「今の日本の状況がわかるか？
アメリカやイギリスなどの外国が目を光らせ、日本を狙っているのだ。
だが我が国は徳川が外国との交易を一部だけに認め、鎖国を続けている。
この国は時代遅れのまま、裸の王様だ。
世界から取り残されている。
そしてそれに気づいているものは少ない。
今、外国から攻めてこられたら日本は何の準備もなくすぐに占拠され、どこぞの属国に成り下がるだろう。
日本は変わらねばならぬのだ。
日本を変えるためには、トップに立つものの考えを変えねばならぬ。
お前は十三代将軍家定様に嫁ぎ、次の十四代将軍を水戸藩の徳川慶喜様を押すのだ。
今、幕府内では我らのように徳川慶喜様を時期将軍に推す者たちと、大老井伊直弼の推す紀州藩主の徳川慶福様に意見が分かれている。
本来、島津家は外様であるから幕府に意見することは、はばかられる。
しかし今の幕府が治める日本では、だめなのだ。
ちっぽけな魚のように諸外国という大きな鯨に飲み込まれてしまう。
紀州の徳川慶福様を押しているのは、南紀派だ。
南紀派は、ほとんどが譜代大名。
これまで幕府で権力を握っていた者たちだ。
対して水戸藩の徳川慶喜様を押しているのは、我らや外様、将軍の親戚筋にあたる親藩などこれまで政治から遠ざけらたものたちだ。
我ら一橋派が推す水戸藩の徳川慶喜様が時期将軍になれば、我らの発言権も増す。
お前の役目は家定様に時期将軍を徳川慶喜様に名指ししてもらうためじゃ。
それこそが最善の策、と家定様にアドバイスすることじゃ。
それゆえに我が島津家から聡明で度胸もあるお前を家定様に送り込む。
これが、わしの本当の狙いじゃ」
熱く沸き立った思いが、氷を当てられたようにすうっ、と冷えた。
お義父上の目は野心でギラリ、と光っていた。
重責を負わされた背中がゾクッと震えた。
お義父上の養女になった裏側に何かある、とは思っていたが、まさかこの国の命運を左右する使命が隠されていたとは予想だにできなかった。
情けないが震える声で、尋ねた。
「して、お義父上。
水戸藩の徳川慶喜様とは、いかなる人物でございましょうか？」
お義父上は腕を組んで、おもむろにうなづいた。
「うむ。
もともと徳川慶喜様は、水戸藩の徳川斉昭殿の七男としてお生まれになった。
が幼少時から優秀だと評判だったので、斉昭殿はどこにも養子に出さず手元に置いて育てていた。
老中の安倍正弘殿から徳川御三家の一ツ橋家の跡取りにしたい、との声がかかり、一ツ橋家を相続され、慶喜様と名乗ることになった。
慶喜様は天皇を敬い、この国を外国から守ろうという気構えと思いを持っておられる方だ。
だから我らは、慶喜様に時期将軍になってほしいのだ」
一応うなづいてみたものの、正直、お義父上の話だけで徳川慶喜様の人となりはわからなかった。
私は何でも自分の目で見て体験し、心で感じたい。
自分の心で感じた事だけが、本当のことだと信じている。
ならば徳川慶喜様にお会いし、本当にそのお人柄が時期将軍にふさわしい方かどうか、心で感じたい。
私の心がそうだ、と納得した時初めてお義父上の意見に賛同できる。
そして心から慶喜様を応援できるはずだ。
その為に、まず私自身が今の将軍である家定様の妻になることだ。
頭の中で義父上に言われたことを引き出しに整理し、頭を下げた。
「お義父上様、わかりました。
篤は謹んで家定様と結婚し、そのお役目を果たしたいと存じます」
お義父上様は、膝を叩いて叫んだ。
「よう言うた！
お前のその決意を確認したかった。
お前はこれから江戸に行くのじゃ。
江戸の屋敷で、将軍家に嫁ぐための教育を受けてもらう。
教育係に、幾島、というものを用意しておる。
幾島は我らのおば上で京都の近衛家に嫁いだ郁姫様付きの上臈として仕えていたものじゃ。
郁姫様亡き後は出家し、郁姫様の菩提を弔っておった。
が、こたびのことが決まり、名を幾島、と改め、お前の教育係になってもらった。
幾島に任せておけば安心じゃ。
しっかり将軍の御台所としての心構えや教養、行儀作法、大奥のことを学んでくるがいい」
決して口には出せなかったが、心の中でひえ～～～、と叫び、飛び上がりそうになった。
乳母から解放されたと思ったら、今度は御台所様付きの教育係にしごかれるのか。
目の前がくらくらした。
だが確かに今のままの私では、御台所にはなれない。
幾島という女からしっかり学び、家定様にふさわしいレディーになるのだ。
そして力づくでも、未来の扉を開いてやる。
レディーはレディーでも、ファーストレディーだ。
この私が！
想定外の現実を目の当たりにすると、人は可笑しくなる。
私も思わず笑いかけ、この展開を夢かと思い頬っぺたをつねってみた。
きっちり痛い。
だから現実だ。
それも数日前と比べると非現実すぎる現実だ！
龍の背中に乗ったはいいが、揺さぶられ振り落とされないようにしがみつくのが、精いっぱいだ。
お義父上様が部屋を出て一人になると、体中から力が抜けた。
江戸に行く。
私はこの薩摩を出て、江戸に行くんだ。
どうして江戸から遠く離れた薩摩の私にこのような話がやってきたのか。
もし、家定様のお迎えになった御台所がご健在であれば、私の出番などなかった。
もし、家定様の側室にお子様が生まれていたら、この話はなかった。
もし、家定様の跡継ぎにすでに慶喜様が決まっていたら、私の役目は不要だった。
運命は「もし・・・」を超えた積み重ねで、動いている。
それも少し前に決まったことだが、本当はずっと昔、私が生まれた時から決まっていた定めかもしれない。
人は定めから逃げることはできない。
なら立ち向かえばいい。
どんなに揺さぶられ落ちそうになっても、龍の背中にしっかりしがみつき進んでやる。
「さぁ、一緒に江戸に行こう。
家定様のとこに行こう」
目には見えない運命という名の龍に、声をかけた。
だがこの時の私は、まだ知らなかった。
江戸で待っている幾島が、最強で最凶の教育係だったとは・・・・・
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あなたは自分で見聞きしたことよりも、人の言葉を信じますか？
何より自分の感覚を大切にしていますか？
家族であっても、友人や愛する人であっても、その人の感覚はその人のもの。
あなたの心で感じることが、大切なのです。
あなたの心で感じたことが、答えです。
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