『「死にざま」こそ人生 「ありがとう」と言って逝くための10のヒント』 柏木 哲夫/著 | いのちと病の図書室

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医療、病気、介護、死生学等‟いのちと病”に関する書籍の紹介です

朝日新書 20118月発行


〔目次〕

その1 人生の総決算

初めてのホスピスプログラム/人生の総決算/最期のことば/バカヤロー!!/もったいない/もったいないの意味/死の受容と年齢/死にとうない/衣がはげ落ちる末期/行ってくるね/横の安心、縦の平安
その2 3つの和解

謝って死にたい/謝っていないのでね/謝罪と和解/「聞く」と「聴く」/痛みがとれると困る/私が悪かった/3つの和解/謝らせて死にたい/矢先症候群

和解の必要性
その3理解的態度

先生の役に立って死にたい/安易な励まし/妹、なんとかならないでしょうか/震災と安易な励まし/理解的態度/死ぬのが怖いということを分かってほしい/苦しまずに死にたい/死を語り合う

その4 最期の希望

これで旅立てます/海が見たい/沖縄に行きたい/せせらぎの音が聞きたい/最期の希望が叶わない/家に帰りたい/家で死にたい/日本人の死に場所

その5 子どもに死を知らせる

お星さまになる/死の概念の発達/娘には知らせたくありません/不登校になったU子ちゃん/母の死を知らせてほしかった/絵本の中の死/お母さんは船に乗る/妻を看取る

その6 死は門

 死んでも死にきれません/もう、あきらめてます/あきらめの死/小さな死と本当の死/否認の死、エリートの死/人は死ねばゴミになる/日本人の「あの世観」/母が向こうで待っている/死は門/アニミズム/千の風になって/ネオ・アニミズム

その7  緩和ケアとユーモア

はじめに/医者にお守り/トロなら通る/四季(死期)がない川柳/寝正月/ユーモアの効用/Coping humor、対応ユーモア/いたわりのユーモア/ユーモアノート/手首の続き/澄みきった空

その8 ペットの力

エルザ、エルザ・・・/モルヒネ猫のミーコ/訴えるように痛む/痛みに影響すること/そんなはずはないのですがね・・・/象に会いたい・・・/ペットの力/ホスピスドッグ/Animal Assisted Therapy/ペットロス/ペットを残して旅立つ

その9 最後の跳躍

世話になるなあ/自主的内観療法/最後の跳躍/最後の凋落/痛みはその人を現在に閉じ込める/その人らしさを支える/予期悲嘆と死別後の悲嘆/予期悲嘆/死別後の悲嘆

その10 悲嘆の理解

悲嘆の定義/悲嘆反応/病的な悲嘆/通常の悲嘆と病的な悲嘆

対談 山崎章郎X柏木哲夫 「幸せな最期が迎えられる医療とは」

 「臨床を離れるとこころが腐る」/告知するということ/「事実」と「真実」/延命中心からの転換/引っ張り症候群/いまも真実が告げられていない/患者さんのためのケア/ 「治療の限界です」と言える医師に/「ありがとう」と言える最期のために

おわりに

〔著者について〕

 1939年生まれ、精神科医・ホスピス医、教育者。淀川キリスト教病院で日本初のホスピスプログラムを開始。大阪大学教授(現在名誉教授)、金城学院大学学長を歴任し、現在は淀川キリスト教病院理事長。公益財団法人日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団の理事長も務める。クリスチャンである。


〔本書について〕
 著者は、1973年に日本で初めてのホスピスプログラムを淀川キリスト教病院で開始した。その後長きにわたりホスピスでの患者のケアにあたり、これまで2,500人もの患者を看取ってきた。日本のホスピスの先駆者である。著者の36冊目の著作である。非常にわかりやすく、死生学の入門書としても適している。


人生の総決算である‟死“を、周りに感謝しながら平安に迎えるために、本人はどのように生き、どのように振舞えばよいのか。また家族などの周囲の人たちは大切な人をどのように支え、”死“をどのように受容していけばよいのか、著者が数多くの患者の最期を看取った中から学んだ「生きることと死ぬこと」についての知恵がまとめられている。

人生の最期をどのように迎えるかが、どれほど重要であるかということは、英国のホスピスの母と呼ばれるシシリー・ソンダースの次の言葉が物語っている。「人がいかに死ぬかということは、残される家族の記憶の中に留まり続ける。最後の数時間に起こったことが、残される家族の心の癒しにも悲嘆の回復の妨げにもなる」。死別後の悲嘆には非常に個人差があるという。大切な人が安らかな最期を迎えることが、残された者の苦しみを癒すことにつながっていくのである。また悲しみを表現しておけば表現しておくほど、死別後の悲しみからの立ち直りが早いことを著者は強調している。

著者は「人は死を背負って生きている」と考えている。「矢先症候群」というのは著者の造語だが、定年を迎えてこれからという矢先、子供が独立してこれからという矢先に亡くなっていく人たちがいることがその証拠だという。多くの人は自分の人生が続くことを疑わないで、今は大変だけど、この時期を乗り越えれば、その先は穏やかな人生が待っていると考えていると思うが、将来は存在するかどうかわからないものであり、今この時をどう充実して過ごすかが大切であることを教えてくれる。

また末期は「魂がむき出しになる時期」であり、「多くの人は生きてきたように死んでいく」ともいう。これまで自分勝手に生きてきて、最期を迎える時に急に人間が変わっていくことは難しい。この言葉もやはり普段の一日一日を大切にみんなに感謝して生きていくことの重要性を教えてくれる言葉である。このように結局、良い最期を迎えるためには、普段どう生きるかを考えていかなければならない。元気な人も時折は「生きることと死ぬこと」について考える機会を持つことは良い人生を送るために大いに役立つものとなる。

最期を迎えるときに本当に大切なことがわかってくる。「富や名誉から来る安心は横からくるが、あまり役に立たない場合がある」という言葉や、エリートと違って庶民の死は「喪失体験をうまく乗り越える練習が積まれているので、比較的上手に亡くなることができる」という言葉も人生の価値観を考えさせるものがある。


最後の章は、著者と山崎章郎氏との対談である。山崎氏は著書に『病院で死ぬということ』など、ホスピスや終末期の医療を描いた著作がある。ホスピス医として勤務してきたが、現在は在宅医療を行う在宅医として患者のケアに当たっている。対談の中では日本のがん医療の現状について取り上げているが、ここでは著者の造語である「引っ張り症候群」という言葉が印象的であった。抗がん剤で一時的に効果が出るものが出てきたことから、医師が治療の継続を引っ張ってしまい、最期を迎えるための準備や死の受容や別れができないまま亡くなってしまうことが増えていることをあらわしている。がん治療にとって、何が最善の選択であるかは現在も難しいものがある。

著者が理事長を務める淀川キリスト教病院は、最近のニュースでは日本初の「子どもホスピス」の開設やホスピスで患者のリクエストに応えた食事の提供など、「その人が、その人らしい生を全うできるように援助すること」のため先進的な取り組みを行っている。