である

後一条天皇菩提樹院陵の正面にある

      現在地に

真如堂・東北院・大興寺などと

     共に移転。

   

     現在の建物は

1770年、安津宮御所をご寄付されたもの。

 

             この時

 謡曲【東北】との兼ね合いも深い

     和泉式部ゆかりの

軒端の梅の後継といわれる白梅も移されました。

 

 

 

    和泉式部が出家後

東北院の小御堂の庭に「軒端の梅」を

      手植えし

 

   室町時代、世阿弥が

「軒端の梅」をモチーフに能の

    「東北」を作り

 

     東北院は

古典文学・古典芸能の聖地として

 語り継がれるようになりました。

 

 

 

【後一条天皇菩提樹院陵】

 

 

後一条天皇 菩提樹院陵からの眺め

【東北院】

 

 

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