【京都】

 

  大河ドラマ『光る君へ』紀行

    第10回『元慶寺』

 

    65代天皇・花山天皇は

 藤原道兼の勧めにより元慶寺で出家。

 

    歴史物語『大鏡』では

この出家は藤原氏の謀略と書かれています。

 

【元慶寺 御朱印】

 

【元慶寺 御朱印】

 

       花山法皇は

  廃れていた西国三十三所観音霊場を

     復活させたことから

 

  ゆかりの深い元慶寺は番外札所となり

    多くの巡礼者が訪れています。

 

【鐘楼門】

      鐘楼門の上には

菅原道真が勅命により元慶寺のために詠んだ

  漢詩が刻まれた三代目の梵鐘が

     納められています。

 

 

 

    花山天皇出家の際の剃髪が

      ここに埋められ

 

 その場所の目印としてこの岩石が置かれた

      と伝わっています。

 

 

【花山院法皇御落飾道場 石碑】

 

 

 

【本堂】

【宗 派】天台宗

【山 号】華頂山

【寺 号】元慶寺

【御本尊】薬師瑠璃光如来

【創 建】元慶元年(877年)

 

    貞観10年(868年)

陽成天皇を産んだ藤原高子の発願により

    定額寺として建立。

 

 六歌仙の一人、僧正遍昭を開山として

    元慶元年(877年)

 陽成天皇の勅願寺となり元慶寺と改名。

    寛和2年(986年)

 藤原兼家・道兼父子の策略により

      出家させられ

  在位2年、19歳という若さで

      天皇の座を退き

 兼家の外孫である懐仁親王(一条天皇)が

     帝位につきました。

 

 花山法皇の宸影を安置する寺で

  別名『花山寺』とも呼ばれ

 

 花山法皇ゆかりの寺ということで

   西国三十三所番外札所

    となっています。

 

 

 応仁の乱により伽藍が消失し

    現在の建物は

安永年間(1772~1781年)に

           再建されたもの

 

 

 

 

【素性法師 歌碑】

「今こむと言ひし許(ばかり)に長月の 

  ありあけの月を待ちいでつる哉」

 

【僧正遍昭 歌碑】

「天つかぜ雲の通ひ路ふきとぢよ 

   をとめの姿しばしとゞめむ」

 

 僧正遍昭と素性法師の歌碑あり

            これらの歌は

      百人一首に収録されています。

 

 

【住所】

 京都市山科区北花山河原町13

 

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