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先週、先々週とルールやマナーを守る大切さについて、お話させて頂きました。
バレエが上手になるためには、テクニックを磨く以前に、ルールやマナーを守って、信頼される人になることが大切だと。
今週も、それと少し関係のあるお話です。
バレエに限らず、人が生きていくためには、ルールを守る必要があります。
世の中からルールがなくなってしまうと、無法地帯になってしまい、安全に暮らすことさえむずかしくなってしまうからです。
また、世界に自分1人しかいないのであれば、話は別ですが、家族でも友人でも、誰かと関わりながら暮らして行くためには、思いやり、つまりマナーが必要です。
このルールやマナーを守るために大切なのが、“嘘をつかない”ということです。
ぜったいに、とは言いません。
世の中に嘘をついたことがない人は、多分いません。
多かれ少なかれ、ほとんどの人が、これまでの人生で嘘をついたことがあると思います。
嘘には大きな嘘から小さな嘘まで、色々なものがあります。
自分のためにつく嘘(ズル休みする時など)もあれば、
相手のためにつく嘘(病名を本人に知らせない時など)もあります。
自分につく嘘もあれば、他人につく嘘もあります。
いずれにしろ、嘘をつくことはあまり良くありません。
“うそつきは泥棒のはじまり”という言葉を聞いたことがある方も多いと思いますが、“泥棒”と呼ばれる人は全員が“他人のものを勝手に自分のものにしてはいけない”というルールを守らなかった人達です。
そして、ルールを守らなかった人達は、やがて嘘をつくようになります。
ルールを守らなかったことがバレないために、嘘をつく必要があるからです。
ここで嘘をつかずに正直に「ごめんなさい」をして、ペナルティを受ければ、実はそんなに大事にならず、そこからまた最スタートすることが出来ると思います。
かれど、ルールを守らなかったことを隠すために一度嘘をつきはじめると、嘘をつくことが、当たり前になってきます。やがて、嘘を隠すために嘘を重ね、嘘がバレないために他人と距離を置き、ビクビクしながら、他人の顔色を見ながら生きていかなくてはなりません。
人間は間違える生き物ですから、ルールを守れなかったり、自分のことしか考えられない時期はあると思います。
その時に、「ごめんなさい」をして、それなりのペナルティを受けて(ペナルティはあった方が本人もスッキリして気持ちを切り替えられると思うので)、心機一転、やりなおすクセがついているのか。
それとも、「いやいや、ちゃんとルール守ってますって。」と、自分や他人をだまし続けるための嘘をつくことがクセになっているのか。
それが、その人の人生を大きく分けて行きます。
どう分けるのか。
幸せになれるか、なれないかです。
人と関わりながら過ごす、心温かい人生か、人との関わりを絶って過ごす、孤独で心寒い人生かです。
そして、自分のことが好きか、嫌いか、です。
人間は群れで生きることが本能にプログラムされている生き物ですから、人との関わりを絶ってしまうと、幸せになれません。
孤独な人生はどんなにお金や地位や名誉があっても、幸せではありません。
また、自分のことが嫌いな人生も、やはり幸せからは遠い人生だと言えましょう。
自分自身とは、一生つきあっていかなければいけません。
どんなに嫌いでも、離れることが出来ません。
大嫌いな人(自分)と一生一緒に生きるのか。
大好きな人(自分)と一生一緒に生きるのか。
人生の幸福度が大きくかわってくると思いませんか?
ですから、どんなにバレエが上手でも、スタイル良く、美貌を持っていたとしても、華やかな舞台で踊っていたとしても、自分のことが嫌いでは、幸せではありません。
孤独でひとりぼっちでは、幸せではありません。
他人を幸せにしたければ、自分が幸せである必要があります。
バレエはちょっとした立ち居振る舞い、目線、表情、雰囲気などに、その人の全てが出ます。
どんな役を踊っても、幸せではない人には踊りに影が出来ます。
たの楽しくない人は人を楽しませられないのです。幸せじゃない人は、人を踊りで幸せにしてあげられないのです。
心に余裕がなく、心が固まっている人は、人を感動させてあげられないのです。
嘘をつくと、人は無意識に、自分のことが嫌いになります。
あ、ああ、嘘をつく私って最高!と思う人は、あまりいないと思います。
たいていの人は、嘘をつく私って最低!と思いますよね。
自分のことが嫌いになると、鏡を見るのが嫌になります。
ありのままの自分を見たくなくて、着飾って本来の自分を隠そうとします。
バレエを踊るには客観性が必要ですから、バレエのレッスン中は出来るだけシンプルな格好で、鏡を冷静に見て、考えて、自分を分析する必要があります。
バレエのレッスンで、鏡を見るのが嫌いで、レッスン中もグチャグチャと着飾ってしまいがちな人が、バレエが上手になれるでしょうか?
また、自分の嫌いなものを、他人に「ねえ、これ、見て見て!」と言いたくなるでしょうか?
ならないですよね。
逆に、自分の好きなものなら、みんなに見て欲しいですよね。
だから、自分のことが嫌いだと、舞台に立って、堂々と振る舞えないんです。
舞台に立ったり、他人に見られることが嫌なんです。
もしかしたら、素敵に着飾った自分なら、他人に見て欲しいと思うかもしれませんが、たとえばプレゼントにたとえると、プレゼントは物を渡しているようで、実は気持ちを送るものです。
プレゼントを貰った人は、プレゼントをくれた人が、その人が大好きなものにラッピングしてくれたのか、その人が大嫌いなものを隠すために、グルグル巻きラッピングしてくれたのか、わかります。
そして、相手が大嫌いなものは、どんなに綺麗にラッピングしてくれたとしても、いらないものです。
高価なダイヤだとしても、相手が見たくないからいらないからくれたのだとしたら、もらった人は嬉しくありません。
受け取りはするかもしれませんが、相手からの気持ちは何も届きません。
自分が嫌いなものを渡しても、相手を喜ばせてあげることは出来ません。
それよりは、道に咲いている、贈る人が大好きな1本のお花の方が喜ばれます。
気持ちが届きます。
バレエも同じです。
チュチュを着て、トウシューズを履いて、綺麗にメイクして、スポットライトをあててもらっても、自分のことを嫌いで自分のことを信用していないバレリーナに、お客様は魅力を感じません。
何か違和感を感じて、ちぐはぐな印象を与えてしまいます。
せっかく舞台に立つ機会があるのであれば、頭のてっぺんから、つま先までを愛おしいと思える自分であって欲しいと思うのです。
完璧じゃなくても良い。外国人のようなスタイルにはなれない。毎日舞台に立つ、プロのようには踊れないこともわかっている。
大人からはじめたバレエは、誰かに笑われることがあるかもしれない。
いい歳をして、なんて言われてしまうかもしれない。笑われるかもしれない。バカにされるかもしれない。
だけど、一生懸命踊るんです。
真心を込めて、踊るんです。
誰に恥じることもない、真っ直ぐな心で、キラキラの笑顔で、等身大の自分で、背伸びせずに、お客様や仲間のために踊るんです。
自分達をバカにする人達にも、(いつかあなたもこっちにこれると良いね)と思いながら踊るんです。
技術ではプロのようには踊れなくても、自分のことが好きで、仲間のことが好きな人達が、真心こめて踊れば、それはきっと観る人の心にまっすぐに届くんです。
私は、そう信じています。
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