『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』 金子 哲雄/著 | いのちと病の図書室

いのちと病の図書室

医療、病気、介護、死生学等‟いのちと病”に関する書籍の紹介です

  
小学館文庫 20142月発行(201211月小学館より刊行『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』に追補を加えて文庫化)


〔目次〕

読んでくださる皆さまに 妻・金子稚子

プロローグ 突然の宣告

1章 流通ジャーナリストと名乗って

数学の勉強はやめる―高2の決断

石の上には1年でいい―腰かけ会社員生活

喜んでくれたオーナー社長―講演会で生計を

第2章 昼も夜も時間が足りない

一致した「嫌い」―妻が最初の視聴者

女性週刊誌からテレビへ―競争相手の少ない世界

お刺身3点盛398円―スーパーが「経済の先生」

「お金をかけずにデート」―アイドル並みの過密スケジュール

第3章 発病。あふれてしまう涙

9センチの腫瘍―病院で門前払い

「咳、おつらかったでしょう」―仕事と治療と

泣き続けた4日間―転移

第4章 最後の仕事は死の準備

長びく肺炎―最後のラジオ出演

東京タワーの足下に―葬儀の準備

正しい死に方を学ぶ―高野山大学大学院へ

エピローグ 生涯無休

あとがき 「これは、金子が用意した“スタート”です」―夫と併走した500日 金子稚子

会葬礼状 

文庫版追補 金子さんとの思い出

 教育評論家・尾木直樹さん

 ニッポン放送アナウンサー・垣花正さん

 マネージャー・宮下浩行さん

 女性セブン編集部

文庫版あとがき 浄土宗心光院 住職 戸松義晴


〔著者について〕

1971年生まれの流通ジャーナリスト。お得情報を分かり易く説明するスタイルで、テレビやラジオでも活躍。201210月肺カルチノイドのため逝去。享年41歳。


〔本書について〕

 本書はサブタイトルに「エンディングダイアリー500日」とあるとおり、末期の病気で助からないと宣告されてから、死を迎えるまでの約500日間の闘病記である。ただし、「エンディング」という言葉にも表されているとおり、病気との闘いだけでなく、人生の最期をどのように迎えるかという問題も大きなテーマとして含めた著者の生き様が描かれている。


 超高齢化による多死社会を迎えた日本において、今では「終活」という言葉が日常的に使用され、高齢者世代の人たちの間で、どのように最期を迎えるかが大きな関心を集めている。ところが、働き盛りの40歳で突然死の宣告をされた場合には、人は人生の最期をどのように迎えればよいのであろうか。著者は最後の最後まで自分らしく生きるとともに、本人にとっても残された家族にとっても思いを尽くして悔いの無い様に人生の“幕引き”を見事にやり切った。病気と迫りくる死の苦しみや悩みと闘いながら、最後には死を受容し、多くの人に感謝しながら最期を迎えている。働く世代の人にとってエンディングの一つのモデルとして学ぶことが多くあるのではないかと感じる。

 

 著者は、咳が止まらずに体調も悪化してきたことから、病院で検査を受ける。結果は末期の肺がん(肺カルチノイドという種類のがん)で治療法は無く、ホスピスで穏やかに死を迎えるしかないという〝死の宣告“であった。肺カルチノイドとはあまり耳にすることが無い病気であるが、症状はがんとほぼ同じであり、患者数は比較的少ないがんである。中でも著者の組織型というタイプは数千万人に1人の発病率という非常に稀なものである。

著者の病状は腫瘍の増大により窒息寸前で、いつ亡くなってもおかしくないというところまで来ていた。そんな切迫し絶望的な状況の中で、藁にもすがる思いでいくつも専門病院を受診するも、いずれも治療できないという答えで突き放されるのであった。現在がん治療で大きな問題となっている医療から見捨てられた“がん難民”の問題が現実としてここに描かれている。


そんな著者は一人の医師との出会いにより、絶望から救われることになる。著者はその医師に初めて“人間として扱って”もらえ、血管内治療という治療を受けることによって、当面の命の危機を乗り切ることができた。その後、素晴らしい在宅医療スタッフとの出会いもあり、残された時間の最後まで在宅で‟心温まる“治療を受けることができ、自分の希望を叶えながら過ごすことができたのである。


 著者は病気が見つかった当時は、売れっ子のジャーナリストで、テレビやラジオなど多くのメディアで活躍していた。そんな著者にとって仕事は全てであり、また生きがいであり、辞めることは考えられなかった。そのため周囲の人には病気を知らせずに、治療をしながら最期まで仕事を続けていくこととなる。仕事にのめり込むことによって、著者は死の恐怖から逃れ、生きている実感を噛みしめていたのだろうと思う。

 

 本書を読んで改めて感じるのが、著者は何よりも人を喜ばせることが好きな人であることだ。著者の仕事の成功や闘病を支えた医療者との出会い、夫人との間の深い絆で結ばれていたことにより、著者が多くの人に感謝しながら最期を迎えることができたのは、著者の人柄が導いたものではなかったかとさえも感じる。


いよいよ病状が進み、家で安静に過ごさなければならない日を迎えても、できる範囲で仕事は続けるとともに、自分の人生の締めくくりに向けた準備を進めていく。死を迎えるための宗教の勉強、墓の準備、財産の処分、葬儀の準備と「自分の最期を、最期の仕事としてプロデュース」する作業に取り組んでいく。心身ともに相当に厳しい状況の中で、死を受容していきながらも周囲の人たちのことを最後まで思い、行動に移していくことは、ものすごい精神力の強さ、想いの強さを感じさせる。


そして、亡くなる1カ月前には、本を出版することを決意する。本では自分の生い立ちから、仕事への想い、闘病の記録、そして著者が自分で書いた葬儀の会葬礼状で締めくくられている。死が差し迫った状況の中で本を出すということ難しい作業に取り組んだ理由については、夫人の書いた前書きに述べられている。一つは病気を隠して仕事を続けていたため、お世話になった人や友人、知人に対して「お詫びとお礼」を伝えるため、もう一つは闘病を通して体験し学んだこと、生や死について考えたことを伝えたいためである。著者の想いと生き様は、多くの人に感動をもって受け止められたことであろう。

また本書にはもう一つ大きな意義があり、非常に稀な病気に罹った著者の闘病の記録は、同じ病気で苦しんでいる患者にも勇気をあたえることになる。実際に著者の治療を行った医師が学会で報告し大きな反響があったことを述べている。

 

41歳で亡くなる著者は仕事や人生においてやりたいことが山のようにあったに違いない。「人生の最終コーナーに向かう中、自分のしたいことをし、さらに心温まる医療サービスを受けられたことに、感謝したい」 「自分は最後まで、自分に正直に生きてきた。濃い人生だった。そのことを誇りに思う」と述べているとおり、短かったが自分らしく生きられたことに対する著者の満足感が伝わってくる。著者が在宅でよい形で医療を受けられたこと、夫人が以前に在宅で父親を看取った経験があり、その経験が活かされたことも確かに大きな要素ではあると思う。

そして自分の生涯の記録を残し、周囲への感謝を伝え、葬儀の手配まで済まして最期を迎えるという、まさに自分の亡くなった後のことまで含めエンディングを自分で完結させたことは、残された人たちにとっての大きな救いになることであろう。