集英社文庫 2008年6月発行 (2005年6月集英社より刊行『救命センターからの手紙、再び』を文庫化にあたり加筆訂正の上、改題)
〔目次〕
救命センターからの手紙、再び
春愁
疑念
納得
逡巡
錯誤
あとがき
解説 養老孟司
〔著者について〕
1957年生まれ、東京都立墨東病院救命救急センター部長を務める救命救急医。救命センターを舞台とした著作を発表しており、1999年『救命センターからの手紙』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。
〔本書について〕
救命救急センターとは、救急患者のうち特に重症・重篤な患者を受け入れる医療機関で、全国で279施設ある。著者の勤務する東京都立墨東病院の救命救急センターは、都内で最も多い年間2,000人以上の患者を受け入れている医療機関である。
全国の平成26年の救急出動件数は年間で598万件に達している。毎年増加する傾向が続いており、平成16年の出動件数が502万件に対して、十年後の平成26年は件数で96万件増加(19.0%増加)と大きな伸びを示している。増加の要因として最も大きなものは、高齢者の増加により高齢者に係る出動件数が大きく増加していることが挙げられる。
通報から現場到着の所要時間は全国平均で 8.5 分であり、通報から医療機関等に収容されるまでの所要時間は全国平均で 39.3分(いずれも平成25年)と、出動件数の増加に伴って、毎年少しずつ時間が延びてきており、一刻を争う救命救急の現場はパンク寸前の状態となっている。
救命救急の現場では、日々生きるか死ぬかの真剣勝負が行われており、医療者は心身ともハードな勤務が求められるうえに、瞬間瞬間の判断力が求められる。突然の命の危機に直面する患者や家族の動揺への対応も求められ、生身の人間と人間が向き合う緊張感ある世界が繰り広げられる。そんな世界に身を置く著者は 「救命センターはそんな切羽詰まった生身の人間の強さと弱さ、怒りと諦め、あるいは滑稽さと悲しさといった、人間本来のありさまをまざまざと見せつけてくれます」と述べている。
本書では5人の患者を取り上げている。①自殺未遂の元経営者の男性、②生後3か月足らずの赤ちゃん、③助かっても植物人間となる可能性が高い男性、④ホームレスの男性、⑤92歳の特別養護老人ホームに入所している女性である。いずれのケースもそれぞれが患者・家族の人生や社会制度のあり方という問題を考えさせる。
この中で③については救命医の仕事の凄みを知ることができる。手術して助かっても植物人間になるかもしれない患者の家族に、手術をするかどうかを決断させようとする医師に対して、著者は医師が「手術の適応があると判断するのならば、家族が何と言おうと、それを貫き通すこと、それが救命救急センターという看板を背負っているプロの医者としての矜持であり、担っている責任」であり、「その矜持と責任を持って全力を尽くすこと、それこそが家族だけでなく、物言えぬ患者にも納得をもたらすに違いない」と救命医療の現場ならでは医師の決断の重要性を伝えている。本物のプロフェッショナルの気迫を感じさせる言葉である。
④、⑤については社会制度の矛盾を感じさせるケースである。救命救急の現場には社会の制度から零れ落ちてきた人たちを、受け入れざるを得ないケースもある。しかし、救命医は受け入れた以上は、患者がどんな年代や境遇の人であっても全力で救命に望む。救命医が命の選別を行うことはできない。しかし、超高齢者によって救急病棟のベッドが塞がっていて、若い人の受け入れを制限しなければならないこともでてくることは本来の救命のあり方ではない。そのために著者は医療者も患者も家族も「健全な死生観」が必要であると主張する。
救急出動のうち65歳以上の高齢者の占める割合は、平成5年に28.8%であったものが、平成15年には41.4%、平成25年には54.3%と急激に割合を高めている。全国民が「健全な死生観」を持つことが、今後一層の高齢化を迎える中で、皆が安心できる救急医療制度を維持させるためには、非常に重要なことだと思う。
本書は物語風で読みやすい文章であり、救命救急医療に関する専門用語もわかりやすく説明を加えてあり、救命救急医療がどのように行われているかの一端をよく理解することができる。救命救急の現場では1人1人の人間が背負っている人生に向き合う場であり、その後の患者家族の運命も大きく変えていく場である。本書は救命救急を通して、「生きるとは」という問題を考えさせてくれる本であり、解説の養老孟司氏(解剖学者、著者の大学医学部の先輩)も「この本は人生の教科書のひとつ」と結んでいる。