【岩手】

 

【光林寺  御朱印】

御朱印帳にいただきました

 

【光林寺  御朱印】

後日、写経を送っていただきました

 

           毎月第1日曜日

「写経の会」が開催されています
     朝7時~ 

   ※所要時間1時間程度

 

 

【宗 派】時宗

【山 号】林長山

【寺 号】光林寺

【創 建】1280年

【開 基】河野通次

【御本尊】阿弥陀如来

 

 光林寺は今も古城の面影が残る

   一遍上人ゆかりの古刹。

 

 開基は 伊予の国主・河野通信公の長男

               通俊の次男で

     奥州稗貫郡の領主で寺林城主

    河野太郎通重の嫡子 河野通次
 

              河野通次は

   弘安二年の初夏、京都在番の時

         一遍上人に帰依し

 弟子になったと伝えられています。

 

     河野通信は

  源頼朝の妻政子の妹を妻とし

 平家追討に大功を立てた知将

     として知られ

  のちに奥州遠征にも従っています。


   ところが、承久の乱(1221)で

 後鳥羽上皇の側に味方して敗れたことから

    奥州の江刺に流され


    この承久の乱では

   河野一族が二分して争い

 鎌倉幕府側の一族は命脈を保ちました。


      通次は

 江刺の地で祖父通信の古墳墓を訪ね

    報恩謝徳のために

 転経念仏をしたと伝えられています。

 

 祖父の霊を慰めた一遍上人と通次は

   通重が城主を務める寺林まで

      足を延ばし
 通重は一遍上人の教えに深く感銘し

   息子と同じように帰依し

 

寺領として二千町歩の広大な土地を寄進し

    六堂伽藍を建立しました。

 

      1281年

一遍上人導師のもと盛大に執り行われた

     落慶法要の際

  西の林よりまぶしい光が現れ

 

  天地を輝かせた光林にあやかり

      「光林寺」と

  命名されたと伝わっています。

 

    令和5年7月8日

 光林寺寄席が開催されるそうです音譜

 

 

  境内は十七代存冏の造園によるもの。

 

   享保六年(1721)二千余人の人夫を使い

     山を築いて池を掘り

   木を植え、石を集めて庭を造り

 杉や松を数千本植えたと記録されているそうです。

 

 

 

【長慶天皇の腰掛石と手撫で松】

     南朝の長慶天皇が

津軽の北畠顕家の弟・顕能を頼って下向された際

      光林寺に立ち寄られ

 

  美しい枝垂れ松の根元の石に腰を掛け

    その松に触れて愛でられた

      と伝わっています。

 

 

 

 

【住所】岩手県花巻市石鳥谷町中寺林12-54

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